風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

往古の大阪

2012-08-16 07:26:14 | 古代史
八軒家から中之島の景色、
大阪ってこんなに綺麗だったのね


昔あったという常夜燈が復元されてました
先代の常夜燈は生国魂神社に残ってるようです)
江戸時代、このあたりは船宿などが8軒あり、八軒家浜と呼ばれてました
(正確には土佐堀通の南側、昔は川幅が広かったとみえる)


近くには渡辺津の碑、平安時代後期の呼び名です
京都から淀川を舟で下って、ここ渡辺津で上陸、
紀州熊野本宮への参詣路である熊野街道がここから始まります

大阪でも最近、古地図がはやってるみたいです。
古地図を読み解くにはかなりの予備知識が必要ですが、
本渡章さんの「大阪古地図むかし案内」がおもしろいです


浪華往古図(筑波大学附属図書館蔵)
これは1756年(宝暦6)に刊行された、古代の大坂のイメージです

渡辺橋のそばに熊野一ノ王子、南にのびる道は天王寺の脇を通って熊野道です。
大阪城の場所には、石山と小坂村、生玉神社や坐摩神社もここにあった想定、
ここに石山本願寺ができたころに、「大坂」と呼び換えたとのこと

天王寺の北、堀江川が上町台地を横切ってますが、これはムリ、
仁徳天皇が難波宮の北に掘ったという「難波の堀江」は大川と考えられてます


貞享四年 新撰増補 大坂大絵図(大阪歴史博物館蔵)
元禄のちょっと前、1687年の地図です

大和川付替えは1704年、大和川はまだ大阪城の北で大川と合流してます。
中之島の南に橋はありますが、堂島への橋はまだですね、
北浜にあった米市が堂島に移り、曽根崎にキタが発展する前の頃です

東横堀川、西横堀川、それをつなぐ道頓堀川に長堀川、
1698年に開削される堀江川を残して、西船場もほぼできてます、
河村瑞賢が1684年から開削した安治川が完成した頃です

実家のまわりなんですが、町名の由来のスゴさ、始めて知りました


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