トラ応援と観光記

トラキチ『キリジイ』のブログ
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奈良市内観光

2007-03-01 17:13:56 | Weblog

グーグルアースで奈良市内の案内です。先ず薬師寺を目指します、大阪方面から参りますと、近鉄奈良線奈良行きで難波から約40分、西大寺下車(急行停車駅)近鉄橿原線に乗り換え橿原神宮行きに乗り二つ目の駅西の京駅下車すぐ目の前が薬師寺です


                  鳥瞰図
薬師寺。

以下、薬師寺のHPより
平成10年(1998)12月に「古都奈良の文化財」として薬師寺がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産リストに登録されました。
また、薬師寺には薬師三尊像や東塔を始めとする多くの国宝や、弥勒菩薩坐像などの重要文化財、他、奈良県指定文化財、奈良市指定文化財などが多数保存されています。

薬師寺から唐招提寺までは歩いて10分ほどで行けます、途中骨董品店、喫茶店などがありのどかな風景の中の散策となります。

以下、唐招提寺HPより

唐招提寺
    

中国の高僧 鑑真和上(688~763)により創建された律宗の総本山です。
鑑真和上は聖武天皇の招聘に応えて来日を決意され、五度の渡海の失敗と度重なる艱難辛苦のすえ両目の光を失いながらも753年、渡航を志してゆうに12年の歳月を経て、来日を果たされました。この偉業は日本でも中国でも広く知られています。

唐招提寺から東大寺に向かうには一旦西大寺駅まで戻り、奈良線で西大寺から二つ目の終点、奈良駅下車先ず興福寺へ向かいます、歩いて10分ほどで興福寺に着きます、



              鳥瞰図


興福寺。

以下、興福寺HPより
法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。

その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。

その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、興福寺」と名付けられたのです。

更に大仏殿のある東大寺へ向かいます、奈良公園の鹿と戯れながら、30分ほどで到着。

東大寺。
以下、東大寺HPより

奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして整備した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁(ろうべん)である。

東大寺の裏の高台にお水取りでよく知られた二月堂があり、ここの舞台からは巨大な大仏殿の屋根越しに、奈良市内を展望でき、信貴、生駒連山を見ることができます。浪速の四天王寺から真っ直ぐに東へ生駒山を越えてくると東大寺に突き当たる様子がよく分かります。

東大寺から春日大社へ向かいます、山焼きで有名な若草山の裾野の土産物店やレストランが並ぶ賑やかなところを通り春日大社まで約20分です。




春日大社。

以下、春日大社HPより

春日大社は、平城京の守護の為に創建された御社で本殿向って右(東)から、第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と第四殿 比売神(ヒメガミ)は大阪府枚岡(ひらおか)神社から、それぞれ春日の地に迎えて祀られている。奈良時代の神護景雲二年(768)、現在地に四所の神殿が創設されたのが始り。藤原氏の氏神として有名。境内に含まれる主なものは、標高295mの御蓋山全域の山林部と、社頭から西方、飛火野、雪消の沢一帯の芝原、若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から一の鳥居に至る参道の地帯を含む平野部で、これら全域は昭和六十年国指定の史跡である。










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