飛鳥や奈良時代の道路は、高速道路のように直線で、幅が12mとか9mもあったそうだ
上の図は、足利健亮さんの「地図から読む歴史」講談社学術文庫の図です。
木津から長岡京を直線で結ぶ古山陰道で、次のような特徴があります
・I-H-Gの道は、奈良から丘陵と平野の境を折れ線グラフのように北上し、Gでスムーズにつながる
・A-Bを結ぶ道は、崖沿いに通じる狭い里道だが、最もスムーズに老ノ坂峠につながる
・B-Cは長岡京(784-794)で消されたと考えられ、古山陰道は奈良時代以前からあった
神奈川県ではどうかというと、平塚市の東中原遺跡や構之内遺跡で、
幅9.7mとか12mの古代の東海道と思われる道路遺跡が検出されてます
(古東海道1)ヤマトタケル以来のルート
足柄峠→・・・→走水→上総国
(古東海道2)771年、東海道に武蔵国編入のころ
足柄峠→・・・→夷参(座間?)→武蔵国→下総国
(一時迂回)802年、富士山の噴火で箱根路(筥荷途)に迂回
(古東海道3)927年、延喜式ができたころ
相模国の駅伝馬:坂本、小総、箕輪、浜田、足上、余綾、高座郡
武蔵国の駅伝馬:店屋、小高、大井、豊島、都築、橘樹、荏原、豊島郡
それぞれの駅伝馬がどこかは木下良さん説とかいろんな説があるようですが、
地名のこじつけや、郡衙や国府、国分寺の近くからの憶測でいずれも根拠は薄いかも
直線的ということをキーワードにして比定するとこんな感じかな?
坂本-箕輪-浜田-店屋-小高-大井は、ほぼ「矢倉沢往還」ですが、一直線に乗ります
さらに面白いのは、伊勢原(箕輪?)と走水をつないだ線上に、
高座郡衙(下寺尾)、藤沢、鎌倉郡衙(今小路)がほぼ乗るという直線です。
大山に向かってるので測量もしやすそうだし、意味がありそう
この線で、地形的に直線的な道路建設が可能か、
1886年の迅速測図で、鎌倉、藤沢から高座郡衙にかけて、直線を探してみました。
鎌倉から伊勢原方面には、香川あたりを通る直線が引けそうに思えます
また、藤沢から海老名方向、にも直線が見えます。
この線には1918年に通水する横須賀水道路が建設されます。
意外にも藤沢が焦点になって切り替わったようですが、丘陵から平地に変わる地形によるのかな?
鎌倉から高座郡衙あたりを拡大してみますと、
藤沢から伊勢原への道は、ほぼ「田村通り大山道」になると思います。
坂上田村麻呂が通った伝説とか、田村大道とも呼ぶようで、どうかな?
藤沢から鎌倉あたりの拡大です。大道小学校を通って、
宮前、寺分、梶原を通って、源氏山から扇ヶ谷に通してみました。
直線的な小袋谷から瓜ヶ谷、海蔵寺裏の大掘切りへの道も魅力的なのですが、
戸部で行き止まりになってたりして、やっぱり東海道ではなさそうに思います。
扇ヶ谷って、大路ヶ谷が訛ったんでは?とかいろいろ妄想してしまいました。
八幡宮の境内を突っ切って、金沢街道はまっすぐでそれらしい。
走水へは、山越えで池子に抜けたいけど、痕跡はわからない。
利便性を考えて、朝比奈の切通しを通ったというぼ輔さん説はありだと思う
そのうち実地を歩いてみようと思います
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