「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

なぜ「書く」のか―『母という病』

2014年03月31日 | Life
☆『母という病』(岡田尊司・著、ポプラ新書)☆

  母が亡くなって、まもなく4ヶ月になる。亡くなったばかりの頃よりも、いまの方が寂しさは増している。ああすればよかった、こうすればよかったと、悔やむ思いも募るばかりだ。母から愛情を与えられなかったわけではない。母との間に、それなりの愛着関係は築かれていたと思う。それでも、ときには母に対して暴発してしまうことがあった。母を介護する状況になって、弱った母を支えてやらなければならないにもかかわらず、イライラした思いを一方的にぶつけてしまったことが、とくに悔やまれる。
  自分が障害を持って生まれたことは、母と自分との関係にいろいろな影響を与えることになった。たぶん健常な子どもよりも、母なくしては生きてゆけないという思いを強くもったはずだ。そのため、しぜんと母にとっては良い子になっていたと思うし、一方で神経質で過敏な性格も作られたように思う。しかし、自我が発達するにつれて、母からの自立は大きな葛藤を引き起こすことになった。介護状態の母に感情的な気持ちをぶつけたことは、すでに愛情を与えられる状態にない母に、それでも愛情を求めようとする自分の苛立ちの現れだったのかもしれない。自立の葛藤はいまも続いている。
  大きな障害をもった子を産んだことで、母はどのような気持ちになったのだろうかと想像する。だれの責任でもないのだが、申し訳ないという思いをもったかもしれない。その子(自分)に対してより大きな愛情を注がねばと思ったり、一方で重荷に感じたこともあるかもしれない。母は家業という仕事があったため、日常的な多くのことは同居していた使用人の女性の世話になった。その人にはいまだに深い感謝の念を持ち続けているが、それでも母の懐に変わるものではなかった。
  本書は、母親という存在の大きさと、それゆえに子どもの人生に陽になり陰となって、影響を与えずにはおかないことに気づかせてくれる。精神科医としての著者の臨床例だけでなく、著名人の人生の軌跡も解き明かすなど、話は具体的で読みやすい。精神医学や臨床心理の専門用語も必要最小限に抑えられている印象を受ける。この手の本はとかく哲学っぽい言辞に傾いたり、逆に生物学的な方向に収斂したりすることがよくあるように思うが、本書はどちらでもない。オキシトシンと母性との関係についても触れられているが、それですべて説明がつくとはしていない。
  序章から第6章までの本書の大半は、「母という病」の諸相について書かれている。たしかに話としてはわかりやすくおもしろいのだが、けっこう重い話題も多く、それではその「病」からどうしたら抜け出せるのかと聞きたくなってくる。とくに自分の「病」と同じような症例が出てくると、その対処法を知りたくなって先を急いでしまう。その答えは最後の第7章まで待たされることになる。
  もちろん第6章までにも、答えのヒントはいくつも示されている。そこからもある程度予想はつくはずだが、最終章に示される答えもけっして劇的なものではない。生きづらさを感じたら、まず「母という病」を疑ってみること、そして「母という病」に気づくこと。気づいたら、母との安定した愛着関係を築き直すこと、自分にとっての「安全基地」を求め続けること。何らかの理由で母との関係修復が不可能ならば、身近な存在であるパートナー、「母」的な他人や友人との関係であってもよいという。自分が誰かに対して愛着を育むことで、自らの愛着の傷が癒されることも忘れてはならない。
  母は亡くなってしまったのだから、母との生きている関係は絶たれてしまった。幸か不幸かパートナーもいない。親しい友人の多くは、こちらから愛着関係を求めるにはたぶん若すぎるだろう。むしろこれからは、若い人たちと愛着関係を育みながら、癒し癒される関係に進んでいくべきだろう。また、うまくいけば(むしろ「ウマが合えば」というべきか)カウンセラーに愛着の相手を求めることも有効であることは経験的に知っているが、いかんせん経済的な余裕が不可欠である。
  作家のヘルマン・ヘッセは、不幸な出自を背負った母に「安全基地」を見出すことができなかった。だからヘッセは友人を大切にしたという。ヘッセは3人の女性と結婚したが、とくに3番目の女性はヘッセに「安全基地」をもたらし、彼の晩年を幸福で安定したものにした。しかし、ヘッセの傑作は不幸な時代に書かれたものだという。彼は原稿や日記を書くことで精神のバランスを保とうとした。ヘッセにとっての最後の「安全基地」は「書く」ことだったと、著者はいう。
  著者の岡田尊司さんは「思い出すこと、記憶に残っているもの。心に突き刺さっていることを、少しずつ言葉にして書きつけていく」ことをすすめている。そういった「断片がやがて、自分の物語を形づくっていくかもしれない」という。このブログであれ、SNSの日記であれ、あるいはノートに綴っていた雑文であれ、むかしから何かを書き続けてきたが、それは何のためだったのだろうと思うことがある。それはやはり「自分の物語を形づくっていく」ためだったのだろうと、いま思っている。
  関係性という意味を込めて、「心」を「こころ」、「物語」を「ものがたり」と置き換えるが、自分の「こころ」のうちを「書く」ことで、自分なりの「ものがたり」を紡いでいくこと。母は亡くなってしまったが、自分の「こころ」のうちに生きている母とは、自分が「書く」ことによって母との愛着関係を築き直すことができるかもしれない。一般的に見れば、母との関係はかなり幸福な方だったように思う。しかしそれでも、母との関係を修復しなければならないという思いは強く残っている。
  母もまた、祖母や夫である亡父、その他の家族との間でどのような関係を築いてきたのか。また自分も、父や兄との間にどのような関係を築いてきたのか。さらに広い「ものがたり」を紡いでいくことで、きっと新たに見えてくること、気づくこともあるはずである。そしてそれは、このブログの最終目標でもある、自らの「終活」につながっていくように思う。

  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 川端文学の素養―『美しい日本... | トップ | 「生きる」ことを肯定する哲... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Life」カテゴリの最新記事