蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

蕎麦界の展望 (5)

2006-07-25 | 蕎麦界の展望
片倉さんは、昭和8年に店を新宿から大森に移す。この大森時代の「一茶庵」は、使用人が20名近くもいたというから大盛況であった。

この大森での「一茶庵」は、「種もの」のメニューはさらに充実し、ご飯ものも提供していたという。一説には、魚介類を新鮮に保つために、大きな生け簀や氷冷蔵庫までも備えていた。しかし、こうした店の方向は、蕎麦そのものをより美味しく進化させ、発展させるためによい方向だろうか。否である。豊富なメニューの数を扱いながら、「せいろ」の質を高めるのは至難の業である。

「せいろ」の美味さを決定するのは、蕎麦粉であり玄ソバである。片倉さんの蕎麦粉はどのようなものであったろう。製粉所から提供される蕎麦粉にはその質において問題がある。それゆえ、片倉さんが自家製粉にどのように取り組んでいたかを検討してみる必要がある。