大阪ってこんなに綺麗だったのね
昔あったという常夜燈が復元されてました
(先代の常夜燈は生国魂神社に残ってるようです)
江戸時代、このあたりは船宿などが8軒あり、八軒家浜と呼ばれてました
(正確には土佐堀通の南側、昔は川幅が広かったとみえる)
近くには渡辺津の碑、平安時代後期の呼び名です
京都から淀川を舟で下って、ここ渡辺津で上陸、
紀州熊野本宮への参詣路である熊野街道がここから始まります
大阪でも最近、古地図がはやってるみたいです。
古地図を読み解くにはかなりの予備知識が必要ですが、
本渡章さんの「大阪古地図むかし案内」がおもしろいです
浪華往古図(筑波大学附属図書館蔵)
これは1756年(宝暦6)に刊行された、古代の大坂のイメージです
渡辺橋のそばに熊野一ノ王子、南にのびる道は天王寺の脇を通って熊野道です。
大阪城の場所には、石山と小坂村、生玉神社や坐摩神社もここにあった想定、
ここに石山本願寺ができたころに、「大坂」と呼び換えたとのこと
天王寺の北、堀江川が上町台地を横切ってますが、これはムリ、
仁徳天皇が難波宮の北に掘ったという「難波の堀江」は大川と考えられてます
貞享四年 新撰増補 大坂大絵図(大阪歴史博物館蔵)
元禄のちょっと前、1687年の地図です
大和川付替えは1704年、大和川はまだ大阪城の北で大川と合流してます。
中之島の南に橋はありますが、堂島への橋はまだですね、
北浜にあった米市が堂島に移り、曽根崎にキタが発展する前の頃です
東横堀川、西横堀川、それをつなぐ道頓堀川に長堀川、
1698年に開削される堀江川を残して、西船場もほぼできてます、
河村瑞賢が1684年から開削した安治川が完成した頃です
実家のまわりなんですが、町名の由来のスゴさ、始めて知りました
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