或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「学者先生」たちへ

2011-09-16 01:22:35 | 日記
日本語には、文字が無い。

「何を言っているんだ?」と思われるかもしれない。

しかし、「漢字」というものは、もちろん、中国のものである。

では、「かな」はどうか。

ご存じのとおり、「ひらがな」は漢字を崩してできたもの。

「カタカナ」は漢字の一部を取ってできたもの。

日本固有の文字は、一切ないのである。

「お偉い先生方」が、「本来の日本語」、といった場合、文字では書き表せないことになる。

何でも取り入れる日本の文化によって、「日本語」自身も存在できているのである。

つまり、「本来の日本語」を書き表すすべはない。全て口承によるしかないのである。

「本来の日本語」たる「やまとことば」だけで生活する場合、書き残す、という作業ができないのである。

唯一の手段としては、一応世界的に認められている「ローマ字」を使うしか方法はない。

しかしそのローマ字も、「文部省式」やら「ヘボン式」やら一つに定まってはいないのである。

長音を表す場合どうするか。

母音の上に線を引く、あるいは「h」をつける、はたまた「英語式」の発音規則に従った記述をする。

どちらにしても、一長一短がある。

今私がしているキーボードでの入力も、また別の規則の上に成り立っている。

しかし、本気で「正しい日本語」なんて言う考え方を持っている「学者先生」はいるのだろうか?

ただの「日本語オタク」なのではないか?

ちなみに隣国の韓国には、「自らの文字」というものがある。

確かテジョンデワンによって作られたと言われていたと思うが、

「ハングル文字」である。

これはよくできていて、論理的にも、「なるほど」、と思える文字体系である。

そろそろ「学者先生」たちも、「正しい日本語」などという「幻想」から覚めてほしいものである。