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旅人を魅了して止まない沖縄

日本人として

2016-01-26 21:36:38 | 沖縄社会

 

 

 

 

 

 

 

 

                    日本人として

最近、思う。沖縄県民は日本人であるが、日本人として意識があるのかと不安になる。

振り返れば、戦後生まれのtiger60でも戦後の米軍の施政下での琉球住民として生活していた頃ははっきりと覚えている。生まれた時に終戦から数年して平和な世の中になっていた。人々の暮らしはまだ豊かでも十分な快適さがある生活環境ではないが、悲惨な戦争が終わり安堵していたころの風景があった。

みんな、さあ、これから未来に向かって生きていこうと夢を持ち生きていたと思う。確かに異民族の米国の米軍の統制下にあったとはいえ、戦前のイモ・裸足の時代よりは暮らしが良くなっていた。環境が変われば順応して生きていくものだ。戦後の復興と米軍景気、ベトナム戦争の慌しさなどもあった。ベトナム行きの米兵がどうせ死ぬのだから、お金なんて全部使ってしまえて民間のバー街で湯水のように浪費したので沖縄の業者が大儲けしたものだ。あんなに大儲けしたのはいいが、その熱狂が冷めてあとの不景気感から抜け出せなく、フヌケニになったのも事実だった。かえってそんな景気は無いほうがよかった気もする。

当初、米国は沖縄をハワイやグアム、サイパンなどのように米国の植民地にして、生活全体を面倒をみる計画だったが、琉球住民の人口が多すぎたので、その経費を米国が負担しきれないので、植民地計画は頓挫した。米軍が自由に沖縄を東アジア太平洋の要石(かなめいし)と使えるなら表だっての施政権は日本政府に返してもよいと判断した、いかにも米国らしい抜け目のないやりかたである。

とにもかくも琉球住民は日本人となった(復元したが正しいかも)、復帰して40年余が立ち、今の沖縄がある。復帰前と比べてずい分暮らしが良くなったと思う、解決する諸問題も沢山あるが時間をかけてやっていくしかない。

昨今、今の政治潮流なのか分からないが、日本人ではない風潮を感じる、日本本土からそのような圧力がある訳ではなく、沖縄側から、我々は日本人ではないと恣意するような風潮がある。とても心配になる、まさか日本人を返上するような勢いなのだから、不安になる。

沖縄県民は日本人である、沖縄の方言は確かに本土の言葉と違うが、沖縄語の源流は日本語である、詳しくいうと古の時に北九州の古語日本語から分かれて変化したのが沖縄の言葉である。沖縄の言葉を分解していくと日本語になる、これが日本語が原点である証拠である。中国語なんて単語だけの導入が三割なので、文法の導入が無い、文法の導入が無ければ中国語からの大きな影響や組み込みは無いことになる。自信をもって日本語の一部であると誇れる沖縄の言葉である。

日本人として生きていきたい、日本人として権利と義務がある。国を作る国民とはそのようなものなのではないかと思う。

tiger60は若い頃、海外に良く出かけたものです、日本人として日本政府発行のパスポートを持ち海外を回る、これこそ国の一員として安心して出かけることが出来る。昔の米軍政府発行の琉球政府のパスポートなんて世界のどこに行っても認知度が低く、どこの人だと不信がられていたはずです。

復帰前の沖縄漁船は日本の日の丸を揚げていなかった、琉球の黄色い三角旗を上げて航行していたら南方の国の海上警備艇から機銃掃射されて被弾、船員が負傷することもあったそうです。

国籍や国旗とはそんなものなのです。認知度が無いと怪しまれることは現実ですね。

 

tiger60

最近の風潮を心配するのはtiger60の思い過ごしであってほしいと願う。もう日本人にも飽きた、日本人になったが、夢が覚めて失望した、あるいは日本以外の他所の国が魅力的に見えるから変えてもいいと思ってはいないだろうかと疑心を持つ、あまり考えないほうがいいですね、眠れなくなる。ブロガーの皆さんはどんな思いで最近の沖縄の世論を見ていますか?興味深いところです。