歴史に登場する人々
私達が今生きているということは、私達を産み育てた人達が過去にいた証拠である。一代や数代ではなく何百年の単位で遺伝子が繋がっ
ていることを考えると、それこそ幾多の人
達が過去世に生きていたことになる。太古のことは文献が残っているのが少ないので確たる物証はないが、口承伝承で繋いできたことも
大事ではある。
長い古えの時から数えると先祖の数は膨大な人数になる、その多くの先祖たちがそれぞれの人生を生きていたので、それぞれのロマンが
あったと考えられる。私達は自分だけでは
生きていないのだ。忙しい現代生活に追われて、全く先祖のことを忘れたか考えていないことにきずく。時々先祖たちはどのように生き
てきたのかと考えるのはブロガーの皆さん
も同じではないでしょうか。沖縄では門中や一族を意識した社会であると前回のブログで話しました。
ときおり、自分の先祖が分からないと困っている人を見かける。家系図がない、先祖が分からない、自分の出目が分からない、親族や門
中が分からなくて付き合い、交流が無いな
どです。そういうように悩んでいる人に聞いても先祖の記録の手がかりが無いと嘆く。沖縄での門中や一族の記しとして名乗り頭と呼ぶ
ものがある、名前の頭に付く字のことであ
る。名乗り頭(なのりがしら)、この名乗り頭が名前に付いていて兄弟、男子系の身内に同じ字が使われていたら先祖探しは容易いので
ある。沖縄門中風土記などの文献を図書館
あたりで見て調べたら、すぐ分かるのである。簡単に先祖や出目が見つけられるのです。みんな難しくとらえていて、進めないようだ。
一つの取っ掛かりが得られたら元祖までさ
かのぼり判明するのです。西暦1300年頃からの資料は探せば見つかるものなんです。ある年配の男性が相談に来ました、先祖がはっきり
しないので家系図が作れないと悩んでい
る。姓と名を聞くと、もうどこの出目かが分かり、姓から判明するのは、どこそこの元祖で、名乗り頭もそれを現している、系図はすぐ
作れるとアドバイスした。調べたら姓と名
が現す字が先祖への道しるべとなっている。本人は生まれてきてずっとこの姓と名を使って70年間生きてきたのだ、頭に乗せた証拠に気
がつかなかっただけなのです。このような
ケースは多い。まず自分の周りを見てみることから始まる先祖探し。若い時は人生を乗り切ろうと、先祖や出目のことを考えもしなかっ
たが、年齢を重ねてくると考えるものです
ね。この意味は人は生まれて成長して脂の乗った中年期を過ぎて、老年に向かう時に、ふっと考えるのは誰でも同じではないでしょう
か。考えることはそんなに大差ないように思
います。先祖探しをすると先祖のことが、生き様が解かり幾多の先人達の足跡を見る思いがします。幾多の苦労、悲しみ、喜び、楽しみを乗り越えて生きていた先祖のロマンあふ
れる人生があります。先祖に思いを至ることは先祖供養にもなります。私達が死んで後に子孫達が自分のことを知りたいとか思いを共有
してくれたら、あの世で喜ぶと思います、
先祖たちもそう思うのではないでしょうか。歴史に登場する人は必ず伝説や偉人だけではないのです。それぞれの先
人達みんながロマン溢れる歴史上の人達ですね。
ttiger60も先祖探しをしていろいろ学びました。そこから得たことは先祖
にたいする感謝の心です。感謝、とても大事な基本的なことだと思います。感謝の心を無くしたら人間失格
になります。下手な理屈で生きていこうとする横着な人間がいるが、そんな得手勝手なことでは続かないのは明白ですね。感謝、感謝です。
世界中に共通の言葉、感謝、日本語ではありがとう! 英語ではサンキュー! 中国語では謝々(シェシェ)! ロシア語ではシバシー
バ! ラテン語ではグラッチェ!ダンケ
シェン等々、世界中の人達も同じ感謝ですね。人類普遍の当たり前の感謝の心を広げよう!