風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

雪の札幌

2013-01-20 17:17:00 | 旅行
札幌に行ってきました


今年は雪が多いそうです


仕事の後は、「だるま」のジンギスカンを堪能しました


早朝、北大を見物


クラークさんに雪が積もってます


ポプラ並木まで行って帰りました

雪景色

2013-01-15 07:24:36 | 風雅庵
気象庁の予報がはずれ、日曜日は大雪でした
10cmは積もってますね


明けて月曜日はいい天気、
どこかに行きたいけど屋上でがまん


道には雪だるま、こんなに積もったのは数年ぶりな感じ


屋上にも雪が積もって、覆いが崩壊
どこかの道路が大渋滞なようで、バスが1時間遅れで走ってた

お正月

2013-01-04 14:20:12 | 風雅庵
今年の鏡餅


お節、家に帰ってから速攻で作ってくれました


鎌倉、鶴岡八幡宮に初詣


1時間間違えてて、手斧始め式は終わるところでした


でも鳶職さんが梯子乗りを披露してくれて、拍手喝采でした


お見事です


これは、すごいね

初詣(京都)

2013-01-03 13:09:33 | 旅行
京都での初詣は、北野天満宮。たぶん初めて来ました


絵馬所


本殿に詣でた後、餅を食べたり、湯どうふ屋さんでお昼したり


タクシーで移動して、妙心寺を通り抜け


太秦(うずまさ)に来ました。
ウズマサという性を賜った秦氏は、山背国(京都)を本拠地にしました。
聖徳太子は秦氏の技術や財力を頼ってたようで、秦河勝をブレーンにしたようです。
また、聖徳太子の子・山背大兄皇子も、名前からして山背国・秦氏と関係が深そうです


広隆寺、本堂の上宮王院太子殿。
秦河勝は、聖徳太子から尊仏像を賜り、蜂岡寺(広隆寺)を造ったとされます。
広隆寺の霊宝殿には、この時の尊仏像と言われる弥勒菩薩半跏思惟像を始め、
秦河勝夫妻の像、聖徳太子16歳像など、ゆかりの文化財が多数でした


木嶋坐天照御魂神社、木島(このしま)神社とか蚕ノ社(かいこのやしろ)とも呼ばれ、
天之御中主神の他、古そうな4神を祀ってます


起源不明な三柱鳥居、一説には景教(キリスト教ネストリウス派)の遺物とか、
池は「元糺の池」、下賀茂神社の「糺の森」と関連して、秦氏と鴨氏との繋がりが想像されます

この辺り不便なイメージがありましたが、
地下鉄東西線の太秦天神川駅が近く、便利になってますね

初詣(大阪)

2013-01-01 10:49:59 | 旅行
その1:生国魂神社、初詣は昔からここ、今年は列が長かったです。


創建は初代天皇の神武天皇、2700年の歴史を持つ、大阪最古の神社です。
神武天皇が東征して難波津に上陸したとき、
国魂である生島・足島神を祀ったのが由来と伝わります


創建時には難波津があった石山、現在の大阪城に鎮座してたのですが、
豊臣秀吉が大阪城築城のため、現在地に移したとのことです



その2:三光神社、天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀っています
これも由来が古く、第18代の反正天皇の時代の創建以来、
神職は武内宿禰の末裔の武川氏が86代にわたって奉仕してるとのこと


神社のある真田山には、真田の抜け穴があります。
真田幸村が大阪の陣で当地に出城を築いた時、
大坂城までの抜け穴を掘ったとかいう講談話があるようです



その3:玉造稲荷神社、第11代の垂仁天皇の時代の創建、
聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋と争った時、戦勝祈願したとか

古代は勾玉を作っていた玉造部の居住地だったり、
豊臣時代には、大坂城の守護神として信仰されたり、
江戸時代は、お伊勢参りの起点だったり、いろいろあるようです



その4:高津神社、落語「高津の富」の舞台です。
高津宮に遷都した第16代の仁徳天皇を祀っています


仁徳天皇は、高殿に登って人家の炊煙の乏しいのを見て窮乏に気づき、
3太陽年(6春秋年)の租税免除したという、高殿の感じが出てますね

でもこの地は、平安時代の清和天皇が866年に社地を定めたのが由来であり、
実際の高津宮は、前・後期難波宮が発掘されてる
法円坂周辺にあったという説が有力なようです

大阪って、意外と古墳時代からの歴史を持つ神社が多いんだよなぁ~