マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

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ニートが1200万人を突破、社会不安の要因になるとの指摘も―中国

2007年12月26日 17時40分25秒 | □私の気になる記事
ニートが1200万人を突破、社会不安の要因になるとの指摘も―中国

2007年12月、中国青少年研究センター、中国人民大学人口発展研究センターは共同
で報告書「中国青年人口発展状況研究報告」を発表した。同報告書によれば、2005
年時点で16歳から35歳の3.62%、1216万人がいわゆるニート(NEET)になってい
るという。新華社が伝えた。

同報告書によるとニートは3つの類型に分けることが出来るという。第一に「鉄飯
碗(鉄のお茶碗、食いっぱぐれないことを意味する)」の終身雇用時代が終わり、
中国では転職が一般的になっているが、就職情報の不足もあって離職した後、一定
期間無職となっている者。第二に海外留学や大学院受験の準備をしている者。そし
て最後に労働意欲がなかったり、好条件を求めて就業を拒否している者となる(日
本で3番目のカテゴリーだけをニートと呼ぶことが多い)。離職率が高い中国では
企業が社員を教育する意識が弱いと言われており、青年期にキャリアを積めなけれ
ば将来の就職はますます厳しくなる一方。1000万人を超えるニートは今後社会不安
の要因になる可能性も指摘されている。

・・・

中国は規模が大きい分、日本やアメリカのようにどんどん資本主義経済を取り入れ
て行くと、同じような問題でも大きな数値になりますね。

共産主義で、国から仕事が与えられ、裕福でなくても公務員のような安定した生活
のほうがよかったと思っている中国の方も多いように思います。

仕事の選択に自由が欲しい。貧しい生活はイヤ、金持ちになりたい。
自分の能力を最大限に生かしたい。チャンスが欲しい。
その思いと、行動、そして結果として本当に豊かになった人も大勢いるでしょうけ
ど、大半の人は、思いは夢と終わり、残ったものは日本と同じような実力主義、
能力主義、成果主義、終身雇用の崩壊、過剰労働、競争社会への変貌だけ。

昔の中国のような共産主義は、ある意味「最低限の幸せと安定」は保障されていた
のに、中国の場合は国家というよりも、情報が容易に手に入る時代となって、「自
分の今の生活はどうなのか」「この生活で普通なのか」「いやもっと豊かな人がい
る」「私もそうなりたい」と、中国国民自らが競って富を目指すようになり、急速
に走り出してしまったように思います。
中国国民自らが招いた(作り上げた)結果に見えますね。

中国の国策として資本主義の考えを取り入れたのは確かですが、国の統制も効かな
いくらいに一斉に「富」を目指した国民。

その姿が正しい選択であったのかどうかは、あと数年後にははっきりするのでは
ないでしょうか。

私は、国民全員に政府からの統制があったとしても、最低限の生活が出来て、貧し
くても村々で幸せに人生を送れた頃の中国のほうが「人間として生きる」には、と
ても素晴らしい仕組みだったと思います。

自由にはリスクがある。富は、努力すれば自然と付いてくるというものでもない。
旨く潜り抜けられる要領の良い人間と、下手な人間とでは、同じように努力しても
まったく違った人生になるということを、中国で自由を求めた若者や働き盛りの人
は、今身にしみて過去長い間中国で行われてきた政策の有り難さを思い出している
のではないでしょうか。

資本主義が良く(優れている)て、共産主義が悪い(劣る)
なんてことは一概に言えません。


朝日を見て、夕陽が沈む頃には、仕事を終えて、夜はゆっくり家族と過ごす。
一日一日をのんびりとした時間の中で過ごす。
何気ない今日あったことを、家族や恋人と話しては、笑ったり共に考えたりする。


その生活スタイルを捨てて、資本主義の国のようせっかちな国にしていいのかどう
なのか。
努力だけではなく、要領の良い人が使いきれないくらいの財産を得る。
一方では、路上生活や極貧の生活で一日を生きるのにも必死な人がごまんといる。

13億1,448万人もいる中国国民が8割いや5割でも「豊かになれる」のであれば、
資本主義で突き進めばよいですけど、「モノは豊かになった。しかし、家族との
会話が減った」「好きなモノが買えるようになった。でも他人を思う心はなくなった」
では。。。
そして、いったい何万人の人が資本主義路線を選んだことに満足しているのか。

何が幸せなのかは分かりません。

一度は「カネがいっぱい手に入って、いい車も買えたよ」
「欲しいものは、全て手に入れた」
というのを味わいたい気持ちは分かります。

「一度は、良い生活をしたい」
「一度は、お金に困らない生活をしたい」

しかし、13億人もの人が皆思い思いの願いが叶うかどうかの保障もないなか、
「安定」を国が国民に与えていた「共産主義」を捨ててしまって、賭け事のよう
に私たちのいる日本、そしてアメリカのような弱肉強食の競争社会に変えて、そこ
へ飛び込んでしまって。。。
いったんそういう競争の世界に進むと、もう後には戻れません。


何事も一長一短あることではありますが、
「物(モノ)の豊かさ」を追い求めると、「心の豊かさ」は減っていくものです。

中国はそのバランスが一番旨くとれていた国家だったのに、もったいないですね。

特売に駆け寄るように、「富を得られる」というキャッチフレーズに駆け寄った
中国国民は、数年後、何がいったい正しい姿だったのか考えるときが来ると思います。

先に実力主義、能力主義、成果主義、終身雇用の崩壊、過剰労働、競争社会への変
貌の道を進んだ諸外国の悪いところを見て、それを回避することは出来なかったの
でしょうか。いくら国家権力を用いても、動き出した方向で「これは日本やアメリ
カのようにならないようにしよう」という回避などできないのでしょうね。

中国も大卒が増えて、経済が発展して物価は上っているのに、大卒新卒の給料は下
がり、さらには就職先にも困るといった報道を目にしました。

日本も昔はほんの一部の人だけが大学に行けた時代がありましたね。
今は、大学に行きたい、大卒になるのは容易になりました。
貧しくても奨学金の制度もありますし、大体少子化で定員割れの大学がゴロゴロ出
てきている時代ですから、選ばなければ誰でも大卒になれます。
お金を貯めてから、大学に行くという方法もありますし。

「大学を出たら何とかなる」が中国でもすでに崩れてきています。
日本はとっくにそんな考えは崩壊しています。

じゃぁ大学まで出て何になるの?どうなったの?
地元を離れて、そして恋人と別れて都会に出てきて、何が得られたの?
あなたの求めていたものは手に入りましたか?
犠牲にしたもの以上に、幸せを掴めましたか?

そう問いかけると、「そうだ!手に入ったぞ!」
という人は、ほんのごく一部でしょう。

アフリカで家族や一族と共に動物を狩して日々暮らすのがよいのか、

日本のように競争競争の社会の中、ほんのひと時の休息(休日)の中で、液晶テレ
ビなど最新の電化製品に囲まれて暮らすのがよいのか、

先進国では死に至らないような病気で死んでしまうというところと、脳死状態でも
生きながらえることが可能な最先端の医療を持つ国に住むというのと、どちらが良
くてどちらが悪いのか、

何も言えませんよね。
他人の芝生は青く見えるものです。

ただ・・・どこに住み、どう生きようとも
人は「必ず死ぬ」ことには間違いないのです。

死んだら「無」となるなら、味わった感動も喜びも達成感も満足感もすべて無
に帰すわけです。当然、モノなどは持っていけません。

しかし、死んだのち、無にならなかったとしたら、何が持っていけるのか。
モノは無理です。放したくないと預金通帳とキャッシュカード、そして高級外車
を抱えて持ってはいけません。

持っていけるもの。
それは、心に刻まれた経験・感動・愛だけです。

となると、生きているうちに何を貯蓄したらいいのかが見えてきますよね。

そう考えると、もし死後の世界というものがあったなら、
死後までも続く「持っていけるもの」こそが、一番大切なものであると思います。
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