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Junko散々語々

ライブ活動の紹介やシャンソン、自作の詩の解説、日常の雑感を三々五々綴ります。

再び札幌へ!(2012年後半の回想録③)

2013年01月09日 13時17分16秒 | Weblog

さて、God Handライブを終え、翌日は各種清算等に駆け回って、翌々日札幌へ

あまりに多忙となってしまった2012年後半でしたが、様々に迷い落ち込んだこの2年の状況が改

善されるかのように、物事が少しずつ良い方向へ動いて行く感じで、そうなると眠る時間削って

でもやらねばならないことはヤル気になる不思議さ

あまりに早く実現した札幌再訪など典型的カラダはキツく、多忙な中またまた荷造りは大変

でもやってのけて、着いてみれば師走の札幌は近来にない大雪

   

銀巴里時代は大体3月頃の来札が多かったので、中心地の主要道路はキレイに除雪されていて、

さすが北国はそんなものと思い込んでいたら、とんなでもない、ホテルから徒歩5分のライブハウス

に行くのに大道も脇道も同じ、ツルツルッと転びそうで倍以上かかるし、タクシーはデコボコに凍り付

いている雪道をガタンゴトン、ノロノロ走り、こっちも車内で左右に振られまくり 

   

それでも春先だと泥色に固まった雪しか見られなかった身には、美しいと言えばホントに真っ白で

美しいクリスマスムード満点の札幌でした。

 

ところで着いた翌日は、ぜひとも会いたいと、いわゆる「銀巴里同窓会」を呼びかけ、お仕事で忙し

い方もいらしたのに、最終的に5~6名集って下さって、ワイワイやれて楽しかったのですが…

銀巴里の前を通ったら、当然とはいえあの緑に白の懐かしい看板は無く(コンビニ右横)…

      

やっぱり、さみし~い

 

さて、いち早く呼んで下さった「上田」は小ぢんまりしたスナック兼シャンソニエですが、余分な飾りの

ない、スッキリと落ち着いた雰囲気で音響もよく歌いやすいお店でした。銀巴里の時のお客様が沢

山駆けつけて下さり、お店のお客様と合わせて満席!お店からもとても感謝されて、今後もぜひ!

というお話で、札幌詣では今年も続きそうです

     


念願の「God Handライブ」を開催した場所とは!?(2012年後半の回想録②)

2013年01月09日 11時50分19秒 | Weblog

ライブレポートでお先にご披露しましたが、暮れの12/9、念願の日登美マスターを中心とした

カクテルライブを開催しました。

会場としてお借りした「驢馬駱駝(ろまらくだ)」は、私が中野に住んで長く探していた独創的な

ライブをするのにふさわしい造りと広さ、ようやく地元に「本拠地」を見つけたぞ!という気持ち

でした。PAOというこのビル全体が中近東の雰囲気、9Fの驢馬駱駝は週末は主にベリーダン

スショーが開催されていますが、普段は窓際に張り付いたバーカウンターのみの営業。

    

               

見てください!夜ともなるとかなりのライブスペースを後に、新宿高層ビルの夜景を眺めつつ

窓際のカウンターでワインやカクテルを傾けるというゼイタクさ!昨年の6月、ここの存在を知

り、すぐ訪ねて、即座に「God Handライブ」の企画を立てました。

ここのチーフの方の「カウンターは貸したことがない」という半ば拒否に近い答えをアノ手コノ

手で説得、遂にOKを貰うまで3回通い、その後も本番までに20回は通ったかな~?

どなたをお連れしても「おお、東中野にこんな場所が!」と感激してくださり、「かんじ」→「驢馬

駱駝」→「日登美」を、東中野ゴールデンコースと称した方もいました。

但し、ハッキリ言って使用料は、夜は昼間のほぼ3倍、この夜景がタカいんですねぇ

回初めてなのでまずは昼間お借りしましたが、これはこれで面白く全く違った趣となりました。

「God Handライブ」の模様はこのHP「ライブレポート」の「GAKU写真館Ⅸ」又は以下のサイト

でお楽しみ下さい!


クリコがやってきた!(2012年後半の回想録①)

2013年01月08日 12時44分20秒 | Weblog

昨年は後半も色々イベントやニュース?があったのに、全くupできないまま年を越してしまい

ました。「何かあったのでは?」と心配してくださる方もいて、チョー遅ればせながら、昨年の出

来事を順次upさせて頂きます。

まずは、10月に久っさびさ、我が家に子猫がやってきました小平から中野に来て丸10年、

同居した娘の猫と一緒になり、こっちで保護した猫も加え、一時は10匹いた猫たちも、娘の飼

っていた3匹のうち1匹が9月にあの世に行って遂に半分の5匹に減りました。そこで、娘の強

い希望で亡くなった猫と同じ模様の雉トラ猫を…と、元々知り合いの「ネコネコ天使」さんにお願

いしたら、誂えたようにそっくりの柄の子猫がやってきたのです

他のネコが当然「フーッ」と怒る中、相変わらず我が家のまとめ役カリンちゃんが面倒見よくこ

のかいがいしさ、すっかり慣れた子猫はたちまち我が物顔(写真1~2段目)

ところがしばらくして、免疫が切れたのか子猫に風邪の症状が出てかなり重くなり、カリンち

ゃんにもうつって一騒ぎいっときは「縁がなかったか」と思うほど心配しましたが、我が家の

主治医「工藤動物病院」のお陰でだんだん元気になり(3段目)、完全に回復する頃には、いつ

の間にやら1階に住む猫全員の真ん中で仲良くオネンネするほど打ち解けていました(4段

目)。名前は娘が「栗子(クリコ)」と名づけました。

       

     

    

  


元旦ご来光一歩手前

2013年01月08日 12時22分02秒 | Weblog

新年明けましておめでとうございますm( _ _ )m

昨年は後半からムチャ忙しくなってしまい、ブログを開けるヒマもなかった気がします。

それでも、朝のウォーキングは頑張っており、元旦の早朝もこのように、先ずは家から美しい朝焼けを拝

み、近所の氷川神社と桜ヶ池不動院にお参りして、少し高台からご来光を拝もうとしたら…ちょっと早過ぎ

たか、西の空にはまだ満月がくっきり。東はさあ、昇るぞという手前でした。

     


ふしぎの森ライブvol.3報告②

2012年11月06日 15時06分00秒 | Weblog

そして、2部はサプライズ出演と前ぶれしましたが、オーナー加藤さんのコーナーを設け、歌って頂きまし

た。ご自分のライブは2年位ブランクがあったので、あれこれ悩まれたようですが、初めて聞いた東京組

は、「あんなにお上手とは!」と驚いていました。最後に百万本のバラを私がコーラスを入れさせて頂き、

「紅白のステキなデュエットだった」と仰る方もいて、久々の加藤ステージ無事終了。「今後また自分の単独

ライブを再開したい!」とのことでした。そう、頑張ってください!!

         

         

 

ライブ終了後は、恒例、本田での打上げへもうすっかりお馴染みになったお顔ぶれ、今年初参加の方

等々、いずれにしても、今回もあまりに美味で豊富なお料理と楽しいお喋りに、時の経つのも忘れました。

加藤さんをはじめ、いつも移動の車を提供して下さる倉田さん、お客様動員にご尽力下さる桜井さん、その

他、宇和島さん、永見さん、江連さん、山口さん(やっと覚えたゾ!)、初参加の伊藤美子さん(違ってたらゴ

メンなさい!)、ありがとうございました来年もぜひよろしくお願い致します

東京組の皆さんもお疲れ様本当にありがとうございました

                      

   

写真提供:松田慶子様


ふしぎの森ライブvol.3報告①

2012年11月04日 13時52分22秒 | Weblog

宇都宮「ふしぎの森」JFKライブは今年で3回目。前2回は6月にお邪魔していましたが、今年はその時期

JFK15周年ライブを開催したので、今回は10/21、初めて秋のライブとなりました。

            

といっても、この日は栃木でも気温が25℃と夏日全国的に暑~い夏模様が長引いて、この時期まだ

紅葉どころか木々も青々としたままでしたが、このように看板も立派にリニュ-アルされた「ふしぎの森」に

吹く風は、やはり東京とは違って澄んで爽やか。オーナー加藤さんも変わらずお元気で、東京組(今回は出

演者含め8名)を迎えに来て下さったり、会場でもまめに立ち働いて下さいました。

 

ライブは1部で、1年半の間に東京では身近な応援者たちが亡くなったり、札幌銀巴里閉店等の些か辛い

経験を乗り越えて頑張ってきた等々お話し、それにまつわる曲や、久しぶりに冬には南の国へ飛び立って

行くツバメを歌った「ラ・ゴロンドリーナ」を歌ったところ、後で「衣装がちょうどツバメみたいでピッタリだった」

と言われ、1部は白か黒と思ってたまたまこんな衣装にしてみたのに、改めて眺めるとホント、ツバメだ

             

 

 


北桂子追悼ライブ報告②

2012年10月11日 11時19分30秒 | Weblog

2部は各出演者と私がデュエットするコーナーを設けましたが、まずは黒ずくめの衣装で登場したえり&Junko、曲はこのブログで何度かそのエピソードを語らせて頂いた「命の声」(カッチーニのアヴェ・マリア)('12 1/11「新春命の声」参照)。この譜面を下さり「日本語をつけて歌ってください」と仰った草笛の菅間忠男さんとは、渋川の日本シャンソン館でもご一緒し、菅間ファンの方々も桂子ママがチャーターしたバスに同乗して渋川まで来て下さるという、ご縁がありました。

今は亡きお二人のためにコーラスアレンジしたこの曲を再び歌いたかった私です。慣れないクラシックの超スローな歌を、えりちゃん、よく頑張って歌ってくれました。ちなみに、私が来ているガウンのようなジョーゼットの衣装はママの遺品。えりちゃんが着ている黒ドレスは、ママの葬儀の時、私が(お古で悪いけど)あげたものです。

           

 

次は平山さんとフォルクローレの代表曲「ある古い歌の伝説」をハモりました。この曲は私が日本語詩をつけたものを、平山さんが「ママからお許しが出たので歌わせてほしい」と嬉しそうに依頼された記憶があります。「ママはそりゃあ、厳しかったワ」と思わず顔をしかめてホンネ?をつぶやき、皆さんの笑いを誘っていました。とても緩急がある歌なので、毎月毎月練習してもなかなか息が合わず大変でしたが、本番は見事にピッタリ、歌い切りました

          

 

4名のボーカル出演者のうち1名が、しかも唯一の男性歌手が減ることを札幌で知ってガク然、滞在中は北海道とは信じられない暑さ(宿舎はエアコン無し)と、最後の銀巴里出演ゆえ(前々記事参照)、色んな方々と日々ライブ後お別れ会といった状況で疲労とチョー寝不足、いつも機内で眠るヒトが帰りはずっと構成の組み直しであーでもない、こーでもない…><;(ちぃとグチらせて貰いました

その結果、まずはフレンチキスの2名にパフォーマンスしてもらう、男性歌手がいないから、私めが得意の?男っぽい衣装でキメる…大したアイデアでもなかった割に、まずFK1日目は伊勢沢ゆきが「ダニーボーイ」の歌詞を朗読して歌も披露、2日目は佐藤ふじをが「スコッチ&レイン」(南佳孝)を(いつもは私とデュエットですが)ソロで歌って、思わぬサプライズでとても喜ばれ、私も急ごしらえながら調達した衣装が結構ハマってこれまた「おお~!」の声が上がり、何とかカバーできたかと安堵しました

     

 

前述したように、かなりキツイ日程の中、2日間4回公演という、自分で自分の首を絞めかねない?ライブスケジュール、1回終わるごとに「あと3回もある!」「半分終わった!」「あと1回だ!」…こんなことを言い合いながら(すみません、決してイヤだからじゃなく、未体験のイベントを乗り越えようと励まし合い、喝を入れ合ってるんです)、遂に最終回まで頑張り通した次第です

出演者5名の他、親族とはいえプロのカクテルを無料提供して下さった香織さん、受付をして下さった、私がREDの守り神とお呼びしているMさん、サーバーを担当して下さったS君、初日に写真撮影の他サーバーも引き受けて下さったカメラウーマンのMe*Poさん、同じくお馴染み写真撮影の若松岳さん、お世話になりました。ありがとうございましたm( _ _ )m(GAKU写真館、いずれ又upします)

最後は後継者の藤木えりが、感謝の言葉と今後もREDをご支援下さい、とご挨拶、そしてアンコール無しで、私が作詞作曲、前進座でも歌わせて頂いた、北桂子讃歌「太陽の人」を全員コーラスで歌い、大団円となりましたこうして、北桂子ママの音楽一周忌を、温かいお客様に励まされ自分たちもそれぞれ感動感謝のうちに終えることができました

早々に団体様でご予約下さった方、ご病身を押して看護人付で来て下さった方、連休ゆえ他にご予定があったのをキャンセルして来て下さった方、遠方からの帰りだが間に合いそうだから、と駆けつけて下さった方…本当に皆々様、ありがとうございました桂子ママもどんなに嬉しかったことでしょうそうそう、私が北桂子になりきって?歌った「吉祥寺ソング」シリーズ、その後ぜひCDをほしいという方がいらして、嬉しい後日談がありました

お客様の中には「またここでライブやってよ!」の声があり、私も、昔のように毎月は無理でも時々ならと…考慮中。その暁には何卒よろしくお願い致します

      

(撮影:若松岳)


北桂子追悼ライブ報告①

2012年10月10日 09時42分01秒 | Weblog

人類初の細胞初期化という大発見とiPS細胞作製にノーベル賞が与えられ、久々の明るいビッグニュースに日本中湧きかえっています。SF好きの私としては単純に喜ぶより、これからの人類はどうなって行くのか…人間が死ななくなる時代が来たらどうなる?…やはりSFの読み過ぎか

でも、やはりもう少し早くこの技術が薬に応用されていたら…と様々な人の死を経験すると思わず考えてしまいます。

ちょうど1年前、前進座にて大きな葬儀が執り行われた北桂子ママの一周忌ライブを、敢えて、ママが最後まで守り抜き、入院後は毎日帰りたがっていた吉祥寺「サロン・ド・シャンソンRED」で、9/16、17、2日間4回公演という、私としても初のタイトなスケジュールで敢行しました

半月前は初日昼の部以外まだ半分位しか埋まっていなかったお席が、フタを開けてみればどの回もほぼ同数の25~30名弱で、すべて満席となり、私たちも努力しましたが、やはりママの偉大さ彼女が招き寄せたに違いありません

     

ママとは直接面識がないにも拘らず、私の常日頃からの話や前進座ラストコンサートも来て感激して下さった、宇都宮「ふしぎの森」オーナーからこのような素晴らしいお花が…ママによく似合う…

       

      

冒頭は、お父様が亡くなられ、残念ながら急遽出演不可能となった佐藤健について、お詫びの言葉、そして挨拶…(歌っているようにしか見えませんね

歌のトップバッターは藤木えり。まだ20代(辛うじて?)の若さでこのREDを受継ぎ、これからこの場をお教室&ライブハウスとして発展させ、自分のアーティスト(歌、ピアノ)としての可能性も広げて行こうという、輝かしい未来と果てしないイバラの道をこの可愛さ美しさ、(多少ヌケてる?)性格のよさで乗り切って行こうとしています応援してやって下さい

次いで登場するのは平山紀美子。忘れもしない、私が39才でデビューと話題になり(あの頃はまだ珍しかった)、あちこちの新聞雑誌に載ったのを見て、私に達筆で長いお手紙を下さった人。私が教えるのはムリ、とピアノの後藤先生を紹介したことから、私同様長いREDとのお付き合いとアマチュアながら歌い続けてきた歴史を持っています。

私は「半分愛して」北桂子エピソードとして、この曲が日本クラウンから発売されたのをママが大変喜んでくれて、私を講師として「半分愛してを歌おう教室」を開いてくれた話を…その時のテープが残っていたので、ママの例のおしゃべりで仕切り屋ぶりを発揮している場面をお聞かせし、大ウケ…泣く人も…

   

 

1部の最後は、私が桂子ママを髣髴とさせる?と信じて選んだ衣装(提供:有里企画)で登場、ママがリリースした3曲のオリジナル「炎~吉祥寺ラブソング~光の街吉祥寺タウン」を熱唱この3曲の歴史をご存知の方は喜んで下さり、知らない方も「こんな吉祥寺の歌があるとは!とても新鮮に聞けた」と、声を掛けてくださいました

        

 

休憩に入る前に、ママの長女で「バー・カオス」店主・中原香織さんより、親族としてのご挨拶。「本来、親族が一周忌法要をせねばならないところ、こうして追悼ライブを企画して下さったことは、ママにもとっもふさわしいし、感謝しています」とありがたいお言葉。

しかも、バーテンとして「keikoカクテル」「Erineカクテル」を考案、提供して下さり、フリードリンクとしたため、昼間からでも皆さん飲むわ飲むわ(右端・大忙しの様子)。妹の麻里さんからはママのトレードマークだった「四葉のクローバー」のクッキーを皆さんへ、と差し入れてくださいました

       

(撮影:若松岳)

  

 

 

 


銀巴里9年間21回の出演感謝!!

2012年09月23日 11時59分34秒 | Weblog

この1ヶ月半、我が歌人生の中でも1~2位を争う激動の日々でした。8/1、名古屋ライブを追え、故郷福井方面直通の特急「しらさぎ」に乗車中、札幌「銀巴里」からの留守電に気づき…「ん?つい先だって出演したばかり。次回のオファーにしては早すぎるし、何かあったかしら?」デッキに出てケータイから掛けたところ…「9月一杯で銀巴里を閉じることにした。ついては9月半ば頃最後の出演をしてほしい。でもこの話は従業員にさえまだ知らせてないので極秘に!」との驚くべき話でした

次回は多分10~11月頃の出演となることを予想、念願だった東京からの銀巴里ツアーを組もうと本格的に企画を練り始めた矢先え~っ、46年の銀巴里がこの9月で閉じるツアーが間に合わないいや、それより9月半ばはREDママの追悼ライブ、とてもムリ

結局、銀巴里サイドの配慮で9/1~7の出演と決定、よりによってお盆の時期に募集、20日締め切りというムリを承知のツアー企画を取り急ぎ立てつつ、片やママ追悼ライブも2日間4回公演という厳しいスケジュールにしたので、共演者たちと内容を詰めなければいけない時期、お客様動員も全体でまだ半分位しか来ていない…が、札幌は1週間の滞在、いつも衣装、靴、譜面、CD、普段の着替え等々荷造りがハンパじゃなく、もう見切り発車のように羽田から新千歳へ

結果、ありがたくも4名の方々が東京から駆けつけてくださり(上左:お馴染み熊さんと)、地元の常連様もかくのごとく(上右:いつもご夫婦で。下左:ジャズのスージーさんはじめ毎回お越し下さる方々と。下右:ライブ後いつもお寄りするスナックで)

    

    

 

そして、お店の方々とは、日曜日に女子会を開いて大はしゃぎ(上左)、2軒目に行った狸小路の屋台村みたいなところにあった「網走ビール、流氷ドラフト」なるビールはオホーツク海の青い色とか書いてありましたが、どう見ても薄墨色で、はっきり言ってマズイのに2本も飲んじゃった(上右)                 銀巴里では熊さん(中左)、今平光子さん(中右)、ピアノの渡辺真美ちゃん(下左)、スタッフのあかねちゃん(下右の左)、井下田美穂ちゃん(下右の右)たちと、名残惜しくも記念撮影。他の方々と撮りきれず残念><;

   

                 

   

 

あれから2週間、銀巴里はいよいよ最後の1週間を残すのみとなりました。そんなところへいつも足を運んでくださったDNP(大日本印刷)の方から突然電話、「Junkoさん、びっくりですよ、今日の北海道新聞の夕刊(9/19)を開いたら、銀巴里閉店のことが出ていて、Junkoさんが歌っている写真が大きく出てますよ」そして、翌朝早速添付でPCに送って下さいました。確かに、私の出演中に取材がありましたが、北海道一の販売数の新聞にこんなに大きく載るとは翌日ピアノの真美ちゃんからも電話があり、「マスターが店に出てきました思ったより元気」とのこと。そもそもマスターのがん闘病が厳しくなり、遂に46年の歴史に幕を下ろすことになった次第ですが、ここ数日は立錐の余地もないほどのお客様とか。

この心温かき人たちの集う銀巴里、そして札幌の街。私はお礼状にこう書きました。「39才でデビューした私が、46年の歴史の最後に間に合ったのは一つの奇跡かも知れません。さすれば感傷的な思い出とすることなく、札幌には今後も必ず参ります。サヨナラではなくまたお逢いしましょう!ひとまずありがとうございました。お元気でお過ごし下さいませ。」私の偽らざる思いです。足掛け9年間計21回の出演をさせて頂きました。、ありがとうございましたまた逢いに行きます

            

 


徳川詣でのご利益?エルムの夜は好評!!

2012年08月09日 11時06分26秒 | Weblog

札幌後、一旦東京に戻りましたが、札幌より涼しくなったり猛暑に戻ったりの中、各飲み会、暑気払い、(熟)女子会等々続いた後、炎暑の名古屋へ

珍しく名古屋観光をさせて頂く機会を得て、まずは徳川園の日本庭園を見せて頂き、

  

 

名古屋市役所(左)、愛知県庁(右)が並ぶお役所街、いずれも屋根がお城みたい…

  

 

そりゃあ何てったって、目の前が尾張名古屋は城で持つ~の名古屋城5~6年名古屋に通ってますが、お城見物したのは実は初めて暑いのには参りましたが、途中までエスカレーターがあるので、頑張って天守閣まで昇ってきました。全体の敷地が広いの何の…さすが徳川様です

      

 

さて、肝心のエルムライブは、共演の橋本奈央子ちゃんのお陰でお客様もかなり入り、初めて聞いてくださった方々がいらしたせいか、はたまた奈央子ちゃんのPRが効いたせいか、CDが10枚以上も出まして、嬉しいやらびっくりやら夜は夜でご贔屓下さる方々から美味しいもののご接待名古屋の皆々様、奈央子様、今回も本当にありがとうございました