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ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

「生きる力」って?(「教室だより」7月号から)

2005年06月27日 | 「教室だより」から
先日、県民文化会館であの「北の国から」でおなじみの倉本聰氏の講演を聴いて来ました。富良野での生活で考えられたことを中心に1時間半ほどのお話でしたが、さすがという感じでアッと言う間に時間が過ぎてしまい、内容に深い共感を覚えました。日本やアメリカはいったいどこまで走り続けるのか。効率や便利さをどこまで求めるのか。ヨーロッパのように、ゴールを設定してそこまで行けば十分という発想はできないものか。…特にそんな話が印象に残りました。

「北の国から」というドラマの根底にあるのも、ひたすら便利さばかりを追求して、自然との付き合いや人間らしさといった大切なものを置き去りにしてきた、現代社会への批判、警鐘だと思います。世の中が便利になればなるほど、人は機械や他人に頼り、自分でできることはどんどん少なくなってくる。純や蛍がまだ小学生だった頃の話で、猛吹雪で停電になり、暖房から何からすべて電気に頼っていた家は大騒ぎ、でももともと電化製品がない五郎さんの家は普段通り…というのがありました。で、その吹雪で雪に埋もれてしまった純たちの車を助けたのも、大雪で動けない重機ではなく、昔ながらの馬だったという話でした。まあ、あくまでもドラマですからうまく出来すぎという感もありますが、科学に頼りきった生活への痛烈な風刺になっていて考えさせられました。

 私は今、信州の小さな町の小さな集落に住んでいます。周りはお年寄りばかりですが、彼らは農機や水道などにトラブルがあっても、ほとんど自分で直してしまいます。ウチでも何度もお世話になりました。昔は今のように電話1本ですぐに修理しに来てくれるということもなかったでしょうから、結局ほとんどのことを自力で解決せざるを得なかったのでしょう。プロのように短時間で美しい仕上がりではなくても、生活を続けて行くには十分です。

翻って今は、お金さえ出せばどんなことでも人にやってもらうことができます。様々な代行業が大はやりです。機械だって今より性能がいい、効率的で至れり尽くせりのものが簡単に手に入ります。でもその分、人間はどんどん、自分では何もできないひ弱な存在になりつつあるのではないでしょうか。手間がかかることは機械がやってくれる、めんどうなことはすぐに人にお任せ…では、やがては考える力まで失われていきます。

不便な方がいいとは言いませんが、自分では無理とあきらめる前に、何とかならないかやってみる、あれこれ考えてみる姿勢だけは忘れてはいけないと思っています。子どもたちにもそういう意味での本当の「生きる力」をつけたいものですね。

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