風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

湘南ジュニア

2011-04-29 14:12:59 | 音楽
湘南ジュニア室内合奏団の定期演奏会が二宮のラディアンホールでありました。

Vnの半分は小学生なんですが、いつもながらレベル高いです
サボリ気味のうちの子もなんとか出演


よく考えると長いこと習ってるよ、お疲れ様

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稲村路

2011-04-26 23:27:55 | 湘南鎌倉
明治20年代の稲村ヶ崎の写真だそうです。
素晴らしい資料なのでAmigo鎌倉さんのページより拝借 m(_ _)m


明治30年代の写真を見ると、井上馨が山をがっつり削ったみたいですね。

大正12年代の写真では、134号線で開削される部分が
既にくびれてるようにも見えますが関東大震災のせいでしょうか?

ところで古東海道は、七里ヶ浜から稲村路を通って由比ヶ浜に至ったといいます。
このあたり地形の変化が激しいこともあり、稲村路の正確な経路ははっきりしませんが、
霊山ヶ崎と呼ばれる稲村ヶ崎から連なる山を越え、
崖づたいに坂ノ下におりる道だったと考えられてます。


歌川広重の錦絵「新田義貞 於稲村ヶ崎 祈龍神」は
崖から下りた磯で龍神に祈ってる絵らしいです。

この新田義貞鎌倉攻めについては、ぼ輔さんと酔石亭主さんの推理が素晴らしいです。
あまりに大作で、読んでるだけでは理解できず、ちょっと崖を見に行きました。


白山神社の脇道から登った展望台の断崖絶壁、これは怖い


白山神社と市民プールの間のくびれの崖、ここも危ない


市民プールの向こう、白ガードレール道からです。だいぶ低くなりました。
鎌倉の古道物語さんの地図を見ると、
仏法寺の下にあたるようで、三木俊連が峰より折下って大門を打破したり、
霊山寺の峰に責め上ったりの攻防戦はこの辺りなのかなぁ?

それにしても、古い道につきものの庚申塔や供養塔が一つもなかった。
たぶん現在の地形からは想像できないくらい地形が変わってるんだろうなぁ
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龍宝寺の裏山

2011-04-17 14:29:38 | 湘南鎌倉
植木谷戸から岡本へ回り道してみました。
植木の御霊神社、諏訪・御霊の両太神を祀ってます


石碑には次のような由来が
この神社は、今からおよそ420年前当時の玉縄城主、北条綱成公が、軍神の称ある信州諏訪の建御名方富命・八坂刀売命二座の神霊を玉縄城内の諏訪壇に勧進したものと伝えられている。
その後、神社は元和年間、玉縄城の廃城、さらに幾星霜を経て、現在のこの位置に移された。この時すでに鎌倉権五郎景政一門の霊を祀った御霊神社があり、この神社と諏訪神社と合祀され、村民の両大社への崇敬あつく、五穀豊穣、村内安全と繁栄を祈願する祭典が毎年行われている。
ちなみに北条綱成公は、黄八幡といわれた有名な武将であったが、天正15年、73才で没した。公一門の墓は社殿脇の山頂にある。

隣の龍宝寺の案内では、「玉縄城主三代(北條綱成・氏繁・氏勝)の墓後方山頂にある」


神楽殿の右側から裏山に登ります。
龍宝寺との間の尾根道を行き、山頂の墓を目指します


左手のグランドは栄光学園、迷い込んではいけません。
龍宝寺は裏山を栄光学園に、玉縄城址の丘陵を清泉女学院と、
2つのカトリック系学校に山を譲ったのです。


山頂にある供養塔、どうみても玉縄城主三代の墓にはみえませんね
いつも倒れているので「ぶっけり仏」と言われてたとか。


更に進んで、お伊勢山とおぼしき小山を過ぎると、バスケコートや畑に出ます。
畑の奥の道は栄光学園行きのバス道に下りる階段につながるのですが、
今回は畑の右側、竹藪の道を岡本へ下ります。


この道は岡本神社の参道、雰囲気のある道です


「復元」岡本神社(別称)お伊勢山神明神社、次のような縁起だそうです
 平安時代、今から約1000年前天慶1年(西暦938年頃)、村岡城主、平良文の一門であった、角田家は、約3万坪の所領を提供し、岡本神社、(別称)お伊勢山神明神社を、建立しました。
 その後、室町時代に入り、今から、約500年前永正9年(西暦1512年頃)、この地に侵攻して来た、玉縄城主らによって、岡本神社は、解体されました。
解体される前の元の、岡本神社(奥社)のあった場所は、この場所より約300メートル上方の山頂にありました。この神社は、当時、岡本村の鎮守様でありました。
 同時に、角田家も、岡本(玉縄)地域等で、約20万坪の所領を、玉縄城主らに、奪われました。当時、角田家は、三浦一族に属しておりました。
 この度、約500年ぶりに、岡本神社、(別称)お伊勢山神明神社の(下社)が、復元し、完成しました。下社復元にあたり、佐藤慶春氏に御尽力していただきました。合掌
天照皇大神、産土神
復元建立者 角田壽久 平成10年1月吉日

神社を解体されたり所領を奪われたり、玉縄城主に恨みがありそうです。
角田さんのご先祖さん、ぶっけり仏をけり飛ばしてたかも知れませんね。
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春の収穫

2011-04-17 09:34:26 | 屋上
防虫ネットの中なのにサラダ菜にアブラムシが発生
リーフレタスとかを収穫しました


右から春菊(菊菜)、カモミール、つるなしスナップエンドウ
春菊は放置するとトウ立ちしますが、摘み取ればわき芽を毎週収穫できます
市販物とちがって菊菜らしい香りがするし、天ぷらにすると最高
虫はつかないし、連作障害はないし、春菊って好きです


毎年こぼれ種からカモミールが咲きます


モミジの芽吹き、季節は去年と同様に移ろってるようです
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桜が満開

2011-04-10 14:56:43 | 湘南鎌倉
山桜は遠くからボーッと眺めるのがいいですね


広町緑地の大桜、近くによると花が遠いです


台峯のおろち桜、いろんな色が混じって銀河みたい


密度は低いですが、ちょうど見頃だと思います


御弊公園、染井吉野は色も密度もさすがです


柄沢公園、一斉に咲いてます
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