国際結婚の現実 NZ編

日本の文化が独特すぎるのか!英語文化との違いに笑い、悩む日本人妻のひとりごと。

働く場所

2007-05-31 04:49:29 | 仕事
私の仕事場は、NZの経済、文化の中心から80km離れたいわゆる郊外にある。

10年前までは、ばりばり働いた人たちの、リタイア、別荘エリアだった。

しかし、今は高速道路が伸び、ペッドタウン化して、通勤範囲である。もしこのようなガソリンの高騰がなかったら、であるが。

80kmとはいっても、信号もほとんどなく、高速道路を100kmで飛ばせるので、30-40分である。

日本なら、1時間が通勤範囲と考える人がほとんどではないだろうか。

しかし、そこはNZ、電車はない、バスも9-5時に仕事する人の時間にしか走っていない、では、車通勤を強いられる。

プラス駐車場代もガソリン代に負けないくらいかかるので、こんなぜいたくができるのは、自分でビジネスをして税金控除をできる人か、エリアマネージャーと言うくらいの地位で、ガソリン代駐車場代を会社が出してくれる人くらいである。

前置きが長くなったが、そんな訳で、今私が仕事をしている雑貨屋さんの客層は、なんといってもリタイアしたお年寄りである。

みんな、歩行器や電動車いすで活動的に買い物をしている。ウチの店にも、ちょくちょく顔を出してくれる。

この辺りに交換留学指定の学校があるので、たくさんの家庭がホームステイをとっているのも、国籍に関わらず、だれにでも親切で、移民に慣れている所以だと思う。(ホームステイをとると、学生からの収入があるというのもお年寄りには大きな助けになっている。)

ただ少々悲しいのは、やはりこないだまで元気に歩いていた人が、今日は両手に杖をもって歩いていたり、歩行器に寄りかかっていたりするのを目の当たりにすることである。

こないだ、ストローク(脳卒中)になっちゃってね。がんが発見されてね。などと言う会話が、ぽんと出てくると、戸惑う。

それでも、からだが動くうちは、一人で住み、自分の足で行動する人が多いのだから、本当に頭が下がる。

このような年齢の方たちは、当然戦争経験者。

ある一人の男性は、大戦中、横浜の米軍基地にいたという。もう60年前だけど、まだ日本語おぼえてるよー。と(コレは英語で言う)、いつも満面の笑顔でやってきて、手をあげ、

おはよう。

こんにちは。

と、あいさつしてくれる。

ちゃーんと午前中と午後の挨拶を使い分けできるので、私たちも、おっ。と思ったりするのだが、

この方、そのあとに続くのが、

毎度のことでございます。

である。美しい30度のお辞儀もつけて。



まいど、でもなく、まいどのことで。なぜ、ことで。が付くのだろう?その上、最上級に丁寧な、ございます、まで?とふきだしてしまうのであるが、彼がいうには、横浜にいるとき、日本兵が教えてくれた。というのである。

横浜ながら、関西出身の兵隊さんがいたんだろう。それは考えられるが、ございます、って。。。

そして、きのうなどは、

ところで、この毎度の事で、ってどう言う意味?と聞くのだ。

どちらにしても、こんなふうに、フレンドリーな人が多い地域で、中心地で仕事していたら、絶対巡り会わないシチュエーションなのである。

少年ジャンプ

2007-05-30 03:53:39 | 仕事
いくら英語を勉強した人だって、教科書にも出てこない言葉が蔓延しているのが、現地の生活である。

ましてその職場だけでしか使わない言葉というのもたくさんある。

私は、いろいろな雑貨を売っている職場で働いている。

生活必要品がほとんどだが、日本の東急ハンズの札が付いたままの便利品や、ヨーロッパだかアラビアだか向けの、見た事も無い言語が書いてある製品が流れて来たりすることもあって、なかなか面白い。

さて、NZは移民の国であるが、難民救済にも力を入れているので、本当に人種も生活様式も様々である。

私がまだこの仕事を始めて日が浅い頃、インドかスリランカ系の若者がやってきて、ロープ、I want to jump.と言われた。

そこでぱっと私の頭に浮かんだのが、バンジーコードだったので、そのコーナーを案内した。

バンジージャンプという言葉はもう世界共通語になっていると思うが、あれをするときの強いゴムひもはもちろんもっと太くて丈夫である物の、働きはいっしょなので、日本ではいわゆる自転車の後ろの荷台に、荷物を乗せるときに締めるコードのことを、この国では(業界ではというべきか)バンジーコードと呼んでいる。

ただ、おかしいなあ、とは思った。どこでこんなのを使ってジャンプするんだ??

そこで、But this is too thin, You cannot jump with this.

と、本心から言ったのであるが、It is ok.と、その男性は買って行った。

しかし、10分ほど経って、彼はあいたパッケージとともに戻って来た。

で、ノー、ノー、I want to jump.と、繰り返す。

考え込む私に、それを聞いたとなりにいたもう一人のスタッフが、 ああ、OK, と、そのコーナーへ。

男性も、ああ!これこれ!と、笑顔で交換をして帰って行った。

何だったんですか?と私がそのスタッフに聞くと、縄跳びだよ。Jumping Rope. と言われ、ああ~!!納得。

私がバンジーコードを売った経緯を話すと、爆笑されてしまった。

恥ずかしかった。

ベッドフード

2007-05-29 03:28:51 | 仕事
今日はだんなと休みが重なった。
だんなは休みの日は、ベッドでブレックファーストというのが好きな人である。
とても特別の日と感じて、リラックスできるかららしい。

母の日とか、誕生日などは、朝食をベッドまで作って持って行ってあげるというのが西洋のねぎらいの習慣だが、やはりこれをするのは、日本人には抵抗があるに違いない。
以前親子留学でホームステイをしていたママサンに、ベッドまで朝食を持って行った事があったが、さすがに子供の前ではできなかったんだと思う、やはり机のある部屋で食べていた。

しかし、行儀云々よりも、私としては、よくぞベッドの上で、ナイフとフォークが使えるな。ということだ。
私もやってみよといわれて、何度か挑戦したが、やっぱり物はシーツの上に落とす、ナイフとフォークで物を切ろう物なら、皿がゆらゆら腹の上で揺れる、で、食べている気がしない。
増して、犬が至近距離で見つめているので、食べにくい事と言ったら。。。
(ベッドの横にくっついて、私が物を落とすのを楽しみに、ばたばたしっぽを振って待っている)
やっぱり、できん!向こうで食べる!と、ひとり机のある部屋に行って食べることになる。

何十人と集まるパーティをするときも、机がないから、と、皆いすに座って、膝の上に皿を置いてナイフとフォークを使って食べる。
これは、私の日本の家族が家に来たとき、まさに立証された。
机無しで、いすだけ提供され、ナイフとフォークで、バーベキューミートを食べろと渡された日本人たちは全員、床に正座をして、皿を置いて食べ始めるはめに。。。今も気の毒なことをしたと思っている。

しかし私は長い経験により、これはナントカマスターした。
ところが、ベッドはどうしても背中が立たなくて、うまく食べ物が口に入らないのだ。

本日その理由を発見した(と思う)。やっぱり骨格が違うのだ。
これは、男女とか、背の高さに関係なく、白人は、手と、首が長いのだ。だからこぼさずに支えて食べられるのではないか、と。

なかなかハリウッド映画のようにはいかない毎日の生活である。


ペンキ塗り

2007-05-28 04:25:51 | 仕事
私がこの国に住んでいるからこそ、こういう事を人生の中で体験した。ということがある。

そのひとつは、室内の壁のペンキ塗りだった。

老若男女、日常会話の中にペンキ塗りをしたという話はよくでてきて,フーン,そんなに難しくないんだな。という感覚があったが、ついに我が家も、ウチの老朽化とだんなの専門であるアーチストの血が、ついにこの家のペンキ塗りをするモチペーションになったのである。

やり始めてみると、まあまあおもしろいものだ。

しかし、始めたのは確かに夏だった。

もう,今は5月も終わろうとしており、冬の雨期に入りかけている。普通ペンキ塗りは、天気がよく湿気も少ない時期に行われなければならない。

だが、うちでは、まだ、ある部屋など家具は動かしっぱなし、ペイントローラーなども広げっぱなし。ペンキが乾くとか乾きにくいとかそういう問題より、私としては、非常に落ち着かない住環境なのである。

一部屋,使っていないベッドルームは、だんながスタディと呼んで書斎にしているが、まああれは誰が見ても物置である。

人ひとりとおる道があるだけの部屋で、トイレに行く途中に目に入る部屋だが、万年ほんとうに汚い!

おまけに、あまりのひどさに、私が整理整頓をすると、だんなはお礼どころか怒る始末。Don't touch it.だと。

この部屋があるだけでも,私はいらいらしているのに、ペンキ塗りの部屋がいくつかできて、いらいらも極地に達していた。

それが、最近うまい具合に懲らしめる事ができた。

しびれを切らした私、ある日、一つの部屋をペイントブラシで塗ってやったのである。

私としては、前に仕事をしていた高級バッグ店で、業者が壁の塗り替えをしたときに、本社のディスプレイスペシャリストがペイントローラーでやってしまった業者さんをたしなめ、ブラシでやり直しをさせた事がある、という事が頭にあった。

あと壁1面だけだったという気楽さもある。すいすいとペイントブラシで終わらせた。

さて、夕方帰宅してそれをみただんな、悲鳴を上げんばかりだった。That's a big mistake!とな。

ローラーが、スムーズな面を作るんだ!Call me at work if you are not sure!だとさ。(私休み、だんなだけ仕事の日だった)

I was sure! ( わかってたからやったのよ!)と、前職場の話も混じえて言い返したら、違う、違うんだ!ああ~どうしたらいいんだ!と頭を抱える。

大げさな。

そして、次に出た言葉が、もういい。君は触るな。Don't touch it!

むかっとしながらも、へっへっへー、私はペンキ塗りしなくてもよくなったわーとちょっとラッキーな気分でもある。

コレを機会に、だんなには、やりかけの物をいつまでも放っておかず、さっさと動く習慣を学習してほしい物である。



Show me your ID

2007-05-27 14:45:41 | 仕事
NZでは、スーパーマーケットでお酒が売っている。取り立てていうのも変に聞こえるかもしれないが、これが許されるようになるまでは、かなりの年月がかかったのである。

また、クリスチャンの国ということで,日曜は酒を販売すると違法だったのもつい2年ほど前の話である。

とにかく、ワインとビールだけは手軽に買えるようになって、数年が過ぎたが、
スーパーは、どこの酒屋と比べても、いちばん安い価格を提供していることがほとんどであることもあって、いわゆる大人っぽく見えるティーンエイジャーが買いに来ることがある。

この国では18歳以上はお酒が買え、飲める。しかし、レジの人にさえ、客の年などわからない。
だから、スーパーでは、お酒を買うときに、IDを見せて,と言われることがあるのだ。

ちなみに、16歳以上でも、Parental guidanceつまり、そこに大人が同席していて、飲んでもいいよ、といえば、飲ませても違法ではない。でも18歳を証明するID無しでは買えないのだ。

しかし大変なのは、NZは移民の国ということである。レジの人は、アジア人がお酒を持って来よう物なら、ID,ID,と要求する。こちらの免許証などがなければ、いつもパスポートを持ち歩かなければお酒も買えなかった。

ーーー確かに、買えなかったのだ、最初の数年は。

私はNZに移住したのが35歳のときだった。
しかし、かわいいレジの男の子や女の子が、ID見せて。と、言ってくれ、それは一日気分がよかったものである。

ところが、最近は全く提示を要求されたことがない。

あるときなど、ホームステイの人を連れて、買い物に出たことがあった。

カノジョは25歳だった。自分のかごにワインを含む好きな物を入れて、レジに持って行くと、ID提示を要求された。

その次にならんでいた私も、ワインをかごに入れていたので,あ、見せましょうか?と言ったら、レジの男の子が、It's OK、といいおった。

一瞬、むっ。男の子は、事の重大さにはっと気づいた様子で、顔がこわばっていた。

ホームステイのカノジョは、笑い出し、私もつられて笑ってしまったのだが、やっぱり、悔しいもんだ!



ちゃん付け

2007-05-26 20:23:38 | 仕事
なぜか、日本人はちゃんをつけて呼ぶのが好きである。

年齢に関係なくである。

日本で仕事をしているとき、だんなの会社の人は全員英語は流暢だったが、やはり日本文化の中でクライアントも日本人だから、ほとんどは日本語で会話をしていたらしい。

男女限らず、ほとんど全員が、30歳以上のプロフェッショナルばかりであった。

しかし、全員、名前をチャン付けで呼んでいた。

ひとり、日本育ちのハーフの40代半ばの男性がいたが、彼はなんでもインドの富豪の末裔で、家にも家来、というのか、召使いがいたらしいので、その召使い(家政婦さん)は、こどもの頃から彼を○○ちゃんと呼ぶため、社員全員が彼をそう呼ぶようになったのが、この全員チャン付けの発端のようである。

さて私も英語文化の国に初めて来たとき、オペアとしてあるキウイ家庭に住んでいたのだが、3歳のガキに呼び捨てされるのは、ひっじょうに気に障った物である。

それは、こちらに住み始めて何年か経って、やっと慣れて来たことであった。

反対に、義両親を呼び捨てにするのは、いまだ抵抗があるくらいだ。日本風に、義母をお義母さん、と言う意味で、 Mumと呼ぶ人も結構居るそうだが、私は最初に教えられた通り,義母を呼び捨てで呼ぶ!と言うことに慣れることにした。

ただ、義理きょうだいは、気楽に呼べるようになった。それは、チャントリックである。

こう呼ぶと、とても親しみがわくのである。そして、相手も、私がそのように呼んでも、自然にしていてくれる。

もちろん、最初はちょっと混乱を招いたのであるが。。。義父方の親戚に、中国人と結婚している人がいて、チャンさんというので、そのいとこの名前を呼ぶときは、結果的に全員フルネームで呼んでいる。
そのチャンファミリーではない、うちのだんなの義理きょうだいが、チャンとつけられて、なぜなんだ?と思うのは自然なことだったかもしれない。

英語文化に住みながらも、英語人がわからない言葉を彼らの前でしゃべるのは、ちょっとした優越感である。



アバウト

2007-05-25 18:22:14 | 仕事
NZに住んでいると、むかっとくること、いらいらすることも多いが、これは日本よりいいよな、と思えることもいくつかある。

きのうその貴重なひとつを感じた。

近くのビデオ屋さんでDVDを借りた。こちらは、新作は8-9ドルで借りれる。(今の換算レートで720円から810円!?自分で書いてみて,あまりの高さにびっくりした)
ただ映画館は15ドルくらい。(1350円 とにかくNZは物価が高い)なので、まだやはり家で遅れて見る方が安い。

とにかく、そのビデオ屋さんで、きのうリリースされたばかりというのを借りた。

まず、新作というのに、その日すぐに借りられる幸せ!

オーバーナイトということは、明日の午前中に返すのがだいたいどこも相場だが、それもあまり時計を持って待っている人などいるわけでもなく、日中でビデオ屋さんが開いている時間でも、返却口はご自由に置いて行ってください状態になっている。

さらにきのう行ったビデオ屋さんの人は、(夕方)6時までに返してね。まあでもできるだけね。
と言う言い方をされた。
なんと親切な。

日本に住んでいる頃は、朝の開店時間10時を10分を過ぎていただけだが、380円お願いします。と冷たくいわれたことは、10年以上経っても未だおぼえている。

こういうところ、ほんとにNZはいい。

アバウトの良さである。




ブッダズム

2007-05-22 08:28:57 | 仕事
キリスト教国のだんなと結婚をするときに、宗教のことが問題になったかといえば、うちの場合は皆無だった。

10年以上一緒に過ごして来ても,全くそういうことにこだわりなく生活できている。

キリスト教国のほとんどの国際結婚のカップルはそうではないかと思う。

ただ、私たちが神道と仏道で生活して来たのと同じように、だんなも子供の頃は、クリスチャンとして毎日曜日、教会に行ったりもしていたそうだ。

ただ、自分の好きなスポーツなどの活動を週末するようになった13歳くらいからは、親が教会に行くか行かないかは自分の意志に任せてくれたという。

実際、NZ人の半分以上は教会にいかないクリスチャンである。

しかし私の友人で、だんなさんは敬虔なカソリックで、彼女自身はいわゆる無宗教のまま、結婚しており、だんなさんが礼拝をしている間、子供を日曜学校には連れて行っていた、という人もいた。

ちなみに私の知っているカソリックの奥さんには,4人、5人と子供があり、現代では多い方である。
厳しい戒律のあるカソリックでは、婚前交渉はもちろん、出産制限も認められていないと言われているが、そこまで守っている人は今の時代、まずいないだろう。

確か,私ども日本人のような宗教を持たない人間を、マイルドブッダだったか、ミディアムブッダ、と呼んでいたと思う。

それをいうなら、一般的なNZ人も、マイルドクリスチャンというところだろう。

そんな人間同士が結婚し、生活をしていると、私の母のような、いかにも一般的日本人が、簡易保険の招待旅行で○○に行って来たよ、と神道のお守りの意味合いのある置物をお土産にくれたりする。

北海道に行ったときは、くまの置物。(玄関においておくと,魔除けになる)

沖縄に行ったときは、ライオンの置物。(玄関の両脇においておくと、魔除けになる)

シンガポールに行ったときも、マーライオンの飾り。

韓国に行ったときは。。。。

と、いわゆる多神教のいわれが絡んだ物がうちにはいっぱいある。

だんなは,意外とそういう多神教も、柔軟に受け入れる。日本にいたとき、よく京都を訪れていたこともあり、どれがブッダ?どれが神道?とよく尋ねられ、日本の宗教についてあらためて勉強させられたものだ。

ただ、私どもが共通して思うのは、神というのは自分の中にあり、良心であり、価値観であって、どこかひとつに所属しなきゃいけないというのはおかしいということだ。

だから、国が違う者どうしでも、一緒に住んでいられるんだろう。いい時代、平和な国に,生きていることを感謝すべきなのかもしれない。


ハートブレイクペットホテル

2007-05-20 19:57:52 | 仕事
今朝も犬を連れて散歩をしていた。

家の近くにペット屋があり、最近、ラブラドールのパピーが3匹、窓際にいたので、今日ものぞきに行ってみた。

バビーは、2匹になっており、だいぶ育っていた。

うちの犬ものぞいた。

しばらくは眠っていて気づかなかったが、はっ!ときづいた1匹。こちらを見た。

ところが次の瞬間、目を閉じて、顔をそむけ、また眠り始めてしまった。

こんな反応があるだろうか!犬なのに。それも好奇心旺盛であるべき小犬の時期に!

まるで大人のような、あきらめの目線だった。

確かに私はこの子たちを救ってやれない。道行く人もみんなそうに違いない。

犬を飼うと言うことは、散歩から、登録料まで、大変なことなのだ。

あの小犬は、毎日ああしてガラス越しに見る人たちの心理を学習してしまったのだ。ラブラドールは、賢い犬だ。

どうせ、見るだけだろ。ふん。と。

かわいそうで見ていられなくなった。

人間なら、その時期の刺激不足で、ゆくゆく障害が出るだろう。こうして、人を信頼できない犬は、もちろんその後のしつけも大変だと聞く。

かわいがってくれるオーナーが見つかることを祈るしかない無力な自分だった。


みみずとかたつむり

2007-05-19 07:23:40 | 仕事
みみずとかたつむり、どちらかを手で持てといわれたら、日本人ならほとんどの人が、かたつむりを取るんじゃないだろうか。

こちらは冬、雨期である。よく雨がふり、じめじめする。かといって、日本ほど寒くならないから、冬眠する動物はない。

そこで、出てくるのがこの方たちである。

かたつむりは、日本じゃ幼児のベットにさえなっているし、理科の実験などで育てたりしたこともあったのではないだろうか。

ところが、こちらでは害虫扱いされている。

ガーデニングの大敵、カタツムリを殺す薬を撒くというのが一般的である。

反対に、土に養分を与えてくれるのは、ミミズ。

こちらの国の人は、一般家庭の庭で、コンポストといって、ミミズの床をわざわざ作っている人が多い。

大きなポリバケツの台形版といおうか、水分が出て行けるように,底にしましまの穴が空いていて、そこに枯れ葉、生ゴミ、枯れ葉、生ゴミ、と積んで行くと、数ヶ月後にはいい腐葉土ができるというのである。

ほーら、こんなにミミズがきてくれたのよ!と、みみずの固まりを持ち上げてみせている女性の姿なんかが、新聞や、テレビで出ていたりする。

まあしかし、環境保護、ゴミを減らしてゴミ袋を買う回数を減らすと言う点では、これはいいことである。うちもご多分に漏れず、コンポストを作っていた時期があった。

しかし、ある日、生ゴミを捨てに行って、そのふたをあけた瞬間、ねずみが顔を出し!あまりにびっくりして、後退した瞬間、どろどろの芝ですべり、尻餅をつくところだった。

あの日以来私はあのコンポストに触っていない。

何より、驚くのは、そのミミズは友達感覚のせいか、ミミズの形をしたお菓子があることである。

それは、グミ。

いくら甘党の私でも、ぜっっっっっったいに食べたくない。