「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

川端文学の素養―『美しい日本の私』

2014年03月25日 | Arts
☆『美しい日本の私』(川端康成・著、サイデンステッカー・英訳、講談社現代新書)☆

  本書の後付けを見ると、「一九六九年三月一六日第一刷発行、二〇〇二年二月二一日第五一刷発行」とある。たぶん十年前くらいに買ったもののようだ。いま書店へ行けば、カバーのデザインもちがったものになっているはずだ。東山魁夷『日本の美を求めて』に川端康成のこと、この『美しい日本の私』のことが少し出てきて、そういえば本棚に眠っていたなと思い、あらためて手に取ってみた。
  当時、この本をなぜ買ったのか、そのときに読んだのかも覚えていない。いま読んでみると、この本を読むための素養といったものが、自分にないことに唖然とさせられる。もし当時読んでいたとしても、いま以上に唖然としたにちがいない。そもそも川端康成についてあまりにも知らなさすぎる。日本人初のノーベル文学賞受賞者であり、『雪国』をはじめとして作品名の四つや五つは挙げられるが、どれ一つとしてまともに読んだこともない。
  『美しい日本の私』には、まず道元、明恵、良寛の3人の僧と、その歌の話が出てくる。その後、日本庭園や茶道のこと、さらに『古今集』、『伊勢物語』、『源氏物語』、『枕草子』へと話が続いていく。どれもこれも知らない名前ではないが、3人の僧の生き様や歌、古典文学の内容については、ほとんど何も知らないといっていいだろう。学校時代、何が苦手かといえば、古文や漢文がその最たるものであり、子どもの頃から文学や古典に親しむ家ではなかったなどといってみても、下手な言い訳にもならないだろう。
  それでも、いま読んでみると、こころにすっと入ってくることばを見つけることができる。

  「雪の美しいのを見るにつけ、月の美しいのを見るにつけ、つまり四季折り折りの美に、自分が触れ目覚める時、美にめぐりあふ幸ひを得た時には、親しい友が切に思はれ、このよろこびを共にしたいと願ふ、つまり美の感動が人なつかしい思ひやりを強く誘ひ出すのです。この「友」は、広く「人間」ともとれませう。また「雪、月、花」といふ四季の移りの折り折りの美を現はす言葉は、日本においては山川草木、森羅万象、自然のすべて、そして人間感情をも含めての、美を現はす言葉とするのが伝統なのであります」

  「現代の日本でもその書と詩歌をはなはだ貴ばれてゐる良寛、その人の辞世が、自分は形見に残すものはなにも持たぬし、なにも残せるとは思はぬが、自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になってくれるだらう、といふ歌であったのです」

  科学はいうに及ばず、哲学もまた西洋由来のもののように思われる。しかし文学は、そして芸術も、その土地に根付いた何ものかから、かたち作られていくものなのかもしれない。もちろん文学や芸術にあっても、とくに近代以降の日本にあっては、西洋の影響を蒙らずにはいられなかった。
この『美しい日本の私』はノーベル賞受賞記念講演の全文である。どこかで得てきた受け売りの知識をもとにしていえば、川端康成はノーベル賞の晴れ舞台で、日本の美の特質を西洋に向けて語りかけたのであろう。それは科学者や哲学者にはなしえない、文学をなりわいのした者の役回りであったのかもしれない。
  翻って、日本人は『美しい日本の私』をどのように読んだのだろうか。そもそも自分はどうだったのか。科学や哲学などの理性の世界にどっぷりと浸かっている身には、たぶん川端の世界は遠い。染みついた西洋の垢を洗い流そうと思ったとき、死を身近に感じるなど、日本人の古層にふれたとき、川端の世界はこころに落ちるような気がする。文学や古典を知らずとも、それが川端を読むための最低限の素養かもしれない。ためしに、川端の作品を少しは読んでみようかと思ったりしている。

  

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