あともう一つエピソードがある。
同じ先生の授業でやったけど、
「一人ひとり電気製品を挙げていこう」、
というものがあって、
「まずはコンセントから電源をとるもので」、
という先生の断りがあった。
私の順番が来るまで、まだ、
「コンセントから電源をとるもの」、
が続いていた。
そこで私は、
「時計」、
と答えた。
先生も多分私に期待するところがあったとは思うのだが、
私以後、「そろそろ電池で動くものも良しとしよう」、
ということになった。
しかし、ここに常識と真実の齟齬がある。
私の家には、「コンセントにプラグを差し込み、それで動く時計」、
というものがあったのである。
「時計は電池で動く」、
という常識。
「私の家にはコンセントを電源とする時計がある」、
という真実。
もしかすると、その頃から私は、
「世間の常識」、
というものを疑ってかかるようになったのかもしれない。
一つ付け加えておくと、
その理科の先生を私は嫌いではない。
どちらかというと、「好きな先生」、
のうちに入ってくると思う。
「一般常識」というもの。
疑いすぎるのもいけないが、
随順してばかりではいけないと思う。
同じ先生の授業でやったけど、
「一人ひとり電気製品を挙げていこう」、
というものがあって、
「まずはコンセントから電源をとるもので」、
という先生の断りがあった。
私の順番が来るまで、まだ、
「コンセントから電源をとるもの」、
が続いていた。
そこで私は、
「時計」、
と答えた。
先生も多分私に期待するところがあったとは思うのだが、
私以後、「そろそろ電池で動くものも良しとしよう」、
ということになった。
しかし、ここに常識と真実の齟齬がある。
私の家には、「コンセントにプラグを差し込み、それで動く時計」、
というものがあったのである。
「時計は電池で動く」、
という常識。
「私の家にはコンセントを電源とする時計がある」、
という真実。
もしかすると、その頃から私は、
「世間の常識」、
というものを疑ってかかるようになったのかもしれない。
一つ付け加えておくと、
その理科の先生を私は嫌いではない。
どちらかというと、「好きな先生」、
のうちに入ってくると思う。
「一般常識」というもの。
疑いすぎるのもいけないが、
随順してばかりではいけないと思う。