「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

引き裂かれる思い、そして、ガス抜き

2008年06月04日 | Monologue & Essay
  病床にある母を残してこちらに戻ってくるのは引き裂かれるような思いがする。もちろん兄夫婦がそれなりに面倒を見てくれてはいる。しかし、自分の先天的な障害というもので結ばれた自分と母との関係は、やはり特別なように思う。マザコン的といわれてもやむを得ないだろう。そんな自分と母との関係は、兄と母との関係、兄と自分との関係、そして父と自分との関係をやや距離のあるものにしてきた。その距離感が母を兄や父に任せきれない自分の思いにつながり、引き裂かれる痛みを強いものにしている。それでも眼前の母から離れ、すぐには手の届かない場所にまで戻ってくると、ひとまずホッとする自分がいる。しかしすぐに、弛緩した思いを叱るかのように罪悪感が追い打ちをかけてくる。今度は内なる自分が引き裂かれる。まだ断定はできないが、やや認知症的な症状も見え隠れし始めた母のことを思うと、自分の痛みは再び強くなる。表面的にはまだ元気な父も、検査の結果、病状の再発が確認され抱えていた“時限爆弾”にスイッチが入ったようにも思われる。そのことが引き裂かれる痛みをより複雑なものにしている。
  いま落合恵子さんの『母に歌う子守唄』(朝日文庫)を読んでいる。「わたしの介護日誌」とサブタイトルにあるように、落合さんがお母様を介護した記録である。そのなかで落合さんは「こうして介護について書くことも、わたしには情報開示であり、自身のセラピーにもなっている。(中略)表現することで、日々、自分の中に降り積もっていく焦燥と疲労のガス抜きをしているのも事実だ」と書いている。自分がブログを書く思いを代弁してもらったような気がした。いままでのように一冊の本に対して長い文章をじっくりと書くことはできないかもしれないが、短くとも、できるだけ頻繁に更新したいものだと思う。ガス抜きはこまめにしたほうがよい。
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