マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

エリザベス・キューブラ・ロス博士-臨死はヘソの緒つきの死-

2007年10月22日 18時47分18秒 | ★書籍で探訪|他、大学教授や医師等の見解
また、立花隆氏の「臨死体験 上 」文芸春秋を読んでいまして、「そうだよねェ」
と思うことがありました。

エリザベス・キューブラ・ロス博士は、臨死体験者について
「私は思うのです。臨死状態で体験するのは、死後の世界そのものではなく、生か
ら死への移行過程なのではないか。臨死体験者というのは、死んでしまった人では
なく、生き返る人なのです。」

「死後の世界に完全に移行した人ではないのです。いわば彼は、死後の世界におい
ては、生まれたばかりの、ヘソの緒をつけた赤ちゃんのようなものです。」

「ヘソの緒を切らなければ、もう一度お母さんの胎内に戻ることだって可能なわけ
です。臨死体験者は、そういうヘソの緒つきの死者なのです。」
と、インタビューに答えています。

そして、
「ヘソの緒によってこの世とつながっている。だから戻ることができる。本当の死
を体験するのは、ヘソの緒を切られてからなのです。」

「それが切れたら、もうこの世には戻ってこれない。」

「だから、臨死体験者が語っているのは、あくまでもヘソの緒つきの状態で、生と
死の境界領域をさまよったときの体験なのです。」

「では、その向こうには何があるのか。」
「恐らく、臨死体験者が語る“光の世界”というのが、その向こうにあるものをか
いまみた体験なのでしょう。」
と、語っておられます。

その向こうですか・・・
臨死体験で見る空間といいますか、世界までは「この世に戻って来られる領域」な
ので九死に一生を得た人で臨死体験を体験した人の話は今日ではかなり世間に伝え
られていますが、完全にといいますか、本当に死んだ場合は・・・

キューブラ・ロス博士は、
「その向こうが本当のところどうなっているかは、本当に死なないかぎりわからな
いことだと思います。いずれにしろ、その向こうの世界は、純粋にスピリチュアル
なエネルギーに支配された世界だろうと思います。」
と推察しています。

・・・

実際に、人の目でといいますか、この世にいる(戻って来れた)人が実際に体験し
た見えない世界というのは、

「気づくと、上のほうから下を見下ろし、自分自身やその周りに集まっている人々を見た」

とういうような臨死体験,体外離脱体験までです。

突発的な事故や急病でこのような体験をした方のなかには、随分と奥まで(あの世
の世界の中まで)見て来られた方もありますが、一番多いのは、「上からとか、横
に立って、運ばれたりベッドで寝ている自分自身を見た」というところです。

キューブラ・ロス博士も自書の中で、
少なくとも、この死の入口に立ったところまでは、もはや多くの研究の結果から解
明された(少なくとも自分自身を見るということはあるということを掴んだ)と語
っておられます。

確かに、私も飯田史彦教授の新版「生きがいの創造」PHPを読み、また多くの臨
死体験談を記した書籍を読むと、「死にかけた際、知らない、見たこともない現象
や世界を見た」というところまでは、オカルトではなく、学問領域として認められ、
研究対象になる事柄だと思います。

事実、そのような視点から学問領域として多くの学者さんが色々と調査されていま
すからね。

しかし、これより先は、この臨死体験、体外離脱体験から得た情報を元にした想像
の領域に入っていき、霊能者などが語るあの世の世界の話で知るに至るといった、
学問とオカルトとがどうしても混ざる領域だと思います。

臨死体験という、ヘソの緒つきの死は、調べることが出来る⇒科学的に調査できる

あの世という世界の存在⇒これは、本当に死んでみないとわからない⇒死んでしま
うと、臨死体験者のようにこの世に戻ってきて語ることはできない⇒科学的には調
査できない=この領域まで来ると、どうしてもオカルト扱いになってしまう


ですから、死というものと死後の世界の全てを「あの世」という言葉にしてしまうと・・・

「あの世」に関する話をしますと、本当に身近な人の死と向き合ったことのない方
や自分自身が死に直面したことがない方にとっては、

「このような話に興味を持つ人は、ちょっと頭の中が変な人だ」と、そういう方か
ら見られがちになります。

どちらも結局はオカルトだろと言われてしまうと、それまでのようにも思いますが、
ただ「臨死体験」というのはオカルトとは違います。

臨死体験者(体外離脱体験者)が見た世界というのは、データをきちんと取り
どういう状況で、何を見たのかをリサーチしていけば、学問の見地から「人は、死
にかけた際や生と死の狭間に立った瞬間には、○○のような状態となり、○○のよ
うな光景を見て、○○のようなところへ移行する」と言い切れるところまで追究で
きるようになるのではないかと思うのです。

そこまで学問的に、また科学的に言い切れたときには、同時に、
「人は、肉体には必ず寿命というものがあるけど、心・魂・意識・精神は肉体と分
離でき、肉体亡き後も『私(自分)』という存在は残るのだ」ということが証明さ
れるということにも繋がると思います。

・・・

私も・・・やはりこのようなことを考えてしまうのは、
「肉体と同じように、いつかは全て無になる」というのは、どうしても信じがたい
んでしょうね。

だいたい、本当に無になるんだったら、このような体験談は出て来ないでしょうし、
江原啓之さんのように「ズバリ、故人と本当に身近な人しか知らないことを言い
当てる」
なんてことも出来ないでしょう。

それに、はじめから作り事だったなら、
作り事に上塗りを重ねていっても、どこかで矛盾が生じ限界がくるでしょうから。

臨死体験、体外離脱体験を書いた書籍を読むと、
「まずは万人に『見えない世界』について分かってもらうためには、この体験談の
科学的調査からだな」
と思うのです。

まぁ、無理矢理万人に分かってもらうことでもないでしょうけど。
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