映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(バーチャル・ツアー)(8)「甲州街道」 ②

2006-06-07 00:09:15 | 旅 おでかけ
 これからの旅程について説明をさせて戴きますので、掲載の地図をご覧下さい。
豊かな水と目に沁みる緑の昇仙峡の自然美と、水晶の放つ神秘な輝きなど…自然の作り出す不思議に触れた戴いた後は、皆様方も待望の石和温泉あたりでお泊り戴く予定でございます。
 その後は甲府市に少し立ち寄って、信州との国界にも近い小渕沢駅にて停車致しますが、そこで当旅行社オススメのスペシャル・オプション・コースの申込を、受け付けさせて戴く予定でございます。
 行き先については小渕沢駅に到着の前にお知らせ致しますが、特選コースを用意させて戴きましたので、出来るだけ財布の紐を緩めてお申込み下さいね。
 
 尚、これから道草を食う予定地について、楽しい情報やオハナシガございましたら、コメント等でお教え戴ければ嬉しいです。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちわ (SUKIPIO)
2006-06-07 13:11:05
石和と申しますと、源頼朝の挙兵に応じて、甲斐源氏の武田氏の祖である武田信義が治承4年に挙兵をした地として知られている所ですね。

甲府市には信時流武田氏嫡流の信玄・居館及び生誕の地、武田神社・積翠寺。塩山市には信玄の菩提寺である恵林寺、信玄の墓(信長により焼死した快川国師の「心頭を滅却すれば火も自涼し」は有名)。韮崎市には源氏の氏神でもある武田八幡神社等その他甲斐源氏の縁の地ですので歴史好きの人には、魅力がある地方ですね。

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なーるほど! (たそがれ)
2006-06-07 18:54:15
 武田氏が源氏と深い関係があった…と云うことは初めて知りました。

 これは大変重要なキー・ポイントです。

 内容を紹介させて戴いた上で、このブログのネタにお借りするかも…よろしくお願いします。東国遠征で活躍した八幡太郎源義家は八幡神社と関係ありでしょうか。
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こんばんわ (SUKIPIO)
2006-06-07 23:41:28
義家は、源氏の氏神であった岩清水八幡宮で元服をし、その事から名も八幡太郎義家と名乗り、前九年役で父(河内の国に領地を持っていた)頼義が陸奥の守に任ぜられ安部氏討伐に随って参戦し、以後後三年の役では亡き父の後を継いだ陸奥の守、鎮守府将軍義家は再び出羽・陸奥に清原氏の相続争いから奥州藤原氏の基礎を築く清衡、弟の森羅三郎義光(甲斐源氏の祖の基流)と共に清原真衡を討伐し、それら武勇等で武家の棟梁となる。(この義家の子で義国は新田氏・足利氏の祖となる)

鶴岡八幡宮は岩清水八幡宮より鎌倉幕府が分霊したもので、八幡宮・源氏・征夷大将軍は深い関係で結びついていますね。
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八幡さん (たそがれ)
2006-06-07 23:56:11
 将軍家と深いかかわりがあったのですね。

 鎌倉3代将軍実朝が殺害されたのは、鶴岡八幡宮でしたね。またご教示下さい。
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おはようございます たそがれさん (SUKIPIO)
2006-06-08 06:49:33
すいませんが誤字しておりました。

入力時によく異なった文字が入力してしまいますので、確認を後からするんですが、今回間違っておりました。前回コメント文中で「森羅三郎義光」と書いておりますが正しくは「新羅三郎義光」です。

誠に申し訳ありませんでした。

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こんにちは (たそがれ)
2006-06-08 13:42:19
 わざわざ恐縮です。私は凄くひどいです。今もコメント下さった方へのお返事に「…行って見て」が「云って見て」になってますよ。勿論、帝政不能イヤ訂正不能です。ピタリなのが「彷徨オンチ」(正→方向)

 これは相手方も気に入ってくれたので、その後はブログでも多用してますよ。

 とりあえず私も気にしませんから、気に留めずにいてて下さい。

 新羅三郎ですが名前だけ少し記憶あります。親子の別れで笙を吹いてどうとか…違っているかな





























































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おはようございます たそがれさん (SUKIPIO)
2006-06-11 06:28:46
すいません。

ややこしくコメントしてしまいした。

征夷大将軍は、源の八幡太郎義家が武家の棟梁として確立させた事から源氏、または源氏の血筋に限られております。故に平氏、もしくは平氏の血筋は、征夷大将軍にはなれない様です。私の文面にいたらない処がありました事、お詫び申しあげます。

又、通説には、織田信長、秀吉は平氏の血筋、徳川家康は源氏の血筋と称されておりますが、当時の天下人である称号を朝廷から賜る事と、ある意味世間を納得させる手段として大事な事であった意味から、強引に源・平の血を利用したもので、実際は明確なものはなく、信用性はないものと思われます。

しかし、無理やり血筋を利用した事から、秀吉は関白、家康は、血筋の明確な源頼朝、足利尊氏と同じように征夷大将軍に任ぜられ統治出来たものとなっております。
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将軍家の血筋 (たそがれ)
2006-06-11 07:59:56
 本件については私も漠然とそう思っていたので、そのように書きましたが、自称「平家」の家康の故事で定着しているようなので、「一説」として、紹介させて頂きました。

 早めに情報お寄せ戴いて感謝致します。
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こんにちわ (SUKIPIO)
2006-06-11 14:43:39
家康が平家の子孫と言う説は初めて聞きました。当時の分からない事が多い事からもなるほどと思えます。

征夷大将軍にしましても、平安以前は単に臨時の鎮圧司令官であって、頼朝が朝廷の影響を受けない事実上の政府を築く目的から、武家の棟梁である源氏の過去の実績とその意味合いを上手く利用した事から鎌倉幕府の様な軍のみではなく政も兼ねたものとリンクさせた様に推測します。

清盛の時代からは、中世の武家の力にすがらなければならなく、ある意味手段を選べない立場の朝廷でしたね。

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出自 (たそがれ)
2006-06-11 19:00:10
 戦国の世で家系はそれぞれ適当に利用して、かなりこじつけ観たいなところもあったようですので、適当に自称していたのかも判りませんね。
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