介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

母死亡の経緯 その1「発見」

2013-03-08 17:48:51 | 日記
話しは2月21日(木)から始まります。

21日(木)
 会社の福利厚生として公会堂で2ヶ月毎に開催される「落語会」を聞きに言ったのがソモソモの間違い(因みに、落語会を聞きに行ったのは、私、社長、常務、お客様の4名)。
 私の予想通りに落語会は21時に終了。社長が気を利かせて「帰らなくても大丈夫か?」と尋ねるので、一瞬考えたけれど『今日は遅くなるから、先に寝ていてね』と言って出て来たので、そのまま「お食事会」へ。
 日付が変わる直前に帰宅すると、私を待ち疲れた母が居間で、うたた寝中。私が帰って来たことに気づくと食事の用意を始めようとするから、『もう遅いから、食べずに寝る。お母さんもすぐに寝てね。本当に寝てしまうから、決して一人でお風呂に入っちゃダメだよ』と言い置いて、自室(別棟)へ。


22日(金)
・午前4時

 目覚ましが鳴ったので、何時ものように起きて母屋へ
 今になればどうして気づかなかったのかが不思議ですが、「居間の電気が点いている」「テレビが昨夜と同じチャンネルで点いている」「ストーブが点いている」「朝食の用意(茶碗とおはし)」といった、何時もとは異なる状態。でも、給湯器のスイッチを入れた旨のメッセージが流れたので『気を利かせて、朝食の準備(汁物)を作っているんだ』と思い込んで・・・ついウトウトしてしまいました。


・午前5時
 ふと気づくと、時計は5時を少し回っています。母屋の様子は4時と変化ナシ。相変わらず給湯器のスイッチを操作しているアナウンスに、寝ぼけめの頭でも『異常』だという事に気づく。
 『もしや』と思い、お風呂場を開けると・・・上半身を浴槽のふたに預けた状態で母が浴槽でぐったりとしている!そして浴槽の中はドス黒!
 スイッチを押しているのだから死亡してはいないだろうとのかすかな望みを持ちながらも、『脳梗塞や脳溢血だったら揺り動かしてはダメ』と言う刷り込まれた注意事項を思い出して声をかると反応あり。
 その後の行動が正しかったのかは私には判りませんが・・・母を浴槽から出して、洗い場のスノコの上に座らせ、バスタオルで体を包む。だけれど、体を支える事ができずに左側(浴槽の逆側)へ倒れてしまう。急いで助け起こし、バケツをひっくり返して体の左側に持っていくと・・・どうにか体を支えているようなので、「緊急コールボタン」でコールセンターを呼び出す。コールセンターと話している途中に母は再び左側に倒れて・・・会話を終了させたらすぐに助けお越しに風呂場へ。
 救急車が来る前に先ずは自分が着替え、持って行くべき物(財布、診察券、後期高齢者の保険証、障害者手帳、お薬手帳、薬を入れているビニール袋)を用意
  ⇒動転していたのですね。準備した薬は湿布薬でした。
 ここでハタと思い至りました。母は高齢とは言え女性であり、裸の状態です。緊急時だとは言え、このままでは恥ずかしいのでは? そして家には私一人しか居ない。どうやって着替えさせようか? お向かいさんを叩き起こしてもいいのだけど・・・数件先に住んでいる従兄弟を頼る事。呼び鈴が無いので、玄関を有る程度強めに叩くと奥のほうからくぐもった声で返事が返ってくる。とにかく急いで来て欲しいし、母を浴槽から出した際に左足のすねに白い突起物が見えたから、骨折している?可能性も有るから、とにかく急かしたけれど・・・向こうも着替えとかがあるからすぐには起きれなかった(後日、当人達からの談)。
 救急車のサイレンも近づいているし、従兄弟も着替えたら着てくれるので、一旦家に戻って懐中電灯を手にして表通りへ。


・午前5時20分ごろ
 従兄弟もご近所も誰も出てこない中、救急隊員を誘導して自宅へ。
  ⇒以前、ご近所さん(お向かい)は寝巻のまま飛び出してきた
 浴室を見た隊員は、状況にビックリしたのか?緊急度が思ったより高かったのか?血まみれでスノコに横たわっている母を見て暫しフリーズ状態。
 隊員の一人が居間に敷いてある昼寝用布団から毛布を引っこ抜いて母を包み、急ぎ、救急車へ。
 隊員が困ったのは「外傷(左足脛の皮膚が剥離層まで剥離)」「低体温」「大量出血」「心臓病を持っている」の全てを受け入れてくれる救急病院を見つける作業。掛かりつけ病院は運悪く「ドクターカー出動」で無理。色々あって、「外傷」で受け入れ病院を探し当てたのは午前6時近く。