風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

義経の首塚

2010-06-28 18:59:51 | 湘南鎌倉
義経の首洗いの井戸
由来書によると、ここから北方40m辺りに首塚があったとある

「こんな時代もありました」(1985年)には次のように記されている
・・・
その首を葬った所が御殿辺1890番地、山本倉庫裏である。
以来ここに首塚を設け、明治初年までは古塚に老松一本聳えていた。
白旗神社のものであり、祭典の際はここに御仮屋が設けられ、
首塚の前で神事が執り行われたものである。

明治初年廃仏毀釈の際、民間に払い下げられた。
最初に所有したのは、大日野屋角阪(門坂?)醸造店であったが潰れた。

次に白旗横町の肥料商・岸村氏に売却された。
首塚の前に4寸角供養塔を建て、
岸村氏の老婆がよく供養していたが、岸村氏は大正中期にまた亡びた。

昭和初年に綿糸布商・駿河屋分家・外岡氏の所有に移った。
家族に病人や不幸が続き、易者に従って石碑を建立したが、
昭和14,5年ごろ一族離散、一家死に絶えてまた潰れてしまった。

明治維新以来、100年3代の所有者がいずれも滅亡してしまった。
それ以来、忌地として懼れられ、誰も買う人はなかった。

ところが最近、この歴史的事実を知らぬ人が買取り、
義経公の碑を首洗い井戸の辺りに移動して、アパートを建設した
・・・
また、山本悦三氏(白旗神社の元氏子総代)の
著書「史蹟 源義経公の首塚の復旧について」にも記されてるとのこと
・・・
と言うわけで、井戸の横に義経の首塚が建っている

白旗あたり

2010-06-28 15:03:01 | 湘南鎌倉
白旗に行くついでがあり付近を歩いてみました
上の写真は永勝寺
藤沢宿の遊女である飯盛女たちの墓です

弁慶塚のある小さな森、雰囲気あります


庚申塔に混じって、真ん中の小さい石が弁慶塚


常光寺のカヤの木はかながわの名木100選になってます


静かな空間にイサム・ノグチの父(ヨネ・ノグチ)の墓がありました

梅酢が上がりました

2010-06-27 21:33:57 | 風雅庵
1週間前に漬けた梅です
白梅酢が上がってます
重しが小さいのでこれ以上は上がらないようです

米ディハウスくげぬまで鵠沼産の赤紫蘇を売ってました


・土のついてないキレイな葉っぱをちぎる
・葉っぱ170gに対して、塩25g(15%)を計る
・まず半量の塩をまぶし、アク汁が出るまで揉み、ぎゅっと固く絞る
・残った半量の塩で、同じようにアク汁を絞り、汁は捨てる
・塩漬けの梅を一度ボールに出し、
・アク出しした赤紫蘇を混ぜながら、再び漬け込む


梅干し作業はいったん完了、土用干しまで置いておきます

梅ジュース完成です
1週間前に漬けた梅です
砂糖の浸透圧で梅からエキスが出ました
最近、凍らせるレシピが流行ってますが、全く不要だと思います
凍らせなくても1週間ででき、ジュースが濁ったりしません

誕生日のケーキ

2010-06-27 19:27:05 | 風雅庵
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」
織田信長の言葉と思ってたのですが、
信長が好んだ幸若舞「敦盛」に出てくる言葉なのですね

原典の意味とは違いますが、私的にはもう十分満足できる期間です
風雅亭、お祝い御膳

紫陽花

2010-06-26 21:23:25 | 風雅庵
雨がちのこの季節、アジサイが爽やかです

案外大きくなる木ですが、
花の後にはサッパリと切ることができます
でも、小さく剪定すると咲かなかったりします
茶色い枝を残すのがコツみたい