春も美しいけど、初夏の花々の艶やかさは、また一味違います。やはり主役はアジサイですなぁ~
一昨年も見せて頂きましたが、台東区の鳥越神社の壮大なお祭りを、今年も見ることができました。
やはり、お江戸の祭りの迫力はさすが特に圧巻は、都内一の大きさ、千貫神輿と呼ばれる大神輿の
渡御。五色の旗や猿田彦(天狗)の先導で、下町の各町内を練り歩き、その人出のすごさもさることな
がら、神輿の胴体の大きさに比べ担ぎ棒が太短いため、担ぎ手の負担がハンパではないとのことで、
かくのごとく、男同士がここまで密着して担ぎ上げる迫力たるや、尋常ではない
思わず、呼んで頂いたお宅で、担ぎ終えたいなせなオニイサンの、真赤に腫れ上がった首と肩を撮らせて頂いちゃいました
明日6/20より私は札幌ライブ。あれからもう1ヶ月も経ってしまいましたが…
ちょうど1ヶ月前の5/20は、例の「同窓会~ノスタルジア~」告知ライブという形を取った、吉沢京子さん、鈴木裕子ちゃんのライブ・シリーズ「京のことだま」にゲスト出演させて頂き、御茶ノ水ワテラス内のコモンホールという、音響の素晴らしいステージで、気持ちよく歌わせて頂きました。
1部は、ルナソレのオリジナル曲「私からのプロポーズ」をメインテーマにした内容で、京子さんが朗読やシャンソン、そして、かなりリズミックな同曲をいつの間に覚えて、見事に歌いこなされたのには、失礼ながらびっくりでした
そして、私は2部で着物姿の京子さんに招かれてステージへ。
ちょうどほぼ1年前、ルナソレ10周年ライブにゲスト出演、踊ってくださった「憂いこともなし」の再演。
「同窓会」が生まれるきっかけとなった「半分愛して」や、京子さんのリクエストで「モルダウ河の歌」、ラストは「ドアを開けて」を京子さんと2人で。アンコールは、福井や浦和で大変好評だった「愛の讃歌」を、朗読と歌で締めくくりました。
終わってからの打ち上げで、あちこちのお席に呼ばれ、晴れがましくもおホメの言葉をたくさん頂き、後に京子さんからも「お陰様で、今までで一番好評でした」と感謝されて、チョー嬉しかったデス
福井へもご一緒した、京子さんのお母様(左端)も交えての記念写真
我が故郷・福井は坂井市三国町安島にある大湊神社を拠点とし、目の前に浮かぶ神の島である「雄島(おしま)」(13 2/9 雪の福井は花の福井に… 参照)から自然、伝統文化、風土を再確認、世界へ発信していこうという季刊誌であります。
発刊されたばかりの2014年夏号が送られてきまして、3月初めに「9年ぶりの同窓会」として、福井市内、あわら湯の町でライブをしましたが(14 3/19 幾つになっても、新たな境地開拓 参照)、その翌日皆でこの雄島と大湊神社を尋ねた時の様子を含め、詳しく掲載されています。
吉沢京子さんとルナソレ・鈴木裕子は「また、あわらと三国に行きたい」と顔を合わせればお経を唱えるように言っておりますが、皆々様のご希望が集まれば、また福井ツアーを組めるかと…
私の手元に20冊ほどあります。ご希望の方に無料で差し上げますので、ご連絡下さい(k-junko@soleil.ocn.ne.jp) 無くなり次第締め切ります。
実は、私が一連の同窓会シリーズを終え、ようやくホッと一息、という時、我が家の“守り神”カリンちゃんが急にゴハンを食べなくなり、何と計5日も絶食状態ワタシャ疲れを癒すどころか、さらに神経が参りそうな日々が続いていたのです
獣医さんの診断は「歯と歯茎がすっかり弱って腫れ上がっており、感染症の疑いも」。どういう治療をするか散々話し合い、歯が溶けかかって薄くなっており、抜歯等に耐えられないということで、結局軽めの麻酔をして丁寧に歯石をとり、感染症も注射や強い薬で退治して、2週間近くかかって何とか快方に
あの食いしん坊で元気者がベッドにジッとうずくまったまま、時々嘔吐とたまにトイレと水飲みだけという日々、オスで15才というトシもトシ、一時はかなり覚悟しましたが
、何とかこのように、お気に入りのキッチンの窓際に上ってゴハンの催促をするまでになり、ホッとしています
でも、医者は「また悪くなる可能性大。歯磨きもできないし次回はどう治療するか問題」と、嬉しくない予測。いや、とにかく元通りの元気な様子に、今悩んでもしょうがない、少しでも長生きしてね、と目いっぱい可愛がってる次第デス
さあ、そこであちこち不義理していた方々とのお付き合いやお誘いにも乗って、何と3日連チャン飲み会いずれも、2~3軒ハシゴは当たり前、最後は必ず我がお気に入りの地元の店へ。
何と中日はもうすぐ胆石の手術をするはずの、フレンチキス・ピアニスト伊勢沢ゆきの急な誘いで吉祥寺へ。しかし帰りがけ西武新宿線に回って新井薬師まで一緒に来てしまい、そこでこの驚くべき光景彼女は揚げ物等お肉系、米の飯ばかり食べる人だったのに、注文するのは、春菊、セリ、ウド等々季節の野菜ばかり。「すっかり好みが変わったんです」とこの嬉しそうな顔。そうかぁ、やっと大人になったのね
さて最終日は知人の退職祝で東中野の、今や超人気店となっている「居酒屋かんじ」へ。久しぶりの訪問でしたが、そこで何と 「ノレソレ卵」というメニューが。「え?ノレソレの卵とじ?そんなァ!生でポン酢で食べられないの?」と聞いたら、粋で気のいいマスター、「合点承知」とばかり、寿司屋で頼んだら目の玉飛び出る料金になりそうな、大盛りノレソレを出してくれました。もうもう、この春の信じられないハッピー・グルメでした
ちなみに、ノレソレとはアナゴの稚魚で、見た目はトコロテンみたい。のど越しもツルツルとしてほぼ無味無臭、春先のこの時期しか楽しめない不思議な食感の逸品です
遠くへ花見に行かずとも、中野通りの桜並木はあらゆる咲き方を見せてくれて今年も健在。
毎年、ウォーキングを促進させるきっかけともなってくれます。
桜並木のトンネルに提燈がずらり、この時期の代表的な風景です。
哲学堂から妙正寺川へ咲き零れる、これまた有名な景色。
風雨の多い今年の開花期、この日は早朝から日本晴れ。
哲学堂公園内の緑とピンクのコントラストも美しい。
これはもう圧巻の勝ちどき桜
今年も楽しませて頂きました
2014年になって初のブログupとなり、我ながらビックリ
忘れていたとか、うっかりしていたとかじゃなく、まるでアタマの中になかったのが正直なところ
HP表紙にもある通り、女優の吉沢京子さんが我が作詞(作曲・鈴木裕子)「同窓会~ノスタルジア~)をCD発売してからというもの、いわゆるキャンペーン的なライブを自分たちの手でやろうと、1~2月首都圏、3月には故郷・福井ライブ、戻ってからも追加で浦和ライブと続き、これら一連の企画のため、昨年暮れから必死のPR活動と準備で、他のことはすべてスッ飛んでいましたァ
首都圏では週一で小平~町田~船橋~横浜、後半あの大雪にもモロ見舞われ、考えてみたら準備も含め毎週はかなりハード、そして福井は2箇所3ライブぶっ続け、観光&グルメ案内、確か昨年も春は神戸~福井~京都~札幌とオソロシイ日程をこなした記憶があるけど、今年はそれを上回る長丁場。トシを重ねるほど多忙になるワタシってナニ?ダレ?
しかしながら、各地をめぐって展開する「9年ぶりの同窓会」シリーズは、朗読と歌(福井では+踊り)という新しいライブスタイルを構成、実行してみて目を開かれる思いでした。吉沢京子さんの語りから歌に入っていくと、いつもと違った景色が見えたり、違う声、表現が自ずと出てきたり、不思議な現象が多々ありました。
彼女の等身大のナチュラルな「同窓会」の歌とまつわるエピソードのお喋り含めさすが女優!と感じ入ったけれど、彼女に言わせれば「Junkoさんの歌や裕子さんのピアノに乗せられて、自然に言葉が出てくるだけ」と…。そう、各地で「いつの間にかスーッとステージに入り込み、感動し涙が…3人の相乗効果の素晴らしさ」との声を沢山頂き、幾つになっても未知の可能性ってまだまだあるんだなあ、と新たな感激感慨を味わった次第です。
……にしても、疲れた~~好きでやってるんだけど~~もう少しどこかで手抜きしないとなぁ~来年コキなんだぞぉ~
でも、5月には京子さんサイドのライブに今度はゲストとして出演させて頂くことになり、「え~っワタシでいいのぉ~
」と言いつつ、長生きはするもんだ、それこそしばらくサボっていたウォーキングを再開するなど、体力を作り直さにゃあ~というところデス
以下、写真は主に福井ライブの様子ですが、首都圏各地の皆様、福井の皆様、もうもう、本当にお世話になりました。ありがとうございました
とてもとても迷いましたが、やはり、改めて私の瞼に心に焼きつけ刻んでおきたいと、ブログに載せさせて頂くことにしました。
毎年夏、名古屋の唯一のシャンソニエ「エルム」に出演させて頂いておりますが、最近特にご一緒する機会が多い地元の歌手は橋本奈央子さんでした。
「エルム・パーティー」という名称で東京から歌手を呼び、地元の歌手とのジョイントを1ヶ月間続ける企画で、色んな方と組んで来ましたが、ある時奈央子さんからお手紙が来て「私はJunkoさんの大ファンです。今度ぜひご一緒させて頂きたく…etc.」ということで言わばご指名を頂き、その年早速実現した次第。
その上、一昨年の春、新宿のシャンソニエ出演の折わざわざ訪ねて見えて、JFKで前年出したばかりのアルバム「懐かしい人々へ」の中の、ミレイユ・マチューの♪別れの詩(わかれのうた)♪を私の日本語詩で歌わせてほしい、とのことでした。そして、一昨年(2011、8.4記事参照)、昨年(2012 8.9記事参照)と、エルム・パーティーでご一緒し、その詩を彼女が切々と歌ってくれて、大変感激したことも、まだ記憶に新しい思い出です。
今年は、エルムの創立25周年とのことで、夏はその祝賀行事に専念されたらしく、エルム・パーティーはお休みだった模様。私も春~初夏と旅続きであまりに忙しく、奈央子さんとの連絡も1度メールしたけど返信がなかった覚えがありつつそのままになってしまい、結局この年末、年賀状をそろそろ…という時期になるまで、名古屋の様子を詳細に知ることなく来てしまい…
ここに来てふと気になって、エルムのHPを久しぶりに詳しく見てみると、何と、今年のどの月を見ても奈央子さんは出演しておらず、「えっ?辞めたの?」…だんだん不安になり、やむを得ず「橋本奈央子」で焦って検索すると…!エルムに出演の歌手の方や、縁の方のブログには、何と「今年の1月1日に彼女が子宮癌で亡くなった」ことが綴られておりました!
そんなバカな!!あの若さで!!41歳?もっともっと若く見えたけど、それにしても若すぎる!何で?そんな急に!?若いからこそ急だったのかも知れません…でも、一昨年、昨年の以下の写真を見て下さい。およそ、死とは縁遠い、溌剌とした表情、伸びやかで健康そうな身体…
1年近く何も知らなかった!お悔やみもできなかった!今更どうすれば?…激しい衝撃と後悔に打ちのめされてしばし呆然としていましたが、とにかく、何かしないと自分の気が済まない、他のことが手につかない!
猛然とパソコンを打ち始め、相手のご迷惑も考えず、半日かかって長々とお手紙を作り上げました。私は彼女のご親族等の関係者は誰1人存じ上げない、知っているのは、エルムの実質的オーナー、日仏シャンソン協会の長でもいらっしゃる、加藤修滋さんしかおりません。
お悔やみの礼儀上は見当違いの相手に長い手紙、わずかなお香典の失礼を百も承知で、「エルムはシャンソン歌手としての奈央子さんの実家、加藤さんは父」と決めつけ、私の気が済むように何が何でもお納め下さい、という言葉をしつこく繰り返して、投函してしまいました。
嬉しいことに、翌々日の午前中、加藤さんから直接お電話が参りました。私の気持ちを十分に汲み取って下さったばかりか、奈央子さんについては、亡くなる1年ほど前から出血があったり不安定な体調ながら、子宮癌との診断が遅れ、やっと精密検査をした時点で末期だったこと、私の全く知らない波乱万丈の人生とトラブルを含む事情があった…とのお話を様々ないきさつ、角度からお聞きし、真実のほどは私には何も分からないながら「Junkoさんのお手紙で自分も救われた思いです」とのお言葉に、加藤さんもこの1年、偲ぶ会もできない状況の中で相当に悩み苦しまれたことは事実であろうと、深く察せられました。
あとわずかで一周忌を迎える、奈央子さんの41年の人生。私が知るのは、普段はいつもニコニコして、エルムでは一番だったという動員力を生かして、私のCDを沢山売って下さった姿。ステージでは、もう若いとは言えない女性の心理を歌わせると絶妙、そして♪別れの詩♪は「自分の思い出に重なる、いろんな言葉がピッタリ来る」から歌いたいと…
でも、貴女自身がこの世に別れを告げるのは早過ぎます…
♪別れの詩♪の最後の一説を捧げ、私からの感謝と追悼の言葉とさせて頂きます。
合掌
きらめく日々の想い出を 言葉に変えてほほえめば
すべては消えて 残るのは
“ありがとう” 一言だけ
2011年7月27日
2012年7月31日
札幌より帰宅後、様々なお約束お付き合いが続く中、私が中野に住んで以来ずっと通い続けた、今どき珍しいレコードを聞かせる店として20年近く営業していた「時間旅行」という店が、いよいよ閉店ということで、1ヶ月以上前から準備していたお別れパーティーを11/21開きました。
若い人からは「お母さん」と慕われ、京都の出身のママさんは本当に優しくて癒される存在。「ひっそりと黙って京都へ帰る」と仰るので「それはダメ!知らない間に閉店になっているとお客様が傷つく、そこは何としても最後のお別れ会を開いてけじめをつけなきゃ」と、年上の方にえらそうに言ってしまった手前何度か打ち合わせに通い、慣れたものだからチラシを作るなどして当日を迎えました。10名ちょっとしか入れない店なので、人数を絞るのが大変でしたが、さすがママさん、最後は素敵な方ばかり集り、和やかで感動的なお別れ会となりました
店内には、ジャズ、ロック、クラシック等様々な“お宝物”の名アルバムのジャケットが飾られ、壁際にはビッシリと沢山のレコードが。仄暗い灯り、年代物の掛時計、厨房にもビートルズを初めとするロックミュージシャンのポスターが貼り巡らされ、賑やかな中野の歓楽街の一角で、良きレトロな時代を表現している貴重なスポット
ここで知りあった個性的な人々、若者たちも沢山います。皆、この大人の空間を満喫し、愉快な人生の一コマを共有できた、二つとないユニークな店でした
SF好きの私は「時間旅行」という名前も気に入っていたので、わざと単純に2色刷りで宇宙に向かうロケットの絵を入れたチラシを作りましたが、かなり好評、思いがけず以下の呼びかけの文章も「感激した」とホメられ、ゴキゲン
たくさんの音楽 あたたかいおしゃべり おいしいお酒と おつまみで
私たちを癒してくれた 時間行が 旅に出ます
過去未来に微笑んで 見送りましょう!
ママ、長い間お疲れ様でした。ママさん皆さん、まだまだ時間旅行の途中、どこかでお会いしましょう