トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
観光 他なんでもあり記

秋、奈良公園周遊

2007-10-22 13:34:06 | 旅行

昨日、日曜日あまりに天気が良いので家内の提案で、奈良公園を散策する事に、
9時に自宅を出発、近鉄奈良線利用、約40分で奈良駅到着、先ず興福寺へ向かう。
興福寺の写真①興福寺北円堂では特別開扉が行われていたので拝観することに、拝観料300円です。

『この北円堂は、養老5年(721)興福寺の創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に、元明・元正天皇が長屋王(ながやおう)に命じて建てさせた八角堂です。創建当初は単に円堂と呼ばれていましたが、平安時代初めに南の方に新しく円堂が建てられたため、新しい堂を南円堂と呼び、古く建てられていたこの堂を北円堂と呼ぶようになりました。このような八角形のお堂を円堂といいますが、これは亡くなった人の霊をなぐさめるための建物です。

現在の建物は、治承4年(1180)の火災の後、承元4年(1210)頃に再建されました。華麗で力強く、優美な建物で、日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと絶賛されています。鎌倉時代の建物であるにもかかわらず、奈良時代創建当初の姿をよく残しています。』 興福寺HPより

写真②の遠くにかすむのが興福寺五重塔、寺域の広さが感じられます。

写真③は興福寺南円堂

南円堂
西国三十三所第九番札所として多くの参拝者で賑わう。弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が関わったことが諸書に記される。
不空羂索観音菩薩像を本尊とし、四天王像が安置されている。興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも北家が摂関の職に就くと、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特別な位置を占めた。不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との神仏習合を如実に物語り、藤原氏の信仰を集めた。創建以来四度目の再建で、寛保元年(1741)に立柱された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様とされる。
毎年10月17日に特別開扉。   興福寺HPより

写真④は何円堂より望む塔、塔の下を通り猿沢池へ向かう。



猿沢池から興福寺五重塔を望む、ここは写生のスポットでも有名。

奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつとなっている。

『興福寺が行う「放生会」の放生池として、天平21年(749年)に造られた人工の池である。放生会とは、万物の生命をいつくしみ、捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。現在、猿沢池園地として整備され、市街地に近いこともあって市民の憩いの場となっている。

猿沢池七不思議
澄まず
濁らず
出ず
入らず
蛙はわかず
藻は生えず
魚が七分に水三分
猿沢池の水は、決して澄むことなくまたひどく濁ることもない。水が流入する川はなくまた流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。なぜか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増えるいっぽうであるにもかかわらず、魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくないような池。 フリー百科事典『ウィキペディアより


浮身堂、ライトアップされる時期もあり、桜の季節が特に綺麗、奈良公園でただ一つボート遊びの出来るところ。
観光案内にもあまり紹介されていない、穴場的な所。