映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(25) クワイ河マーチ(映画「戦場にかける橋」)

2005-08-16 00:07:42 | 映画音楽
 この映画が公開された1957年頃は私の映画熱も急速に下降しつつあった。この年は洋画では「道」「昼下がりの情事」「汚れなき悪戯」「素直な悪女」などの名作や問題作が封切りされたようだ。しかし私は知らん顔で「喜びも悲しみも幾年月」「幕末太陽伝」などの邦画を観ていた。強いて思い出せば「ジェルソミーナ」とか、BBことブリジッド・バルドーの名前ぐらいは知っていたかな…映画に関する知識はこの程度まで後退していた。そして関心は社会現象一般の事柄に注がれるようになった。 
 この頃は戦後十年余を経て敗戦の傷跡も回復途上にあった頃だが、同時に今まで隠されていた真実が明るみになることが多くなった。それは開戦や終戦に至る過程や、戦争犯罪など特に私の関心を集めたのは戦時捕虜の問題だった。
 私たちが戦時中に受けた教育は要するに「捕虜になる前に死ね」と言うことだった。太平洋戦争開戦前後に示された「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と言う語句の為に、多くの生命が失われたのは事実である。
 先月もサイパン島で女性などの非戦闘員が、米軍の捕虜になる前に死を選んで断崖から身を投じると言う、悲惨でショッキングな当時のフイルムがテレビで写されていた。
 その一方で旧帝国陸海軍の指導者たちが、敗戦時に「戦陣訓」の規定をどのように考えていたのかが不思議だった。それは私たちは「戦陣訓」が敗戦により空文なったことや、捕虜の処遇を定めた国際法の存在など、私たちは全然知らなかったからだ。
 太平洋戦争中にタイービルマ間を結ぶ約400kmの鉄道が建設され、工事に従事した連合軍捕虜一万五千人、現地人3万人が病気、過労、栄養不足で犠牲になったと言われる。
 この映画では英軍捕虜がイギリス人のプライドをかけて、橋を完成させようとし収容所を脱走したアメリカ兵は橋を爆破しようとするなど、味方同士で正反対の行動を取った。
 実際に日本軍がこんな風に武士道的に対応したのか、英国軍捕虜が明らかな利敵行為に対してほんとに積極的に日本軍に協力したのか、話が都合よく出来すぎていていかにも映画向きの作り話がバレバレのようで、私たちの間では冷めた見方が多かったようだ
 イギリス軍将校がすぐにジェネーブ条約などを持ち出して抵抗したり、英軍捕虜が口笛に乗って颯爽と行進したり,どちらが勝者か敗者かさっぱり判らなくなった。この映画の主題歌「クワイ河マーチ」はミッチー・ミラー楽団の演奏で私の手元にあるが、この音楽を聴くと勇壮とか懐かしいと言うよりも重苦しい感じを受けた。
 第二次大戦を題材にした映画は、戦争が美化されて描かれていることが多いように感じるが、近代戦の悲惨さ、非情さ、冷酷さなどの真実に迫った映画は、私は観ていないが「プラトーン」(87年)など、ベトナム戦争以降にならないと現れないような気がする。
 映画とは関係がないが戦後六十年の終戦の日、某大新聞が「戦争責任を再点検しよう」という社説を掲げていた。
 当時の政治家や軍部の責任は当然としても、これに追従して無批判に戦争を美化して、戦争を推進し多くの国民を死地に追いやった、当時のマスコミや報道関係者に責任が全くないと言うのか、先ず自らを反省し再点検すべきではないか?と感じた。