住処の変化
今はお陰様で注文建築の一戸建てに住めるようになれました🤗
田舎ですけどね。
住まいを振り返ると
子供の頃から30年
決して恵まれた住まいではありませんでしたから。
今の住まいは天国のように思えてなりません。
それでは私の住まいの歴史😅😅
私は生まれて
まもなく東京都目黒区中目黒の祖母宅に預けられてました。
両親は住まいが落ち着くまで祖母宅に私を預けていたそうです。
約1年間😱
その後は物心ついた頃は大阪市城東区の四畳半のアパートに両親と。
トイレはアパートの共同トイレ
風呂はありません。
共同トイレで困った事は
私が熱を出したりしたとき。
部屋の外にある共同トイレに行けません。
母は私の尿を洗面器に取ってくれてました。
尿瓶?そんな物を買う余裕などありません。
子供ですし。
健康な時でも夜に尿意があると
トイレに行くのが怖くて
部屋で洗面器にとってくれてました。
子供なので
別に貧乏とは思ってなくて
そんなものだ。としか。
照明器具は蛍光灯などでなく
いわゆる『裸電球💡』に傘が付いているものでした。
母は内職してました。
父は寿司職人の見習いみたいなもの。
地方を転々として大阪の母に仕送りをしていました。
うっすら記憶にあるのは
まだ私が幼稚園に上がる前
父からの手紙を母が嬉しそうに私に読んでくれたのは覚えています。
母も寂しかったんだと。
私が幼稚園に行き始めたころは
父は
難波にある高島屋の地下でお寿司を握ってました。
この頃から少しずつ我が家の家計は安定?
し始めてきたように思います。
小学校入学の少し前でした。
四畳半のアパートに学習机を置くことはできません。
小さな四角いテーブルに本立てと鉛筆削りだけ置いてある机??が私の学習机でした。
鉛筆削りには
当時の大人気アニメ『鉄腕アトム』がキャラクターのものを安くないはずなのに
母は無理をして買ってくれたのです。
そう言えば
母はよく絵本を買ってくれました。
幼稚園に上がると
毎月の学習絵本『ひかりのくに』も定期的に買ってくれました。
そのお陰か
私は本が今でも好きです。
話は逸れましたが😅
四畳半のアパートは小学校一年生の1学期で去ることに。
友達ができ始めた矢先の頃
大阪市東住吉区の団地に引っ越したのです。
父が
『こんどは部屋が二つ!トイレもあるからな!』と笑顔で言ったのを覚えています。
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