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琉球の幽霊話し 逆立ちユウレー

2016-04-01 21:11:38 | 幽霊の話し

 

 

              琉球の幽霊話し 逆立ちユウレー

 

ブロガーの皆さん、幽霊の話しはもちろん好きですね、嫌いな人はいないはずです。怖いけど聞きたい、見たいのは世界中の共通ですね。

逆立ちユウレー、一度はこの言葉を聞かれたことがある人は多いと思いますが、ではどんな内容なの

かが分からないはずです。

昔、那覇の古島(当時は首里の真嘉比)に夫、嘉平川里之子という下級士族で役職についてなく仕事

がない病弱の男と絶世の美人、チルーという妻が暮らしておりました。病弱の夫を支えるために妻の

チルーは内職をしたり機を織り貧しい生活をしていました。村の男たちは妻のチルーの美しさに魅か

れ一目顔を見ようと家の外から覗きに来るくらいでした。病弱の夫が弱っていくので夫がいる時でも

遠慮もせずに外から誘いの声をかけたりしていました。真面目な貞操の妻は無視していました。

夫は妻のことが心配になり、嫉妬の心もあり「俺が死んだらほかの男と結婚するんだろう」といいま

した。そんな女ではないとチルーは言い続ける毎日でした。「俺が死んだらほかの男と一緒になるな

んて我慢出来ない」と言う夫にチルーは言いました、

「私の顔が醜くなればそんな心配もしないでいい」と、隣の部屋に行き小刀で鼻そそぎ落としまし

た。血だらけになったチルーを見て夫は「そこまでやってくれたのか、俺が疑って悪かった」。その

後傷も治りしばらく平和に暮らしていました。夫の病気も治り普通の夫婦になりました。だが妻の顔

の醜さが嫌になり、避難したり喧嘩が始まりました。夫は酒を飲んだり外に出て遊びふけるようにな

りました。愛人、ナビー(後家)を作り帰ってこない日々が続きました。チルーは自分が鼻をそいで

まで夫に尽くしたいとの思いが夫に裏切られたのを知りました。夫婦は話し合ったが結局喧嘩になり

夫は家を出ていってしまいました。その後チ

ルーは病気に伏すようになりました。病気が原因で無念の思いで死んでいきました、チルーは「この無念必ず晴らすぞ」と死んで

いきました。恨みを抱くチルーは毎夜、夫と愛人の枕元に姿を現しました。酒浸りの生活の夫は苦し

んで考えた策は、墓を開けてチルーの足を棺桶に釘で打ち付けることでした。二本の釘を打った。な

らば歩けないから枕元に出ることはないだろうと踏んだ。それでも幽霊になったチルーは出た、逆立

ちになって毎夜出たのだ。夫はさらに考えた、寺の護身符を家に張れば家に入れないだろうと、符を

はったらチルーの幽霊は出なくなった。夫と愛人は安堵した。

夜な夜な、幽霊の姿のチルーは道に出て通る人にすがり、自分を救ってほしいと頼もうとしたが、幽

霊の顔で逆立ちした姿に驚き人はみな逃げていった。そんな話しが首里、那覇の町中に噂が流

れて多くの人が逆立ちユウレーチルーと夫の無常さを噂することになった。そんな噂を知っていた首

里の池城里之子がある夜、道を通ったら、チルーが現れた。チルーは必至にお願いした。

武士としても武勇のある池城は、話しを聞いた、「なぜ、人々を脅かすユウレーとして出てくるの

だ」、しかじかこうだとチルーの話しを聞き、どうしたいのかと問いた、「夫の家の護身符をはがし

てもらえば我が恨みを晴らすこが出来ます、お願いですから、符をはいで下さい、頼みます」。池城

は合点して約束した、「必ず符をはがすからな」。

池城はしばらくして夫の家の護身符をこっそりはがしたのである。チルーは家の中に入ることが出来

て夫を殺して恨みを晴らしたのだ。その後チルーは二度と道にユウレーとして姿を現すことはなかっ

たが、一度だけ池城の前に現れて、感謝を述べた。

「お陰で恨みを晴らすことができました、池城家の墓の中に水溜まりが出来ています、その水溜まり

に三匹の鯉が泳いでいます、その鯉をすくい池城家の屋敷の庭の池で飼って下さい、お家の繁栄を約

束します。さよなら」。

池城家は現存する家です、首里高校前の交差点から桃原農園方向に向かうと右側に大きなマンション

があり側に大きな木があります、木の下に井戸(カー)があります。この井戸は道の整備や池城家な

どがも絶対触りませんので昔からそのままあります。触ると祟りがあるのではと恐れてそのままにし

ています。このマンションは今も池城家の子孫が所有しております。

ちなみに池城里之子は琉球王府が藩廃置県の時に王府の筆頭三司官として明治政府に出向き滞在し

て首里城明け渡しの方法や王や士族の処遇等を折衝した人物です。折衝相手はあの有名な大久保利

光でした。琉球に帰国後、中国派の頑固抵抗派から散々避難されて苛め抜かれたと聞きます。

ですから逆立ちユウレーの話しは大昔ではなく沖縄の明治初めの頃の話しですね。

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逆立ちユウレーとなったチルーに同情の思いも起きますね。ただ怖い話しだと漠然と思っていたこと

が、人の悲しい性があり苦しみがあり、また人の情けがありと、ふっと考えさせられるものです。次

回は耳切坊主の話しをやります。

実際に逆立ちユウレーが出た場所は、那覇市立病院の入り口の通りを南へ向かうと左手にファミリー

マートがあります。その駐車場入り口の道路です。写真と現在は変わりその面影さえもないですね。

時代が変われど昔こんな話しがあったと残れば幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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