年度末に契約期間満了で継続更新しなかった職場。ずっと辞めることを話題に出さなかったのは、あまり早くから、そのことに触れてはいけない気がしたのと、ブログに書くのは問題ではないかと考え、期間満了するまでは伏せようと、思ったからだ。
嘱託職員はパート的な感覚と捉えていた。でも、在職の方達は、1年毎の更新でありながら、一般的な就職と捉えているみたいで、辞める人が居ないそう!確かに50代~60代の人が殆どを占め、転職というのは難しいからだろう。
私みたいに、契約社員や派遣と続けてきたものの考えは、他の人には理解しがたいのかもしれない。増してや、保育園・幼稚園の保育の資格・学校の教員資格もないので、そういった環境での仕事経験がないことも決意に繋がった。やっぱり採用されたのが間違いだったんじゃないかな?
実はこの業界、年度単位で考えていくからだろうか?契約の継続の意志を秋ごろ(ここでは私が退院して間もない10月中旬だった)に確認する。同時期に仕事に就いた人に聞くところによると、幼稚園や保育園もそうらしい。やっぱり翌年度の採用の予定を早々と決めておかないといけないからなのか?
通常、民間企業であれば、退職予定の1・2ヶ月前に直属の上司に伝えて、問題なければ、引継ぎなども考え相談して、1ヵ月~2ヶ月後に退職という感じだ。あるいは派遣だと、ひと月前に契約更新の意思確認で連絡が入り、NGの時は翌月末で契約満了にしてもらうという流れだ。
契約を続行しないということを、退院して、自宅療養後、職場復帰 間もない頃に決めたのは、元夫の再婚話が9月に分かり、児童扶養手当も義務教育で終了させるという案も議会で持ち上がっており、仕事内容(続けていれば解消できる問題と覚悟を決めていた)云々よりも、経済的な不安に襲われたからだ。そのことを、先輩に伝えられず、とうとう年末になってしまった。
年明け後、「こんなに早く辞める人はいない」、「残りの3ヶ月の(私への)対応を、どうしたらいいのか悩んでいる」と言われた 「あの、ギリギリまで今までと変わらず、満了期間まで指導をしてください」と伝えたが、辞めていく人に対して、長いスパンで育てようとする指導の労力は無駄だと考えたようだ。職場と親御さんとを繋ぐ“連絡帳”の記載だけ、私にはさせなくなった。このことが、どんなに悲しいことだったか。でも仕方ない。翌年度も子供達をみていく先輩の先生が、私の書く たった一言 で、親からの不信感を生んでしまうこと・与えてしまうことを避けたいのだ。
もし、もしも、担当部署に継続の確認を提出した10月中旬に伝えていたら、5ヶ月間もアルバイトさん扱いになり、親御さんとの関わりからは外され、情報の共有もなされず、まったくの蚊帳の外にされていたのだろう。特殊な世界だなと・・・
11月頃にほかの学校勤務の先生達から問い合わせが相次いだそう。
「いったい誰が辞めるのか?」
採用募集がされる人数から、1人の情報が足りなかったからだ。
後に先輩先生に聞いた話では、私のせいで旅行計画がおじゃんになったそうだ。
「知らなかったとは言え、申し訳ない事をしてしまったんですね・・・すみません!」
と謝った。
63歳の定年で辞められる先生が、集まれるみんなで旅行に行くのを楽しみにしていたとのこと。私は、この職場では退職するときの2月に温泉旅行を計画する などの毎年の様子も諸事情も全く知らないので、ただ単に「先輩に言いづらいな~」と思っていただけで、人様の旅行計画までもを、ダメにしたとは思いもよらなかった あーシステムが全く分からない!! 私は今まで経験した事を普通に問題なく、常識の範囲で伝えてきたはずなのに!どうして???知らないうちに迷惑をかけていたんだな。
もひとつ、『送別会』 メンバからも外された。ほかの退職者の方とは、キャリア、つまり、格が違うから、一緒にはできないとのこと。でも もし誘われても、お断りするつもりでいた。あまりその辺には 拘っていなかったのに、連絡が入って遠まわしに断られたことで、逆に辛くなった。
共に働く先輩先生は、
「たとえ 1年近くでも、きちんと精一杯働いてきたのにね・・・」
と慰めてくれた。
職場で使用した私の名前のハンコ、つかう事はないかもしれないが、退職時には もらっていいのかと思ったら、税金で購入しているものだから、ダメ なんだそうだ。どう再利用するというのか???この程度の税金を渋ってないで、何兆何億円もを オリンピック誘致予算に考えている東京都のことを何とかしろー!!と思う。(もうすぐ都知事選挙なので・・・)
はて?最初に支給された作業着に値するジャージや運動靴も、衣類はクリーニングして、靴は洗って、返却なんだろうか?民間企業の就労経験しかないと、こんなところが カルチャーショック になる。
PHOTOは曇り空の下の桜
※ その後、愛用していたジャージ上下のことを確認したが、返却しなくていいそうだ
嘱託職員はパート的な感覚と捉えていた。でも、在職の方達は、1年毎の更新でありながら、一般的な就職と捉えているみたいで、辞める人が居ないそう!確かに50代~60代の人が殆どを占め、転職というのは難しいからだろう。
私みたいに、契約社員や派遣と続けてきたものの考えは、他の人には理解しがたいのかもしれない。増してや、保育園・幼稚園の保育の資格・学校の教員資格もないので、そういった環境での仕事経験がないことも決意に繋がった。やっぱり採用されたのが間違いだったんじゃないかな?
実はこの業界、年度単位で考えていくからだろうか?契約の継続の意志を秋ごろ(ここでは私が退院して間もない10月中旬だった)に確認する。同時期に仕事に就いた人に聞くところによると、幼稚園や保育園もそうらしい。やっぱり翌年度の採用の予定を早々と決めておかないといけないからなのか?
通常、民間企業であれば、退職予定の1・2ヶ月前に直属の上司に伝えて、問題なければ、引継ぎなども考え相談して、1ヵ月~2ヶ月後に退職という感じだ。あるいは派遣だと、ひと月前に契約更新の意思確認で連絡が入り、NGの時は翌月末で契約満了にしてもらうという流れだ。
契約を続行しないということを、退院して、自宅療養後、職場復帰 間もない頃に決めたのは、元夫の再婚話が9月に分かり、児童扶養手当も義務教育で終了させるという案も議会で持ち上がっており、仕事内容(続けていれば解消できる問題と覚悟を決めていた)云々よりも、経済的な不安に襲われたからだ。そのことを、先輩に伝えられず、とうとう年末になってしまった。
年明け後、「こんなに早く辞める人はいない」、「残りの3ヶ月の(私への)対応を、どうしたらいいのか悩んでいる」と言われた 「あの、ギリギリまで今までと変わらず、満了期間まで指導をしてください」と伝えたが、辞めていく人に対して、長いスパンで育てようとする指導の労力は無駄だと考えたようだ。職場と親御さんとを繋ぐ“連絡帳”の記載だけ、私にはさせなくなった。このことが、どんなに悲しいことだったか。でも仕方ない。翌年度も子供達をみていく先輩の先生が、私の書く たった一言 で、親からの不信感を生んでしまうこと・与えてしまうことを避けたいのだ。
もし、もしも、担当部署に継続の確認を提出した10月中旬に伝えていたら、5ヶ月間もアルバイトさん扱いになり、親御さんとの関わりからは外され、情報の共有もなされず、まったくの蚊帳の外にされていたのだろう。特殊な世界だなと・・・
11月頃にほかの学校勤務の先生達から問い合わせが相次いだそう。
「いったい誰が辞めるのか?」
採用募集がされる人数から、1人の情報が足りなかったからだ。
後に先輩先生に聞いた話では、私のせいで旅行計画がおじゃんになったそうだ。
「知らなかったとは言え、申し訳ない事をしてしまったんですね・・・すみません!」
と謝った。
63歳の定年で辞められる先生が、集まれるみんなで旅行に行くのを楽しみにしていたとのこと。私は、この職場では退職するときの2月に温泉旅行を計画する などの毎年の様子も諸事情も全く知らないので、ただ単に「先輩に言いづらいな~」と思っていただけで、人様の旅行計画までもを、ダメにしたとは思いもよらなかった あーシステムが全く分からない!! 私は今まで経験した事を普通に問題なく、常識の範囲で伝えてきたはずなのに!どうして???知らないうちに迷惑をかけていたんだな。
もひとつ、『送別会』 メンバからも外された。ほかの退職者の方とは、キャリア、つまり、格が違うから、一緒にはできないとのこと。でも もし誘われても、お断りするつもりでいた。あまりその辺には 拘っていなかったのに、連絡が入って遠まわしに断られたことで、逆に辛くなった。
共に働く先輩先生は、
「たとえ 1年近くでも、きちんと精一杯働いてきたのにね・・・」
と慰めてくれた。
職場で使用した私の名前のハンコ、つかう事はないかもしれないが、退職時には もらっていいのかと思ったら、税金で購入しているものだから、ダメ なんだそうだ。どう再利用するというのか???この程度の税金を渋ってないで、何兆何億円もを オリンピック誘致予算に考えている東京都のことを何とかしろー!!と思う。(もうすぐ都知事選挙なので・・・)
はて?最初に支給された作業着に値するジャージや運動靴も、衣類はクリーニングして、靴は洗って、返却なんだろうか?民間企業の就労経験しかないと、こんなところが カルチャーショック になる。
PHOTOは曇り空の下の桜
※ その後、愛用していたジャージ上下のことを確認したが、返却しなくていいそうだ