イマカガミ

こころにうつりゆくよしなしごとを・・・

来年度から

2006-03-12 00:35:27 | 日記
物理を離れてとある外国資本の企業で働くことにしました。

この決断をするまでにこの一年いろいろ悩んでいたのですが、
自分の興味の持ち方や、現在や将来予測される自分の人生や業界の様子、
物理の研究に私が何を求めるのかといったことを
勘案した結果決めました。
次第に増大していった資産を通して、社会に目を向ける機会も
増えたせいもあるかもしれません。
現在の職場の前田先生には慰留していただきました。
どうもありがとうございました。

素粒子物理や業界の姿やそこで生きる物理学者について
いろいろ思うことはありますが、
今は敢えて書かないことにします。

すこしだけ書いておくとするならば、
自然界の究極の法則を探索するという営みは、
所詮人間の営みの一つにすぎなかったと実感したということでしょうか。
そんな当たり前のことです。

高校生のころ、言語学者が、
「文字の形は理由なく決まるのではない。
どういう材質のものに、どういう道具を用いて記述するかということに
文字の形態は著しく左右される」と
言っていたのを聞いてとても感心した覚えがあります。
物理の研究をしていくうち、この言葉を何度思い出したか知れません。

経済学者を揶揄したこんな話があります。
ある人が夜、街灯の下で探し物をしていました。
そこに人が通りかかりました。
「何か探しているのですか?」
「はい。」
「ここで落としたのですか?」
「いいえ。あちらの暗がりで落としました。」
「ではそちらを探すべきではないのですか?
 なぜここで探しているのですか?」
「ここに街灯があるからです。」

もちろん、街灯の下で探しているうち、目が慣れてきて
暗がりも見えるようになるのかもしれない。
でも、街灯の下で探すことに満足してしまうかもしれない。


新生活は軽やかで、一方で自律的なものであるといいなと
思っています。
もちろん、世間知らずが出て行くので苦労すると思いますが、
少なくとも、人生を楽しめる余裕を持ちたいものです。
物理や数理的な視点は失うことなく、
楽しみながら自分の範囲を狭めることなく、
さまざまな数学や物理現象に接していきたいと思っています。

明日東京の家に引っ越すことにします。
週末までADSLが使えないので連絡が遅れます。