脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

住まいは人生の結果??🤓 社会人パート1

2020年09月04日 11時02分00秒 | 住む
住まいって🤓
その時、その時の人生の結果なのかも?

振り返って見ました。

昭和57年。最初の結婚で親から独立😊





門真市の賃貸マンション。
マンションっていっても
アパートのような。築古物件。1DK
ガスはプロパンガスでした。
脱衣所もない小さな部屋。

その年に大手消費者金融会社を退社。

その後、嫁が、どうしても地元に戻りたい
というので八尾市内の賃貸コーポ。
家賃32000円
昭和57年秋から住み始めたのです。
間取りは1DK  窓もない真っ暗な部屋

家電量販店へ転職した頃でした。
給料は手取り14万円ほど。

その後、結局は家電量販店は退職😨
大手消費者金融会社へ転職しました。

そして給料がアップ⤴️
支店長候補となったころ。
お隣の市へ引っ越し。
駅徒歩5分🚶‍♀️
   3DKの賃貸マンションに!
広くて明るい部屋へ転居出来ました

その年の年末。支店長へ昇進🤗

『マンションでも買わないか?』
嫁に言ったんですが。
『住宅ローンに縛られるのは嫌!』

まだバブル前の昭和61年の頃です。

その後、また嫁のわがままが出て
実家の近くの八尾市へ引っ越し。

グレードは下がって二階建てのハイツ。
軽量鉄骨造りで3DKでしたが。
狭くなりました。

その直後に離婚😨😨

私は寝屋川の実家に戻りました。

家無し😨

平成元年に別れた嫁とよりを戻し
その軽量鉄骨造りのハイツに戻ったものの
平成3年に再び離婚。

そのハイツには私が住むことになりました。

同年秋に今の妻と知り合い平成4年春

人生再スタートのため引っ越しをしました。

大阪から脱出😵
3DKの賃貸マンションです。
家賃は当時で75000円。

そして結婚が決まり、建売住宅を購入。
32歳の時でした。
年収も800万前後となり思い切って!

住まいは人生の履歴書みたいなものかも。

この後は転勤が続くとは思いもよらず。

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