或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「ブッダの人と思想」~第二章”悪魔との対話”

2013-10-28 23:58:03 | 日記
このご本をお読みになればわかると思いますが、

「悪魔」とは、「煩悩」「欲望」のことです。

釈尊も、「悪魔」と闘い続けました。


「降魔成道(ごうまじょうどう)」と一般的には言われ、

「悟り」を開かれた釈尊は、「悪魔」に打ち勝ち、

そののちは伝道者として歩まれた、と言われています。


しかし、原始仏典に於いては、「降魔」ののち、「悟り」を開かれたものの、

それからも、「悪魔」はたびたびやってくるのです。

いかに人間の「煩悩」「欲望」というものが強いか、

がわかります。


釈尊でさえそうなのですから、私も含んで、皆さんの場合、

「煩悩」「欲望」に打ち負かされた日々を送っているのではないでしょうか?


ここに本文中の経典を引用して、このエントリを終えたいと思います。


 「わたくしもまた、かつて正覚を得ないボーディサッタ(さとりを得る前の仏)であったとき、

  みずからは生まれるものでありながら、生まれることがらを求め、

  みずからは老いるものでありながら、老いることがらを求め、

  みずからは病むものでありながら、病むことがらを求め、

  みずからは死ぬものでありながら、死ぬことがらを求め、

  みずからは憂えるものでありながら、憂えることがらを求め、

  みずからは汚れたものでありながら、汚れたことがらを求めていた。」

                       ―「マッジマ・ニカーヤ」