或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「日本国民」の司法に対しての実情

2012-07-07 08:00:04 | 日記
これは一般的な刑事事件についての話であるが、

警察や検察だけを非難するのも少し、違うかもしれない。

誰かが「逮捕」、となると、

社会的に、日本国民のほとんどは、

「推定有罪」、

と判断する。

この国民性が災いしているのかもしれない。

「疑わしきは罰せず」、

という大原則を、法的には決定できても、

日本国民、社会的には、

「あいつが犯人」、

という思いが起こり、いつまでも、

「あいつは罪人」、

という考えが残る。

冤罪事件で、「無罪」、を勝ち得てさえも、

「ホンマはあいつがやったんちゃうか」、

という考え方を、日本国民は捨てきれない。

「法」よりも、「社会」が偏向していると言える。

実際、憲法第9条第2項に違反して、

「軍隊」を持つ日本国に於いては、

「法」や「司法」への信頼というものが、希薄なのかもしれない。

一体何のための「法」なのか。

「法」と「国民性」が合致していない、

とも言える。

国民自体が変わらないと、司法も無意味になってしまう。

この国民性が変わる日が来るのであろうか。