フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

玄侑宋久著「リーラ 神の庭の遊戯」をよみました。副題の意味が解らなかったです。

2008-09-10 21:37:52 | 読書会
9月10日 水曜日 晴れ

外を歩きますと陽ざしが強いので暑さを感じますが、
一頃の暑さとは全く違ってきました。風がとても爽やかです。

10時から読書会の日でした。
今月は玄侑宋久著「リーラ 神の庭の遊戯」を読んで来ています。

全員ではありませんが「読みにくかった」「ついていくのが大変だった」そうです。
まず「自殺」の事で話に華が咲きました。
自殺をする人には「相談する人」、極端な言い方をすれば「話す人が居ない」と言います。

毎日、普通の生活の中でまず挨拶をすることが大事と言います。
「おはよう」、「おやすみなさい」すらも言わない家族が増えていると言います。

ただこの主人公が自殺した原因が書かれていない、読者に原因をゆだねて居ます。
自殺者を取り巻く人、個々の人を章題にして書かれています。

「何が原因か」「誰が一番大きな要因になっていたか」は読み手が判断する、
そんな書き方なのです。

最後に沖縄に行き、自殺した姉の霊を成仏させる儀式をして貰う、
それで、「自殺」「霊」の終結としていますが、
何故沖縄なのか、なぜ仏教では無いのか、等々色々な意見が出ました。

著者は色々な仕事を経験し、修行をして僧になったと言います。
宗教的な視点から「自殺」「霊」「成仏」などに、どう思い、何を伝えたいのか、
それが「理解出来ない」、「解らない」と言う意見が多かったです。

それに「神の庭の遊戯」という副題の意味が解らなかったと言います。
これは全員の声でした。
自殺した主人公とその周りにいた人物とのかかわりを単元別に書いています。

それは自殺者を取り巻く周りの人全員を、同等に書いている、と言う意見が出ました。
それに「神の庭の遊戯」と言うことは何を言いたいのかが、解らない。
これは全員の声でした。

ただ「このような内容の小説が賞を取れる、そう言う時代なのね。」と言う
メンバーの言葉に、無言で納得・・・。

夕方涼しくなってから、図書館に返却してきました。
カナカナ蝉が鳴いていました。 
コメント
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