国際結婚の現実 NZ編

日本の文化が独特すぎるのか!英語文化との違いに笑い、悩む日本人妻のひとりごと。

冬期鬱病 2

2011-07-06 21:44:28 | 親戚

で、追い打ちをかけるように、NZの空港に着いたらそれは始まった。

だんなは仕事があり、迎えにこられないとの事で、私は空港からひとりでバスで帰るつもりだった。

私も、自分のホリデーに区切りが付けられるという気持ちで、自分の娯楽の最後くらい自分で占めたかったんだが。

が、だんなが義姉に迎えを頼んでくれちゃったのだ。

それは親切でありがたく、普段の精神状態なら喜ぶべきなのだが、やはりちょっときつかった。
 
空港から家までの車の中で、話は、うちの経済的な事に行ってしまい、家の状態がひどいままで住んでいる事を哀れまれ、

どこにお金を使うべきとか、どうしていったらいいかとか、そんな話になり、

いわゆる男がハンディマンでないのがいけない、といった話になって、

ならば人に頼んでお金を払って直してもらうようにするべき、そのお金がないなら、コンピューターなどに使わず、捻出する方法を考えるよう

私が弟(だんな)に話すわ!と義姉は意気込んでしまった。
                                                                      
これは、もうここ何年も、義姉に始まり、義母、だんなの友人も同じ事を言っていて、
家を訪問し合う文化のこの国ではさけて通れない道なのかもしれない。

私の親戚は、仲が悪い訳ではないのだが、母方の祖母と叔母以外は互いに家を訪問する事などまずなかった。

名古屋の人の気の使い方なのか、訪問するイコール相手やその配偶者に気を使わせるから遠慮するという価値観だった。

旦那の一家では、突然の訪問は多く、よく集まり、よく電話し合って、干渉し合う事が多いために、討論会というか、話し合いというか、けんかというか。。。
そういう事がある。

前出のように他の人たちの問題は異性関係が多く、うちの旦那も、放っておけないと首を突っ込んで行ってしまうのだ
が、
うちの場合は、ちょっと違う種類の問題で、まわりも、ただ家を直すだけじゃない!と、
みていていらいら耐えられないようだ。

さらに、『こんなひどい状況で放っておかれたら、私なら妻として耐えられない、出て行くわ!』と義母も義姉も話はそういう方向になっていき、鼻息荒い。

こういう発想はキウイの女性だからなのか。簡単にセパレーション。

私がそのうち、怒って出て行って離婚するだろうみたいな話にまで行っちゃうのだ。

そして精神的に沈んでいるときは、何でもマイナスにとりやすいもので、

これって、私にもっと強い言葉を言う嫁になってほしい、いや、自分の弟にはあなたでなくもっとしっかりした嫁が欲しい、別れてくれといっているようにも聞こえ。

ーーー帰ってきてのっけからこの話、そして今週中は、あなたの事が心配だ、大丈夫か、というテキストも入ってきたりで、どんどんどつぼにはまって行った。


ぶっちゃけ言うと。

私という人間は、家がぼろぼろでも暮らして行けちゃう。ということだろうか。

そりゃ半年に一回くらいは切れるが、もう雨風しのげて、住めりゃいいやという感じになってきている。
この環境に慣れた。というか。

人を呼ぶにはひどい状態と自覚しているので、私から人を誘う事はまずない。なので、この方たちも、私たちが住んでいる環境を見に来なければ、この問題は起こらないはずなわけで。

当のだんなも、家の修理の事はわかっていても、それより今回の手術代やらなんやらで、好きな車を売らなければならないなどで気落ちし、
かろうじて毎日仕事には行くが、うちでは異常に無口で寝てばかりの鬱状態。

そんなこんなで、Head down, Tale up, じっと下を向いて働き続けるしかない毎日がまた始まったところなのである。

冬期鬱病 1

2011-07-06 21:33:14 | 日本
日本から戻って以来、もうひとつ気が沈んだままである。

今回の帰省では、自分の居場所がどんどんなくなっていることをはっきり感じた。

いつも、もし、日本に戻るなら、、、という希望を持って、仕事や賃貸の価格などを見回すのだが、
自分の年もあるが、もうだめだ。。と実感。

NZが嫌いというわけではなくて、いいところはいっぱいあるのはわかっているが、やはり日本の方がまだ
いろんな面で住みやすい。。。便利、物価が安い、安全。。。

原発騒ぎはまるで外国の出来事のようで、
政府が私がいた3週間の間にもなにひとつすすめないことには辟易したが、
でも、国民はみな平静というか、それはもう受け入れてそこで生きて行くしかない、という雰囲気だった。

そんな沈んだ気持ちで、送り迎えをしてくれた母に別れを告げ、ひとり関西空港に向かった。

ひとりになってから飛行機に乗るまでは、荷物のキロ数やら、機内持ち込みのものをうっかり手荷物に入っていないかが気になり、

緊張の連続なのだが、飛行機が飛び立つと、悲しさが湧きながらも、また必ずくるという強い決意をする。

年を重ねれば重ねるほど、置いてくるのはつらいものである。

置いて行かれる方は、もっとつらいのであろうが。