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岩船寺三重塔は嘉吉2年(1442)につくられたもので、室町時代の特徴を示しています。
三重の塔は834~847(承和年間)仁明天皇が智泉大徳を偲んで、建立されたものだそうです。
鎌倉時代に再建され、現存する塔には 「嘉吉二年(1442)五月二十日」の銘文があり、室町時代の様式をよく伝えるものとして明治32年に、特別建造物とし保護され重要文化財の指定を受けています。
昭和18年に解体修理が行われて以来風雪に耐え、近来に至っては屋根瓦の波打ち傷みが激しく、工期3年3ヶ月余りの歳月をかけ平成の大修理が行われて、朱塗りも鮮やかな塔の再建が出来ました。
私の年代は敗戦ショックで正規の歴史教育はパスした年代なので、「皇国史観」と「人民史観」?が混在していて、「皇室を遠地へ流した時の執権義時は逆臣」と云う考えと、時の朝廷の実力者の上皇は自信過剰で、幕府に逆らい状況判断を誤った…」と云う二つの考えが今でも同居しています。
で、何故この辺地の仏閣が戦火にかかったのか?ですが…
三重の塔は834~847(承和年間)仁明天皇が智泉大徳を偲んで、建立されたものだそうです。
鎌倉時代に再建され、現存する塔には 「嘉吉二年(1442)五月二十日」の銘文があり、室町時代の様式をよく伝えるものとして明治32年に、特別建造物とし保護され重要文化財の指定を受けています。
昭和18年に解体修理が行われて以来風雪に耐え、近来に至っては屋根瓦の波打ち傷みが激しく、工期3年3ヶ月余りの歳月をかけ平成の大修理が行われて、朱塗りも鮮やかな塔の再建が出来ました。
私の年代は敗戦ショックで正規の歴史教育はパスした年代なので、「皇国史観」と「人民史観」?が混在していて、「皇室を遠地へ流した時の執権義時は逆臣」と云う考えと、時の朝廷の実力者の上皇は自信過剰で、幕府に逆らい状況判断を誤った…」と云う二つの考えが今でも同居しています。
で、何故この辺地の仏閣が戦火にかかったのか?ですが…
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20060608
ここから始まった「なぞなぞの旅」の途中でした。また覗いてくださいね。
ブログの紹介を有難うございました。
聖武天皇はわが町では特別の存在です。
勿論流浪中にも離宮へ来ていられるようですが、天皇の「謎」の一つにかかわっているようですね。
有難うございました。