私は高校の教科の中で古文が一番好きだった。
授業で「堤中納言物語」を学び、「虫めづる姫君」という毛虫が大好きなお姫様の話を読んで、教訓臭い話ばかりでなくこんな面白い作品もあるんだと古典に目覚めたのである。
百人一首はすべて覚えた。
もちろん一つ一つの歌の意味とか、修飾表現とかをきちんと理解しながら...。
これでだいぶ文法にも強くなったと思う。
古文が苦手な人にはぜひお勧めしたい学習法である。
私の場合はそれがさらに大学時代に競技かるたまで発展し、地方大会での優勝や2段取得というオマケまで付いてきたのだが...。
そんなわけで古典一般に興味があったのだが、高校時代、谷崎潤一郎を片っ端から読んでいた時期に「蓼食う虫」という小説に出会った。
細かい所は忘れてしまったが、主人公の男が文楽の娘人形に恋をするという話だったと思う。
それを読んでから一挙に文楽(人形浄瑠璃)に対する憧れが芽生えた。
市販されている近松門左衛門の作品を読み、「語り」独特のリズム、七五調の心地よさにうっとりした。
いつか本物の文楽を観に行きたいと思っていたのが、大学の時に念願叶い、初めて国立劇場で「曽根崎心中」を観た。
そしてみごとに、私も「お初」の人形に惚れてしまったのだ。
人形そのものも美しいのだが、3人で操る動き、仕草が、まるで生きているように艶っぽくなまめかしい。
それからは、ビジュアル版の文楽の本を傍らに置きながら、特にその「道行きの段」は諳(そら)んじられるまで読み込んだものである。
前置きが長くなった。
実は先日、大好きな「その時歴史が動いた」という番組で「曽根崎心中」がテーマになっていたのである。
仕事の都合でいつも再放送で見ているので、本放送より一週遅れで夜中に見た。
1時間に満たない番組だが、知らなかったことが満載で大いに満足できる内容だった。
近松が武士の身分を捨て、浄瑠璃を書くために町人になったこと。
それまで低かった作者の地位を、「作者・近松門左衛門」と台本の初めに明記することで高めたことなどなど...。
そして今日のテーマの「指切り」である。
その言葉の由来を初めて知った。
驚いた!
「指切り」の語源など考えたこともなかったが、「曽根崎心中」を通して知るとは...。
子どもが「指切りげんまん...」と小指を絡めている光景はほほえましいが、「指切り」という語は「遊女が客に愛情の不変を誓う証として、小指を切断していたことに由来」していたのである。→「語源由来辞典」
なんと、本当に指を切っていたのだ!
「げんまん」の方は「拳万」と書き、握りこぶしで1万回殴る制裁の意味だということで、こちらはまだ可愛い。
その後に続く「針千本飲ます」とともに、約束をきちんと守らせるためにあとから付け加えられたものだろうとされている。(by「語源由来辞典」)
それにしても「指切り」の由来は凄まじい。
それがいつ頃、どのようないきさつで小指を絡ませる仕草に変わったのだろう。
韓国や香港、ベトナムなどにも、約束のとき日本と同様のジェスチャーをする習慣があるようだが、そうすると大陸から伝わってきたものを血なまぐさい「指切り」の代用にしたということだろうか...。
欧米には「指切り」があるのかどうか、ご存知の方があれば教えていただきたい。
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授業で「堤中納言物語」を学び、「虫めづる姫君」という毛虫が大好きなお姫様の話を読んで、教訓臭い話ばかりでなくこんな面白い作品もあるんだと古典に目覚めたのである。
百人一首はすべて覚えた。
もちろん一つ一つの歌の意味とか、修飾表現とかをきちんと理解しながら...。
これでだいぶ文法にも強くなったと思う。
古文が苦手な人にはぜひお勧めしたい学習法である。
私の場合はそれがさらに大学時代に競技かるたまで発展し、地方大会での優勝や2段取得というオマケまで付いてきたのだが...。
そんなわけで古典一般に興味があったのだが、高校時代、谷崎潤一郎を片っ端から読んでいた時期に「蓼食う虫」という小説に出会った。
細かい所は忘れてしまったが、主人公の男が文楽の娘人形に恋をするという話だったと思う。
それを読んでから一挙に文楽(人形浄瑠璃)に対する憧れが芽生えた。
市販されている近松門左衛門の作品を読み、「語り」独特のリズム、七五調の心地よさにうっとりした。
いつか本物の文楽を観に行きたいと思っていたのが、大学の時に念願叶い、初めて国立劇場で「曽根崎心中」を観た。
そしてみごとに、私も「お初」の人形に惚れてしまったのだ。
人形そのものも美しいのだが、3人で操る動き、仕草が、まるで生きているように艶っぽくなまめかしい。
それからは、ビジュアル版の文楽の本を傍らに置きながら、特にその「道行きの段」は諳(そら)んじられるまで読み込んだものである。
前置きが長くなった。
実は先日、大好きな「その時歴史が動いた」という番組で「曽根崎心中」がテーマになっていたのである。
仕事の都合でいつも再放送で見ているので、本放送より一週遅れで夜中に見た。
1時間に満たない番組だが、知らなかったことが満載で大いに満足できる内容だった。
近松が武士の身分を捨て、浄瑠璃を書くために町人になったこと。
それまで低かった作者の地位を、「作者・近松門左衛門」と台本の初めに明記することで高めたことなどなど...。
そして今日のテーマの「指切り」である。
その言葉の由来を初めて知った。
驚いた!
「指切り」の語源など考えたこともなかったが、「曽根崎心中」を通して知るとは...。
子どもが「指切りげんまん...」と小指を絡めている光景はほほえましいが、「指切り」という語は「遊女が客に愛情の不変を誓う証として、小指を切断していたことに由来」していたのである。→「語源由来辞典」
なんと、本当に指を切っていたのだ!
「げんまん」の方は「拳万」と書き、握りこぶしで1万回殴る制裁の意味だということで、こちらはまだ可愛い。
その後に続く「針千本飲ます」とともに、約束をきちんと守らせるためにあとから付け加えられたものだろうとされている。(by「語源由来辞典」)
それにしても「指切り」の由来は凄まじい。
それがいつ頃、どのようないきさつで小指を絡ませる仕草に変わったのだろう。
韓国や香港、ベトナムなどにも、約束のとき日本と同様のジェスチャーをする習慣があるようだが、そうすると大陸から伝わってきたものを血なまぐさい「指切り」の代用にしたということだろうか...。
欧米には「指切り」があるのかどうか、ご存知の方があれば教えていただきたい。
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そういう意味があったのですか、じゃあその辺の子供達は不確かな意味、知らないままに怖いことを叫んでいるのですね。
この意味がわかってしまうと、大人ならちょっと指切りげんまんはしづらくなりますね。
うーん、考えものだ。
「ゆびきりげんまん」に関しては、私の家内が言った素朴な疑問があって、これが実に難しいんですよ。
「針千本呑めるわけ無いんだから、最初から嘘ついてどうするの」
怖ろしいでしょ...。小指を絡めて手を振ったら指がもげてしまいそうなイメージができてしまいました。せめて「指切り」と書かずに「指きり」にしましょう。
なるほど、いろいろ段階があったんですね。しかし箱枕で...はいかにも痛そう...。切れると言うより指が潰れる感じですね。
「針千本呑ます」は、呑めなくても無理矢理詰め込むのでは?...怖ろしい!
「指きり」って、そんな恐ろしい由来があったのですね~。ひえ~。怖いです。
桐さんの競技かるたや、投扇までの道のり、素晴らしいですね。私は、古文が全くダメだったのでぅららωには、桐さんのような経験をさせてあげたいな。幸い、ぅららωは、古文が始まったばかり。
嫌いにならないで欲しいです。
追)その時歴史が動いた「曽根崎心中」
見逃してしまいました
残念
あ、それで納得...。でも痛そう...。後の処置をきちんとしないで重症になった...なんてこともあったんでしょうね。
イエイエ、かるたや投扇興は物好きなだけです。できるだけ競技人口が少ない方が目立つかなと...。かるたはずいぶんメジャーになりましたが、投扇はまだまだなので、今のうちに優勝しておかなければと思っています。
ええ、私もすぐにそれを連想しました。意外とその世界のも同じ由来だったりして...。組に対して忠誠を誓うというような...。