その伝説本当?
今日は琉球の歴史を書きます。
こんなちいさな沖縄にこれだけいっぱいの歴史のロマンが詰まっているのは興味深い。
文献にある、無いに関わらず口承伝承で繋いできたものも再度検証が必要であると考えます。
沖縄の伝説を取り上げます。
源 為朝の上陸記念地の今帰仁港は源 為朝が琉球の島へ流れ着き初めて上陸した場所と言われる。源 為朝の手形が岩の壁にあると言われる。
源の為 為朝が妻子を連れて船に乗り本州へ帰ろうと船を出すと何度も嵐に見舞われ船が出せない。臣下の助言では女が船に乗ると海の神が怒り嵐を起こすとのことで妻子をしば
し牧港に残して必ず迎えにくると約束して船を出した伝説。別れの場面が沖縄芝居の有名な劇になっている。牧港とは待つ港がなまった言葉だと云われる。
源 為朝と糸満の大里按司の妹が逢合せを楽しんだと云われる和解森がある。南山王は源 為朝の血を引くと云われる。
上記の物語が今の沖縄には有名な話しとして多くの人達に信じられている、これは全部、ウソ、作り話しである。
源 為朝は八丈島で死んでいるのが確認されています。日本の歴史学の通説が証明しているが沖縄では本当だと信じられていることが不思議である。
宜野湾市の羽衣伝説がある。
琉球の神話、奥間大親と羽衣との出逢いの伝説。
宜野湾市の森川公園にある泉で天女が降りてきて裸になり水浴びをしていた。木の陰に隠れて見ていた奥間大親は絶世の美女の天女の着物を隠して天女が天に帰れなくしてしまい
ました。自分と結婚したら着物を帰すと言って夫婦になったという劇である。その後奥間大親は立身出世して琉球開闢の伝説的人物になりその子、子孫は琉球の王権を打ち立てる
人物を出したと云われる。
この話しもウソ、デッチ上げの伝説です。天女がいたのではなく、当時の有名で力がある豪族の娘との分不相応の結婚だから身分を偽るために羽衣伝説を作ったのが真相です。
今も沖縄県民の多くがこの羽衣伝説を信じているというのか、信じたいような状態です。今の宜野湾市のキャッチイメージははハニンス(羽衣)の街、ぎのわんです。
門中墓
沖縄で門中墓が多いですが、首里、那覇には門中墓が無く、田舎の集落に門中墓があります。町方である地域にないとは不思議に思いますね。
門中墓とは一族郎党が同じ墓に死んでから入る(合碑)ことです。死んだ直後は単独の骨壷に入れておくが、数年経過して洗骨してから大きな門中全員が入っている所に入れられ
るものです。その一族に生まれたり、嫁に来た者にとっては宿命でありました。これが門中墓の由来です。
ほとんどの沖縄県民も勘違いしているのだが、首里、那覇の王家筋や那覇の士族は門中墓を持っている、門中墓を作るのはお金がかかるからゆとりのある上流階級が門中墓を持っ
ていると信じているのです。首里、那覇の士族は単独(家族単位)の墓でした。tiger60の家の墓も単独です。
tiger60
沖縄県民でさえも勘違いしている歴史のウソ、作り話しや誤解している門中墓や風習などがあります。自分達が普段から信じている当たり前のことや文化、生活習慣、歴史などを
もう一度考えるのも歴史再発見となりますね。何気なく習慣的にやっているものや見ているものを、なぜそうなんだろうと疑う、考えるのも面白いではないかと思います。こんな
ことは沢山あるのではと考えます。悪い癖や習慣、行いでも過去にフィードバックすると、どこの地点でその曲がり角だったかが見えてくるはずです。一度そこに戻り今までの道
をトレース(再検証)すると問題の解決方法が見えてきます。どんな難問題でもその手がかりがあるはずです。
今日のブログは少しマジな話しになりました。
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