ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

過去形のニュアンス

2006年01月09日 | ことば・国語
正月のテレビはバラエティの特番ばかりで、見たいものがほとんどありませんでした。
そんな中、たまたまチャンネルを合わせたNKH教育テレビで面白い番組に出会いました。→「ハートで感じる英文法」
昨年放送された3回分だか4回分の総集編(再放送)だということで、今調べてみたら巷では昨年からすでに話題に上っていたようです。

内容はタイトルからわかる通り、英文法を小難しい理屈ではなく感覚やイメージで理解しようという最近よくあるパターンですが、これが実にわかりやすかった...。

最も印象に残っているのが過去形の使い方です。
英語では would や could など助動詞の過去形を使うことで婉曲な表現になり、日本語の敬語的なニュアンスを伝えることができるということは知っていました。
また、仮定法では現在のことでも過去形を使うということも、知識としては知っていましたが、ではなぜそうなるのかについては全くわかっていませんでした。

その謎を、この番組では2つのキーワードで明解に説き明かしてくれました。
いわく、過去形のイメージは「距離感」と「現実離れ」
距離を置くべき、あるいは感じる相手には過去形を使う。
ありえない仮定の話にも過去形を使う。
過ぎ去った時間は取り戻せない、どんどんと多くへ行ってしまうという意識から生まれた表現ではないでしょうか。

この説明なら同じ if を使って「もし~なら」と訳しても、単なる「条件」の場合は過去形を伴わないことも理解しやすいですね。
「もし私が鳥なら」は現実離れしていますが、「もしこれをよく読めば」は起こりうる可能性が高いですから...。

「仮定法」というきっちりした形でなくても、たとえば「道で大金を拾うかも知れない」というときは may よりも might の方がふさわしいそうです。
ここにもも「現実離れ」のニュアンス(=そんなことあるわけない)が含まれているわけですね。

すなわち、同じことを表現する場合でも、話者の意識によって現在形や過去形、はたまた未来形が使い分けられているということなのでしょう。
英語もなかなか奥が深そうです。

ところで、間違った日本語のやり玉に挙げられることの多い、マニュアル的接客用語の一つに「○○でよろしかったでしょうか?」というのがありますね。
なんで過去形やねん!...というアレです。
どうやら「過去形にする=敬語、丁寧語になる」と思っている若者が多そうな気がします。

小学生に国語を教えているときも同じような例に出会うことがあります。
「行きます」にすべきところを「行く」と答えた子に、「丁寧な言い方にして」とアドバイスすると「行った」になることが少なくないのです。
中学生でもそういうことが....。

ひょっとして、英語での表現法が日本語にも及び始めているのでしょうか?
そうすると仮定法も....。
アレ?日本語でも「もし○○だったら」と仮定のときに過去形を使うこともありますね。
日本語の過去形にも元々「距離感」や「現実離れ」のイメージが潜んでいるのでしょうか?
...混乱してきました....。


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