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ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

北京の蝶の話

2005年10月23日 | 日々雑感
「北京で1匹の蝶が羽ばたいたら、ニューヨークでハリケーンが起こる。」

1匹(1頭)が飛ぶと周りの蝶もそれを見て2匹、3匹と羽ばたき出す。
それがどんどん広がって大きくなり、ついには遠く離れたニューヨークに嵐が起こる。
.....ミクロの小さな揺らぎがマクロの世界に変化を引き起こすという「カオス理論」(←???)で使われる、バタフライ・イフェクトという例え話だそうです。

前三重県知事の北川正恭氏が、今「地方から日本を変える」をテーマにこの話を全国で紹介しています。
私は新聞で読みました。

この手の話を聞くと勇気が出ますね。
自分がやっていることなんかちっぽけなことだ、世の中なんて変えられないという無力感を感じたときにはこの言葉を思い出します。

人間じゃなくて、象でも鯨でも犬でもなくて、はかない蝶1匹が始まりというのがいいですね.....。
1匹がひらひら舞っている情景から少しずつ仲間が増えてきて、やがて空一面が蝶で覆われるまでが映画のように浮かんできます。
バックに流れるのはラベルの「ボレロ」.....ぴったりでしょ。

さらに、蝶はか弱そうに見えて実は意外と逞しさを秘めているということも、例えとして使うには最適ですね。
しかもそれは、けなげさや哀しさを伴う逞しさです。
アサギマダラの渡りや「てふてふがいっぴき だったんかいきょうを わたっていった」の句には「もののあはれ」さえ感じます。

ところで冒頭の話、蝶の色は何色でしょう?
私は迷うことなく黄色ですね。
青空を背景に黄色が画面いっぱいに.....。
あ、これ大好きな「幸福の黄色いハンカチ」のイメージだ!

.....さて、みなさんも北京の蝶になってみますか?


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俳句の限界?

2005年10月04日 | 日々雑感
タイトルは大袈裟ですが、何も俳句の芸術的な限界という文学的な話をするわけではありません。
実にくだらないことですが、以前から折に触れ思っていることです。

俳句は言うまでもなく世界最短(?)の定型詩であり、極限まで無駄を省いた描写が最大の魅力です。
ただ、短いが故の宿命も当然負っているわけで....。
それは、いつか俳句がそれ以上作れなくなる日が来る、つまり作品数の限界が最も早く訪れるということです。

五・七・五で合わせて17字。....たった17字です。
字余り、字足らずや自由俳句についてはここでは考えません。
また、口に出して読むときのことを念頭に置いて、字数ではなく「17音」と捉えます。

さて、日本語の「音」の数は清音から濁音、半濁音、拗音まで入れて約100。
ということは理論上100の17乗、100溝(こう)までですべての音の組み合わせが終わってしまう....。
つまり、どうあがいても 新たな俳句はできなくなる ということになります。
(注:「溝」は「兆」の5つ上、10の32乗からの読み方です。)

これは計算上のことですから、100溝の中には「んんあ」とか「きゃぴご」のような意味を成さない組み合わせも数多く含まれています。
それを考慮すると甘く見積もっても1万分の1、すなわち10の30乗=100穣(じょう)で俳句の限界が来ることになります。

俳句人口を500万として、1人が1日に1句詠むと年間で18億句。
これで計算すると....?....??
....出ました、
俳句は約6垓(がい)年=600京(けい)世紀で終わりです!
....人類の滅亡や太陽系の終わりの方が断然早そうですね。

ところで、同様のことは音楽にも言えます。
ときどき、メロディーの一部がある曲にそっくりで盗作じゃないかなどと話題になる作品がありますね。
私が一番記憶に残っているのは「上を向いて歩こう」とベートーベン「皇帝」の出だしの部分です。

このくらいの長さ(4小節)だと音符の数が精々10いくつで、音階も1オクターブに収まるほど。
組み合わせの数を考えると、半音まで入れても俳句より0の数が10個くらい少なくなりそうです。
おまけに音楽に言葉は要りませんから、毎日世界中で作られるメロディーの数も俳句とは桁違い....。

ま、それでも何億年は作り続けることができますから心配ありませんが....。
ただ、その中でも耳障りでない曲、心地よいメロディーはある程度限られてくるでしょうから、似た曲が偶発的に出てくるのは必然かも知れませんね。


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阪神Vに思う

2005年09月30日 | 日々雑感
<お断り>昨夜阪神タイガースがセ・リーグ優勝を果たしたため、今日は予定を変更して特別記事をお届けします。なお、本日掲載予定だった記事は、10月2日にお送りします。ご了承ください。

やりました、阪神タイガース。2年ぶりの 優勝!!! 

今年は本当に強かった....。
一昨年は前半からブッチギリで勢いで勝った感じでした。
85年は打線は強力でしたが投手陣は非力で、6連敗が二度もありました。

それに比べて、今年は連敗は4が最多。
9月上旬までの激しい首位争いを制した、地力を見せつけての優勝でした。

思えばこれまでの阪神は、「ここぞ」という試合は確実に負けていました。
リアルタイムでは知らないけれど、長嶋にサヨナラホームランを打たれた天覧試合。
昭和48年、最終戦に優勝がかかった甲子園での対巨人戦(0vs9で負け)。(←その前の中日戦で勝っても優勝だったのにそれも取れず....)
1992年、残り4試合で同率首位に並んだヤクルトとの神宮決戦。
終盤までリードしてたのに、リリーフに先発要員の湯舟を送って逆転負け。(←これ、見に行ってて帰路は半分死んでました....)

そんな試合ばかり観てきたので阪神ファンは皆、「どうせだめだろう」「また逆転されるんじゃないか」というマイナス志向が身についていたのです。
2003年に優勝したときも、「次はまた20年先。生きている間にもう一度見られるかどうか....」というのが正直な思いでした。

ところが、わずか2年後にV奪還です。しかも堂々とした勝ち方で....。
早すぎて、強すぎてしっくり来ません。
これがあの、ダメ虎と言われ続けたタイガースなのか....。

今年は「ここ一番」という試合に悉く勝利してきました。
最大8ゲーム差をつけていた中日に2度まで0.5ゲーム差に迫られ、今日こそは抜かれると覚悟した試合をものにして更に突き放す。

そして優勝を決定づけた9月7日の中日戦。
この日負けてもまだ首位でしたが、ライバルに勢いを与える連敗はしたくない。
9回表までリードしながらジャッジの不運やエラーで同点に追いつかれ、なお1死満塁。
こりゃサヨナラ負けだと思った場面から久保田が直球ばかりで2者連続三振!
結局延長で勝ち、これ以後中日はズルズルと後退していきました。
この試合は、阪神ファンには長く語り続けられる「伝説」になると思います。
(すでにあるブログでは「The Game」という名文が絶賛されています。→自称阪神タイガース評論家

マジックが出てからも順調に減らし、9月は16勝4敗という驚異的な強さ。
昨日もリーチ一発で決めてくれました。

何がこのチームをこんなに勝負強くしたのでしょう?
ファンの応援とか個々の力量とかは別にして、とても大きかったのは監督の選手に対する信頼、そして選手たちの自信だったように思います。

少々打たれようと、チャンスに凡退しようと勝ちパターンを崩さず、「適材適所」で役割を与えた選手に全幅の信頼を寄せる。
「打たれても自分が責任を取るから思いっきり投げろ」という岡田監督の言葉が、あの9月7日、久保田を開き直らせたといいます。

そして監督から信頼されていると感じた選手たちは自信を持ち、どんどん逞しくなっていきました。
「自分たちの野球をすれば勝てる」、この言葉を何回聞いたことでしょう....。
一昨日も昨日も、まったく負ける気がしませんでした。

「人を信頼し、自信を持たせること」、これは何についても大切ですね。
美酒に酔いながら、そんな当たり前のことを改めて実感した夜でした。


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これだけは残したいアナログ

2005年09月11日 | 日々雑感
5日の記事「迂回のすすめ」にテツさんから頂いたコメントに、次のような文章がありました。

絶対に残さないといけないアナログ!残さなくてもいいアナログ!自分で見極めてやっていくしかないのでしょうね。

「絶対に残さないといけないアナログ」という言葉に大いに共感を覚え、自分なら何を挙げるだろうと考えてみました。

紙と鉛筆(シャーペンでも可)、(紙の)書籍や辞書、アナログ時計、蒸気機関車、非電化のローカル線、普通の自転車、切手を貼って送る手紙、電気や電池を使わない玩具・ゲーム...。

まだまだありそうですが、やはり体を使う物、人間味や温もりが伝わる物が浮かびます。
「残さないといけない」とうより「残したい」という個人的な嗜好や感傷ももちろん入っていますが...。
そう言えば、野球盤が今また人気だと新聞に載っていました。
昔ながらのシンプルな機能のものが売れているそうです。

もう一つ、ぜひとも残したいのがフィルム式の写真
今は私もその便利さと経済性からデジカメばかり使っていますが、昔は結構写真にもカメラにも凝ったものです。
ちょうど第一子が生まれた頃でもあり、家族や風景の写真を専門誌に送って掲載されたり、コンクールや長岡市展に入選したりと活躍していました。
自分の作品が認められるともっとうまくなりたいと思い、徹底的に研究し実践した日々...。

カメラ任せのフルオートを嫌い、ピント合わせも露出もほとんどマニュアルでした。
フィルムもプロ気分でリバーサル(スライド用)を使っていたので、普通のネガフィルムと違ってプリント時の調整ができません。
結果、ピンボケはもちろん、露出を間違えて暗かったり明るすぎる写真も続出することになります。
でも、だからこそ、自分の意図通りの作品が撮れたときは本当に嬉しいものです。

デジカメは手軽ですが、ちゃんと撮れて当たり前、失敗してもすぐその場で確認して撮り直しできる...フィルムカメラのような喜びは味わえません。
写りも、そう思って見るせいか、どこか平板な印象を受けます。
撮り終えたフィルムを写真屋さんに出して戻って来るまでの時間も、今思えば貴重だったような気がしますね...。

今やフィルム式カメラの生産台数はデジカメの10分の1以下だそうですが、根強いファンはたくさんいます。
もう少し時間とお金に余裕ができたら、ぜひ復活させたい趣味の一つです。

さて、みなさんはどんなアナログを残さないといけない、残したいと思いますか?
多くの方々の声をお聞きしたいと思っています。よろしくお願いします!


p.s.昨夜女房と別の話をしていて、ふと話題に上ったのが電動鉛筆削り...。最近私の周りではほとんど見かけないのですが、みなさんの所はどうですか?昔ながらの手回し式や携帯型(鉛筆の方を回すタイプ)に回帰しているのでしょうか...。


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闇に身を置くこと

2005年09月09日 | 日々雑感
今回の台風やアメリカのハリケーンの報道を見ていて、昨年のことを思い出しました。10月に来た台風23号です。

わが町周辺は県内でも一番被害が大きく、道路があちこちで崩れて孤立状態。
長野市の隣りなのにですよ...。
私も塾から帰れず、ビジネスホテル泊まりを余儀なくされました。

翌日、通れる道を探し回って、昼過ぎにようやく帰宅。
前の晩からの停電がまだ続いていて、もう一晩ロウソク暮らしかと覚悟した6時頃になってようやく復旧しました。
さらに山奥の地区はもう1日かかったようです。

最近は停電になってもすぐに復旧することが多く、あれほど長い時間の停電は子どものとき以来です。
テレビやパソコンはなくても済むし、冷蔵物も10月なら何とか...。
困ったのは冷凍物と、何と言っても灯りですね。
物には躓くし、本も読めないし...。
ふだんいかに電灯のお世話になっているかを実感しました。

1ヶ月に一度くらいは敢えて電気を消す「キャンドルナイト」を実践するのもいいかも知れませんね。
暗闇に身を置くといつもと違った会話が生まれたり、思索が深まったりということもあるでしょう。
因みに、アメリカではハリケーンシーズンの9、10ヶ月後に出産が増える傾向があるそうです。
「キャンドルを点けたりしてロマンチックなムードが高まるのでは?」という分析結果が付いていました。


さて、ここからはその暗闇を積極的に体験することのお勧めです。

24時間営業の店が増え、街灯もたくさん設置され、夜中でも多くの車が動いている...。
今や都会では、真の暗闇は家の中にしか存在しないものになってしまいました。

屋外で全く何も見えない世界に身を置いたことがありますか?
バックミラーに何の光も映らない山道を走ったことがありますか?

私は子どもが小さいとき、一度そういう体験をさせてやろうと思い、すぐ近くの里山に夜遅く車で入ったことがありました。
少し登って木々が鬱蒼としてきた辺りで車を止め、ヘッドライトを消します。
とたんに訪れる漆黒の闇...。
もちろん月明かりさえもない日です。

やがて目が慣れてくると、空の方から徐々に森の輪郭が見えてきて少しホッとしますが、聞こえるのは鳥とも獣ともつかない鳴き声ばかり...。

ずっと車の中にいたのに、5分ほどで退散してしまいました。
ああ、情けない...。
でもホントに怖かったんです。
何というか、けもの系の怖さと、幽霊系の怖さ両方で...。

もう少し本格的に、山の中でテントでも張って一晩過ごしたら、貴重な体験ができると思います。
森に感じる神秘さ、畏れ、敬虔さ、人の小ささ、時の重さ、太陽のありがたみ...そんなものが一晩で感じられるのではないでしょうか。

今年は実現できませんでしたが、来年の夏休みにはぜひ生徒を連れて「暗闇体験キャンプ」を行いたいと思っています。


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迂回のすすめ

2005年09月05日 | 日々雑感
部屋の窓の内側に蜂がいます。
外に出ようとしてガラスにぶつかり、しばらく飛び回ってまたぶつかり、何度も同じことを繰り返しています。
出してやろうと窓を少し開けるのですが、それでもそちらに回ろうとせず、目の前のガラスに向かって行きます。
窓を全開にし、開いている方に追いやって、やっと蜂に自由を与えることができました。

こんな経験よくありますよね...。
動物学者の日高敏隆氏のエッセイ集「春の数え方」(新潮文庫)に、このときの虫たちの行動についての話があります。
日高氏は日本の動物学の第一人者で、私はローレンツの名著「ソロモンの指環」の訳者として知りました。

さて、冒頭の蜂のような行動について日高氏は次のように述べています。

虫たちは迂回ということを知らない。(中略)光がちゃんと見えているのにわざわざいったん光のくるのとはちがう方向へ飛んで、つまりいったん迂回をして、それから光の源へ進むということは彼らの行動には組みこまれてはいなかった。

そして昔は本能のままに進めば光の方へ進めたのに、人間がガラスなどという透明な物を発明したために、虫たちにとっては「罪つくり」な結果になってしまったと書いています。

何かに行き詰まったとき、この話を思い出します。
同じ方向に進もうとばかりしないで、いったん違う方向に飛んでみると道が開けることってありますよね。

さて今日は話をもっと大きくして、この虫たちの愚かで哀しい姿を今の日本人に置き換えてみたいと思います。
光はもちろん幸せな毎日、心の豊かさの例えです。
ガラスは何でしょう?
さしずめ、経済優先の社会、便利で効率的な暮らしと言ったところでしょうか...。

幸福を求めて一直線に進もうとすると、物質的な豊かさというガラスに突き当たります。
頭も体もたいして使わなくても、金さえ出せばすべて他人や機械がやってくれる夢のような世界。
自動化された機械、宿題までやってくる代行業、簡単に空腹を満たせるファスト・フード、手取り足取り教えてくれる「親切な」家庭教師etc...。
明らかにそこが幸福への近道に思えるし、すぐ手の届くところまで来ているのに、その方向に飛ぼうとしている限り、永久に目的地にはたどり着けません。

でもちょっと進むのをやめて後ろに下がって周りを見渡してみると、きっと迂回路が見つかるはずです。
そちらに進むためには手間も時間もかかります。
今までのやり方を見直す勇気も必要です。
それでもあえて迂回路に進もうとする人にしか、真の幸せは手に入りません。

人任せ、機械任せにしないで自分の頭で考え、自らの体を動かすこと。
試行錯誤をいとわず、何でも自分でやってみること。
何事についても、ゆっくり時間をかけることの価値を知ること。

そんな迂回路人生、歩んでみませんか。
道のりが長い分、楽しいかも知れません。
夏川りみの歌にもありました。

♪急いで行けば短い命、のんびり行けば長い道のり(「愛よ愛よ」より)

本能に従うだけの虫たちと違って、人間には「わざわざ違う方向に進む」知恵があると信じたいものです。


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安全運転?

2005年08月18日 | 日々雑感
塾がある長野市内まで隣町の自宅から、毎日片道30km強を車で往復しています。
大半が郊外の国道で信号もほとんどないので、特に夜は30分ほどで帰って来られます。

私は車の免許を36歳で取りました。
それまで都会暮らしが多かったし、電車が好きなので、特に免許の必要を感じなかったのです。
ところが脱サラ&Iターンで信州に来ることになり、急遽車が必需品に...。
有休の残りをすべて使って合宿で免許を取得しました。

みんなそうでしょうが、初めは精々時速60kmまでしか出せないのに、慣れてくると田舎の道だと平気で80kmくらい出すようになります。
制限時速を守ってタラタラ走り後ろからあおられていた自分が、いつのまにか前を行く遅い車にイライラするようになっていました。

以前、ラジオで車の評論家が言っていた言葉を思い出しました。
「法定速度を守ればいいというものではない。それよりも流れに乗ることが大切。」
これについては異論もあると思います。
私も初心者の頃は法定速度を守りながら、「法律を守っているのに何が悪いのか」と思っていました。

でも今はこの言葉の意味がよくわかります。
ゆっくり走ることは必ずしも安全運転とイコールではないのです。
周りに他の車が全くいないのなら問題ありませんが...。

前を極端に遅い車が走っていると、とても運転しづらいのです。
思ってもいない所でブレーキランプが点いたり、カーブを曲がるときや右左折するときに想定以上のスピードダウンがあったりして、一瞬ドキッとします。

国道はずっと追い越し禁止の黄色いセンターラインなのですが、バス停や「ゆずりゾーン」と称する駐停車スペースが頻繁にあり、「遅い車は道をゆずろう」という看板も目立ちます。
前述のように私も今は決して遅くはないのですが、それでも後ろの車が先に行きたがっているのを察したときはそういうスペースに車を止め、先に行かせます。
女房は「60kmなんか出せない」という運転ですが、その分、迷惑にならぬようしょっちゅう抜いてもらっています。

良いか悪いかと言えばもちろん悪いのでしょうが、現実問題として、郊外の道ではほとんどの車が法定速度を越えています。
中には荷主の都合で急いでいるトラックや、列車に間に合うかギリギリのビジネスマン、家族が急病で急いで帰宅する途中の人もいるかも知れません。
ちょっと止まって先に行かせてくれれば済むものを、中には登坂車線でも本線を譲らないマイペースな人もいます。

こういうドライバーには2つのパターンが考えられます。
一つは想像力が欠落or不足している人。
自分の車が他者から見てどんな存在なのか、他の車がどんなに迷惑しているか、視点を変えて見ることができないのでしょう。

想像力の欠如は車の運転にとって極めて危険です!
教習所でさんざん言われた「かも知れない運転」(歩行者が飛び出してくるかもetc.)は想像力なしには実践できません。
狭い生活道路でも幹線と同じように飛ばしたり、暗くなってもなかなかライトを点けない自己チューなバカ運転者は、想像力が極端に不足しているのでしょう。
そんな奴が免許を持っていてはいけません!

もう一つは、周りの状況はわかっているのに無視している人。
自分の車が渋滞を引き起こしていることはバックミラーで承知していて、それでもそのままのペースで走り続けるパターンです。
「自分は正しい」という信念を持っているので、後ろがイライラしていても道を譲ったりはしません。
これはこれで困りもの...。
「法定速度を守る」のは正しいことなので誰も文句が言えません。
正論なだけに始末が悪い...。

でも、いくら「自分は制限速度を守っているのだから正しい」と言っても、後続車がズラーッと並んでいるのを見ても「我関せず」と平然としているのはどうなんでしょう?
法律を遵守しようという気持ちは認めます。
それ自体を非難する気はありません。
ただ、他人にまでそれを強制するなと言いたいだけです。
人それぞれ都合があるのに、自分の都合に巻き込んでいいものなのか...。

もちろん、前の車が若葉マークや紅葉マークを付けていればまた別です。
こちらにも彼らの立場を思いやる想像力くらいあります。
それ以外で圧倒的に多いのはやはり「おばさん」...。
今日は珍しく若い人に行く手を阻まれ、いつもより10分くらい時間を食ってしまいました。

どなたかいい解決策ありませんか?


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秋の気配

2005年08月16日 | 日々雑感
信州では先週末頃からツクツクホウシの鳴き声を聞くようになりました。
まだ数は少なく、ミンミンゼミやエゾゼミの圧倒的な合唱に混じって時折聞こえるくらいですが、独特の「オーシーツクツク」はすぐにわかります。
毎年このセミの声を聞くと、夏の終わりをしみじみ感じますね...。
昨日の花火大会は少し肌寒いくらいでした。

西洋の人たちは、スズムシやコオロギなど秋の虫の鳴き声を雑音にしか感じないと言いますが、セミの声はどうなんでしょう。
日本人でもセミはうるさいだけだけだと思う人も多いでしょうが、種類によりますよね。
ミンミンゼミやアブラゼミは確かに暑さを助長するだけでうんざりですが、ヒグラシやツクツクホウシは風情があっていいですね...。

小さな草花や虫たちの移り変わり、風や雲のちょっとした変化に季節を察し「もののあはれ」を感じる。
そんな日本人的な(?)繊細な感覚を、次の世代の子どもたちにも受け継いで行ってもらいたいと思います。

ところで、有名な芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」、どんなセミの声だと思いますか?
私はやはりミンミンゼミが一番「しみ入る」と「閑かさ」にふさわしいと感じていますが...。


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「虐殺」の意味

2005年08月14日 | 日々雑感
今日の信濃毎日新聞に、同社主筆である中馬清福氏(元朝日新聞論説主幹)による「敗戦体験をどう生かすか」という論考が載っています。。
氏はこの文章の冒頭で「虐殺」という言葉についての体験を語っていますが、それを読んで感じたことを少し...。

1770年にボストンで駐留英軍が発砲し一般市民を殺傷した「ボストン虐殺」という事件があり、これが米国独立革命の導火線になったそうです。
中馬氏はこの事件の跡を訪れたときのことを次のように述べています。

「虐殺というから、犠牲者も多かったろう、装置も大掛かりだったろう、と思っていた。だが、死者はわずかに五人、場所もごくふつうの狭い街路だった。これで虐殺とは何と大げさな。そう思った。」

ここまで読んでどう思われましたか?
「虐殺」と聞くと大量の死者が出た一大事件のように感じませんか?
戦争にしろ殺人事件にしろ、あるいは事故にしろ、私たちも氏と同じように犠牲者の数でその重大さを判断することがないでしょうか?

しかし人ひとりの命という点で見れば、5000人の中の1人でも、2人の中の1人でも全く同じ重さのはずです。

中馬氏は次のように続けます。

「私は間違っていた。虐殺か否かを数で決めてはいけないのだ。被害者側からすれば、たとえ死者が数人であろうと、それが人々の運命を決するほどの惨事であれば、それはまぎれもなく虐殺なのだ。」

自分の身内が犠牲者になったときのことを想定すれば実感が湧くと思います。
1人だけしか死ななくても、重大なケガや精神的な後遺症を負っただけでも、当事者や家族にとっては大事件に違いありません。

以前、ビートたけし氏が著書でこんな言い方をしていました。

ニューヨークの同時多発テロで3000人が死んだのではなく、1人が死んだテロが3000件起きたと考えるべきではないか。

3000人が死んだと聞いても実感が伴いませんが、ひとり一人の生と死に思いを馳せる想像力があれば、他人事でなくよりリアルにテロの悲惨さを感じることができるのではないでしょうか。
たとえ犠牲者の人数が少なくても、その思いは変わりません。

日本軍のアジア各地での「虐殺」が、もっと少ない人数だったとか民間人は含まれないとか、いかに弁明しようと被害にあった国にとってはそんなことは関係ありません。
「虐殺」は虐殺です!
そんな言い方でごまかしている限り、根強く残る反日感情を理解することは永遠にできないと思います。

終戦の日を前にしてそんなことを感じた一日でした。


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高校野球は教育の一環?

2005年08月06日 | 日々雑感
毎日新聞によると、

「第87回全国高校野球選手権大会に出場する広島代表の高陽東が、6日午前8時15分の原爆投下時刻を前に、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で、開会式に備えて集合した他の48チームの選手たちに黙とうを提案しようとしたところ、日本高校野球連盟の関係者に止められ、同校ナインだけで黙とうした。」とのことです。

高野連側にもいろいろ事情はあったと思いますが、「広島の長崎もまとめて終戦記念日に黙祷しているから」というのは今一納得いきません。
まとめていいものなんですか?!

おまけに上記の記事では「原爆は広島だけのこと」だから「みんなを巻き込むのは良くない」という発言があったとか...。
「広島だけ」はまずいんじゃないですか?
そんな他人事のような言い方は、提案した高陽東の生徒に失礼ではないでしょうか。

勝利至上の高校野球の現状そのものにも問題はあります。
野球留学で他県(or他国)からの部員ばかりが多く、郷土の代表とは呼べない高校。
星陵の松井全打席敬遠を指示した強豪校の監督。
相手の選手に露骨なヤジを浴びせる部員の保護者たち...。
「ひたむき」「さわやかさ」などとは縁遠い現状が随所に見受けられます。

ただ、それとは別に私が今日問いたいのは高野連のあり方です。

今回の明徳義塾の異例の出場辞退にしても、監督や学校側の対応のまずさばかり指摘されていますが、そもそもなぜ連帯責任なのか、なぜ出場辞退なのかという議論は少ないような気がします。
喫煙も暴行ももちろん悪いけど、今回の場合、まじめに努力してきた生徒まで巻き込まなければいけないほどのことでしょうか?
「五人組」じゃあるまいし...。

高野連の言う「教育の一環」という論理を、皆さんもっともだと納得しているのでしょうか?

大きな声であいさつし、身なりも高校生らしく、勉強にも励み、もちろん悪さはしない...。
そんな「高校球児」の理想像を演じている奥底には「連帯責任」の影がちらついていると考えるのはひねくれすぎでしょうか?
みんなに迷惑がかかるからいい子でいようと思わせる...それは教育と言えるのでしょうか?

少年野球から何年も野球漬けの生活を送ってきて、やっと夢の甲子園に出場が決まったのに直前になって連帯責任で辞退...という仕打ちが教育なのですか?
その現実を受け入れろというのが教育なのですか?

原爆の悲惨さを忘れないため、世界に核廃絶を訴えるために全員で黙祷をしようという提案を、大会運営を優先して認めないことが教育なのですか?

どなたか私に教えてください!


p.s.今日高校入試の模試を受けていた中3に「今日何の日か知ってるよね?」と聞いたら、知っていたのは5名中1人だけ。「終戦記念日は何日?」も正解はその子だけでした。ちょっとなぁ...。


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器の大きさ

2005年07月30日 | 日々雑感
あなたが自分の意見や主張、信条などを看板や垂れ幕に書いて世にアピールしているとします。
塾の宣伝文句やキャッチフレーズを考えてもいいですね。
ある日それが落書きで汚されていたら、あなたはどういう対応を取りますか?

私なら間違いなく頭にきて文句を言いながら、消せるものなら綺麗に消す、消せないのなら新しいのを作る...という行動をとるでしょう。

異なる意見にも耳を傾け、お互いを尊重し合うことが民主主義の原点である...なんてきれいごとで済ませられる問題じゃない!...とほとんどの人が考えると思います。
そんなことをした相手の考え方も理解するなんて神様じゃないんだから...。

ところがそんな神様のような対応をした人物が長野県にいます。
上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」館主の窪島誠一郎氏です。

今年6月18日朝、無言館の屋外にある戦没画学生の慰霊碑「記憶のパレット」に、赤ペンキが幅1mの帯状にかけられているのが見つかりました。
まもなく溶剤などを使ってペンキの除去が始まり、このほど修復が終わりましたが、その際、一部のペンキを敢えて消さずに残したというのです。

窪島氏はペンキを残した理由について次のように話されています。

「無言館は一方的な思想を伝えるのではなく、多様な考え方の中にある美術館。表現方法は貧しいが、いろいろなものの考え方のすべてを否定できない」

何という器の大きさ!
...私もこんな人間になりたいと強く思います。
まだ訪れたことのない無言館、この夏ぜひ行ってみたいものです。

p.s.今夜の「報道ステーション」で偶然無言館のことやってましたね...。


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種なしスイカ

2005年07月25日 | 日々雑感
昨日の日焼けのあとが軽度のやけど状態です。
半袖シャツの袖口がちょっと触れただけで痛い!
薬塗っとこうかな...。

今朝何気なくラヂオを聴いていたら、「夏休み子ども科学電話相談」をやってました。
こういうのって大人も結構ためになるので好きです。

ちょうど話題に上っていたのが種なしスイカのこと。
そう言えば昔はともかく、ここのところ種なしスイカなんて食べてないなぁ...と思っていたら、今は種なしのシェアはわずか2%だそうです。

なんでも、普通のスイカの種から芽生えた双葉にコルヒチンという薬を塗って4倍体のスイカを作り、それと普通のスイカを掛け合わせると種なしができるそうです。

ところがその薬が高価でスプーン一杯分で1万円くらいするとか...。
さらに、前述のように種なしを作るためには普通のスイカも並行して作らなければならず、手間と採算の面で生産者が減っているということでした。
どおりで見かけないわけです。(昔はもっとありましたよねぇ?)

確かに種は邪魔ですが、スイカはガブッと食べてペッと種を吹き飛ばすのが醍醐味とも言えるので、種なしは物足りない面もあります。
ラヂオでは「絵に描いたときに種がないと今一...」というようなことも言ってました。

ま、もともと種がないというのは不自然には違いないので、そういう神を欺くような行為は長続きしないということでしょうか...。

でも種なしブドウは出回ってますよね...。
こちらはジベレリン処理をするだけなので簡単なようです。
ジベレリンは植物の成長ホルモンの一つなので害もないということですが、
遺伝子組み替え植物のようでなんか不気味...と思う私は古い人間でしょうか...?

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おことわり

2005年07月23日 | 日々雑感
明日(24日)の朝日新聞東京本社版の「声」欄に、私の投稿が掲載される予定です。

内容は当ブログで19日に書いた記事「信念と傲慢」とほぼ同じですが、字数制限もあり、若干手直ししてあります。

その際、たくさん寄せられたコメントも参考にさせていただいたので、皆さんと私の合作的な表現になっている部分もあるかと思います。

その点、どうかご了承願います。
                                                                                         


信念と傲慢

2005年07月19日 | 日々雑感
15日の新聞に、ある訴訟の最高裁判断が載っていました。(※以下、朝日新聞から)

2001年、千葉県船橋市の市立図書館の司書が、「新しい歴史教科書をつくる会」関係などの蔵書(計107冊)を意図的に処分。これに対し、同会と著者7人が「表現の自由などの権利を侵害された」などとして損害賠償を求めていたものです。

最高裁は公立図書館を「著者にとっても考えや意見を人々に伝える公的な場だ」と認め、独断で本を廃棄した司書の行為は損害賠償の対象になるとして、東京高裁に審理を差し戻しました。


当然ですよね...。
「つくる会」の主張については異論反論も多くありますが、自分の考えと異なる立場からの意見が気に入らないから...とそれらを抹殺するのでは民主主義は根底から崩れてしまいます。
治安維持法の時代に逆戻りです。
むしろ、「つくる会」側の主張を退けた高裁の判断の方が異常なのではないでしょうか?

これに関して、昨日の朝日新聞「声」欄に、ある大学院生からの投稿が載っていました。

同図書館は子どもへの本の読み聞かせで先駆的な役割を果たしたそうで、投稿者は件の司書の取り組みを高く評価しています。中学生のときにインタビューもして面識もあったようです。
どんな理由にせよ許される行為ではないことは認めた上で、投稿者は司書の行為の真意を「子どもと良書に尽くしていた彼女だからこそだったと私は感じる」と述べています。


これを読んで私は、この司書の傲慢さを思いました。
「子どもと良書に尽くしていた」彼女には、おそらく「子どもたちによい本を」という強い信念があったのでしょう。「誤った」考え方を子どもたちに植え付けるような「悪書」は追放すべきだという...。

でも、何を以て「良書」とするかは人によって異なるはずです。
そんなことは当然彼女もわかっていたでしょうが、どこかに「専門家である自分の判断に間違いはない」「信念を持ってやっているのだから」という気持ちがあったのではないかと思います。

そもそも、「子どもたちに良書を」というスローガン自体に、私は大人のオゴリを感じてしまいます。良書かどうかは子どもたちが決めるもの。
さらに言えば、大人、特に「専門家」が選んだ良書のみを与えるという純粋培養で、はたして子どもが逞しく育つのかという疑問もあります。

ここからは自戒。...教育でも同じことです。
「子どものために」「信念を持って」は大切ですが、その意識が高ければ高いほど、ときには立ち止まって自分が傲慢になっていないか振り返る必要があります。

自分で自分の思想や理論に酔っていないか...。

自分が良かれと思ってやっていたことが、実は子どもたちの可能性の芽を摘んでいた...とならないよう肝に銘じたいものです。


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青春のN.S.P

2005年07月06日 | 日々雑感
今日は教育とは全く関係ない、ごく個人的な記事です。

昨日、新聞の訃報で、N.S.Pの天野さんが亡くなられたことを知りました。まだ52歳...。

思えば大学時代はいつもN.S.Pを聴いていました。特に恋愛絡みであれこれあったときは...。
そのくせ、貧乏学生でコンサートにも行けず、レコードもたまーに買うだけ。
友達から借りたテープをダビングしたり、FMの「エア・チェック」(←死語!)ばかりでしたが、好きな曲がたくさんありました。

昨年、初めてコンサート行きました。チケットが売り切れだったのを、ヤフオクで何とか手に入れ、かみさんと行くことができたのです。
周りは中高年ばかり...。ほとんどの曲を一緒に歌い、アンコールで一番好きな曲をやってくれたときには思わず涙が...。

今思うと行っておいて良かったです。
青春の一部が剥がれ落ちてしまったような感じで、ずっとショックが続いています。
頭の中を彼らの曲がグルグル回っています。

今は天野さんのご冥福を心からお祈りしたいと思います。合掌...。


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