『物語のおやつ』(松本侑子・著、WAVE出版)
松本侑子さんは、おやつやお菓子が大好きな方だと思う。松本さんが講師をつとめていらっしゃる『赤毛のアン』を原文(英語)で読むセミナーに何度か参加した。そのセミナーの中ほどには、必ずお茶の時間が設けられていて、松本さんご自身が買ってこられたお菓子を参加者がいただくことになっている。残念ながら『赤毛のアン』やいわゆる児童文学などにくわしくないのではっきりとはわからないが、それらの物語となんらかの関係(広い意味でのかかわり)があるお菓子を用意されていることもあるようだ。あるいは取材などで行かれた旅先で口にされたものなのかもしれない。いずれにしても松本さんのお菓子への思い入れが感じられる。おやつやお菓子にこだわりがあるという表現もできるかもしれないが、それではちょっと偏屈な感じがしてしまう。あそこのお店のものよりも、こちらのお店のもののほうが甘さが控え目でおいしい。その程度のことはおっしゃることがあるが、それは好みの問題か、せいぜいその延長線上のお話だと思ってお聞きしている。いずれにしても、一にも二にも、お菓子がお好きであるのはまちがいない。
さて、この『物語のおやつ』だが、そんなお菓子やおやつへの思い入れと、物語の楽しさを伝えたいという気持ちがみごとに合わさっている。冒頭の数十ページには、おいしそうなおやつの写真とそのレシピが載っていて、一見「料理本」のように見える。そのあとに続く本文は、そのおやつたちが出てくる物語のお話である。この部分は『イギリス物語紀行』や『ヨーロッパ物語紀行』の番外編、あるいは特別編という感じがする。また、そこかしこにご自身の食べ物の思い出が語られていて、そこもなかなか楽しい。松本さんの小学生のころは「スパゲッティといえばナポリタン、ソーセージは魚肉ソーセージか赤いウインナー」だったそうだ。自分の過去を振り返ってみると、スパゲッティを初めて口にしたのはたぶん高校生のころだったと思う。もちろん、そのスパゲッティはナポリタンふうのもので、ミートソースを知ったのはさらに後のことだった。子どものころは野菜嫌いで、ハムやソーセージをよく食べていた。そのソーセージは細長い「プリマハム」の魚肉混合のソーセージで、ウインナーはやはりあの赤いウインナーだったような気がする。松本さんと自分とは少々歳の差があるのだが、松本さんのエッセイなどを読んでいると、子どものころ、かなり似かよった食生活をおくっていたと思うことがよくある。気候や風土にいたっては、同じ日本海側で育ったということもあって、食生活以上に親しみを感じてしまう。
衣食住というが、そのなかでも「食」は人間の生活の基本中の基本だ。だから、食文化を語ることは人間を語ることにつながるし、物語のなかでも「食」は重要な要素となりうる。とくに児童文学ではそうなのだろう。松本さんは「児童文学の大きな魅力の一つは、食べものの描写、それも、子どもたちが大喜びして食べる場面のすこやかさにある」という。子どもたちに、そんな「すこやかさ」が育つことも願って、松本さんはこの本を書かれたのかもしれない。そういっては、深読みに過ぎるとしかられるだろうか。
松本侑子さんは、おやつやお菓子が大好きな方だと思う。松本さんが講師をつとめていらっしゃる『赤毛のアン』を原文(英語)で読むセミナーに何度か参加した。そのセミナーの中ほどには、必ずお茶の時間が設けられていて、松本さんご自身が買ってこられたお菓子を参加者がいただくことになっている。残念ながら『赤毛のアン』やいわゆる児童文学などにくわしくないのではっきりとはわからないが、それらの物語となんらかの関係(広い意味でのかかわり)があるお菓子を用意されていることもあるようだ。あるいは取材などで行かれた旅先で口にされたものなのかもしれない。いずれにしても松本さんのお菓子への思い入れが感じられる。おやつやお菓子にこだわりがあるという表現もできるかもしれないが、それではちょっと偏屈な感じがしてしまう。あそこのお店のものよりも、こちらのお店のもののほうが甘さが控え目でおいしい。その程度のことはおっしゃることがあるが、それは好みの問題か、せいぜいその延長線上のお話だと思ってお聞きしている。いずれにしても、一にも二にも、お菓子がお好きであるのはまちがいない。
さて、この『物語のおやつ』だが、そんなお菓子やおやつへの思い入れと、物語の楽しさを伝えたいという気持ちがみごとに合わさっている。冒頭の数十ページには、おいしそうなおやつの写真とそのレシピが載っていて、一見「料理本」のように見える。そのあとに続く本文は、そのおやつたちが出てくる物語のお話である。この部分は『イギリス物語紀行』や『ヨーロッパ物語紀行』の番外編、あるいは特別編という感じがする。また、そこかしこにご自身の食べ物の思い出が語られていて、そこもなかなか楽しい。松本さんの小学生のころは「スパゲッティといえばナポリタン、ソーセージは魚肉ソーセージか赤いウインナー」だったそうだ。自分の過去を振り返ってみると、スパゲッティを初めて口にしたのはたぶん高校生のころだったと思う。もちろん、そのスパゲッティはナポリタンふうのもので、ミートソースを知ったのはさらに後のことだった。子どものころは野菜嫌いで、ハムやソーセージをよく食べていた。そのソーセージは細長い「プリマハム」の魚肉混合のソーセージで、ウインナーはやはりあの赤いウインナーだったような気がする。松本さんと自分とは少々歳の差があるのだが、松本さんのエッセイなどを読んでいると、子どものころ、かなり似かよった食生活をおくっていたと思うことがよくある。気候や風土にいたっては、同じ日本海側で育ったということもあって、食生活以上に親しみを感じてしまう。
衣食住というが、そのなかでも「食」は人間の生活の基本中の基本だ。だから、食文化を語ることは人間を語ることにつながるし、物語のなかでも「食」は重要な要素となりうる。とくに児童文学ではそうなのだろう。松本さんは「児童文学の大きな魅力の一つは、食べものの描写、それも、子どもたちが大喜びして食べる場面のすこやかさにある」という。子どもたちに、そんな「すこやかさ」が育つことも願って、松本さんはこの本を書かれたのかもしれない。そういっては、深読みに過ぎるとしかられるだろうか。