ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

太陽がいっぱい

2006年01月18日 | 日々雑感
前にも書きましたが、雪国に暮らしていると太陽のありがたさが身に浸みます。
冬至を過ぎてから一日ごとに陽差しが強くなってきました。
寒気のせいで屋根の雪はまだ凍ったままの所もありますが、直射日光に当たる場所は早くも春の気配が漂います。
冷えきった古民家の中より外の方がずっと暖かい...。

人間が本来持っている1日の単位は25時間だそうですね。
それを毎日1時間早める、すなわち体内時計をリセットするためには太陽の光を浴びることが必要だということです。→「体内時計のネジをまこう!」
職業柄どうしても夜型、インドア型の生活になってしまうのですが、できるだけお日様の下で過ごす時間を確保したいと思っています。

なんと言っても太陽は偉大ですね。
体内時計のことだけでなく、日を浴びることで生命力が供給される気がします。
健康にいいのはもちろんですが、気分的にも前向きに明るくなれるのが素晴らしい!
オゾンホールの影響で思いっきり日光浴もできないニュージーランドやオーストラリアの人々が気の毒です。

動物や植物だって同じこと。
私は田舎暮らしに憧れて東京からIターンで(どこが「ターン」やねん!)信州に来ました。
そして自然卵養鶏をしたくて今の町に来たのです。
鶏をケージに閉じこめずに自由に動ける土の上で飼い(=平飼い)、太陽をたっぷり浴びさせる。
餌もできるだけ素性のはっきりした材料を自家配合して与え、緑草や野菜もたくさん食べさせる。
それが自然卵養鶏です。
(今は大幅に縮小して自家用程度しか飼っていませんが...。)

都会の子どもの中には、卵もどこかの工場で作られていると思っている子もいるそうです。
その無知を笑うことは簡単ですが、実はあながち間違っているとも言えないのです。
今の日本に出回っている卵の大半は大手の養鶏業者が生産したもの。
「大手」ってどのくらいの規模だと思いますか?
1万羽飼っていても「大手」と呼ばれないんですよ!
ご存知のように、卵は何十年もほとんど価格が上昇していない物価の優等生です。
それを支えているのが薄利多売システムなんですね。

何万羽、何十万羽の飼育は平飼いでは不可能です。
6段も7段も積み重なったケージの列が何十メートルも続き、それが何列もあって一つの鶏舎で5千羽、1万羽いることも...。
病気の発生を抑えるため完全隔離された鶏舎には窓もなく、光も温度もすべて機械でコントロールされています。
給餌も集卵もすべて自動。
中枢部分を生き物がまかなっているということ以外、全自動化された工場と変わりません。

一生、太陽の光を浴びたこともそよ風に吹かれたこともない、ミミズをつついたり砂浴びをしたこともない鶏たち。
そんな鶏が産んだ卵と自然卵養鶏の卵、どちらがおいしいと思いますか?

先日、大手町だか霞ヶ関だかのビルの地下で育てた稲の収穫のニュースを見ました。
銀行の地下金庫だった広大なスペースに田を作り、人工の太陽と空調で栽培したそうです。
これも卵と同じですね。
見た目は立派な稲を、背広姿のおじさん達が刈り取っている光景を見て、「なんだかなァ」という思いを強くしました。

私は多少見てくれは悪かろうが、太陽の恵みを受けた農産物を食したいですね。
早寝早起きをし、そういう物を腹八分目に食べ、お日様の光をたっぷり浴びて働く....それが本当の人間の生活だと思います。
今のところ全然実行できていませんが...。
少なくとも「お天道様に顔向けできない」身にはならないよう、太陽がいっぱいの人生を送りたいものですね。


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