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松浜ツアー 町の記憶

2011-04-06 13:36:13 | 街あるき




若槻さん! ありがとうございました。故郷を愛するお気持ちをヒシヒシと感じながら
松浜を再発見しました。取り敢えず、辿った順に写真を掲載します。皆様からのコメントや写真も送って頂ければ素晴しい松浜の記録が出来ると思います。
松浜橋は、新潟地震発生時は木橋でした。私も何度かバスで通って記憶があります。昭和39年に現在の橋が完成していますので、地震発生時は建設途中だったのでしょうね。この橋の両端には歩道ついています。以前、週に一度はこの歩道をロードバイクで走った事があります。秋には途中で釣竿を垂れている人々も見受けられました。「何が釣れますか?」と声を掛けますと、「鯵」「鰡」などが釣れると言っていました。



阿賀野川が信濃川と合流していた頃、新潟湊は水量も多く、船の往来も賑わった。所が、想定外の出来事で、現在の本流となった時、新潟湊は水量が減り浅くなったため、
その後、修好通商条約の5港に指定されたものの、港の利用に各国は難色を示し、結果、10年後、両津夷湊を補助港として開港されたとの事です。




若槻さん、「手作りのガイドマップ」詳細図マップも有りましたね。
若槻さんは、地元の中学生にも、この手作りMAPを利用して、松浜の町を紹介しておられるとの事ですが、中学生達にとっては、自分の生まれ、育った町の歴史や、その素晴しさに触れ合うことで、郷土を愛する気持ちが育まれるのではと思います。次の世代を担う子供達に、松浜には遠い昔の先人達の歩みがあり、その努力の結果、今がある事を語り継ぐ事はとても大切な事だと思いました。




稲荷神社 
〆縄が特徴がありましたね。何故なんだろう?
それにしても、このお稲荷さんは立派ですね。一般的に、お稲荷さんと言うと、赤い鳥居が沢山あり建て並べてあり、鳥居のトンネルくぐって行くと、社があると言ったイメージです。例えば、新発田の大友稲荷なんかそうですね。でも、長岡市 越路の宝徳稲荷は途方もなく大きいですが。



稲荷神社、本殿の鬼瓦に上る「白狐」こんなの他で見たことありません。
社が大きかったですね。境内には新潟市の保存樹にも指定されている松の木も沢山ありましたが、それだけこの山の樹木は古いと言う事でしょうか。恐らく、川村修就が植えた松よりは古い事でしょう。
境内右手には奥には、「2・7市」の開設、商港開港など、松浜の繁栄の基礎を築いた「村山得次郎頌徳碑」もありました。



国土地理院 一等三角点 
一等三角点は新潟市内一ヶ所 新潟県内25ケ所、大変貴重なポイント。
恐らく、関係者以外は誰も知らない。



松浜「2・7の市」

表新屋敷の市場通りには、早朝り100店舗が軒を並べる。明治10年頃から続く古い歴史の市場として知られる。
松浜は、海や野菜の栽培も盛んですから、きっと、旬の食材が並んでいるのでしょう。



割烹 「いじま」
とても美味しかった。です。
店主や女将さんの対応もテキパキしていて、流石、寿司屋さんらしく、食材の様に
生き生きしている感じがとても素敵でしたね。




「阿賀野川河口」昭和20年頃、米軍が撮影した写真。新潟空港のB滑走路が見えます。
対比するかの様に最近撮影した航空写真もありましたが、河口の時代の変遷の様子が良く分かりました。この写真、確か、新潟空港ビル2F資料展示室に同じ様な写真を見ました。余り市民には知られていないが、何時も開放されていると説明を受けました。



「鰈」の陰干し、いじま」さんの軒先にて。
絵になりますね。心の篭った手作り、しかも自然の風と太陽での日干し、自然の恵みを一杯吸収して、美味しく仕上がる事でしょう。



「西郷隆盛」居留の家
今は、個人お宅で一般公開はされていないとの事ですが、確か、随分前になりますが、新潟日報で 「西郷隆盛居留の地」とか言う記念碑の写真を見た記憶があります。



石原倉右衛門殉難の碑
庄内藩重臣であった石原倉右衛門は、慶応4年7月25日、新潟で武器、弾薬の購入契約を終え、庄内に帰る途中、この地で官軍と遭遇、戦い敗れてこの地に散った。
新潟には、新政府軍と戦った奥羽越列藩同盟軍の慰霊碑がありますね。この碑ははじめてでした。護国神社の新政府軍の慰霊碑は広いスペースとは対照的です。




老舗割烹「まるふく」です。
水上 勉は「風を見た人」を、司馬遼太郎は「坂の上の雲」の執筆で此処に滞在したとの事です。多くの文人が長期に渡り滞在されたわけですが、それだけ居心地の良い松浜だった思います。




「松浜の砂丘湖」、きれいな湧き水の池、生活用水などが入り込んでおらず、この池は
水生生物や植物の宝庫と言われています。池の対岸の砂浜のすぐ近くは海岸です。
とても不思議な池です。また、行けそうで簡単には行けない迷路の先にあるのも、何か、ミステリアスで興味をそそり立てられました。




「絶滅危惧種」のトンボ「オオモノサシトンボ」、県内ではこの池以外は絶滅した。
腹に物指しの様な模様があるのでこの名がつけられたとの事。



「みなと工房」
松浜ツアー終了後、反省会を開催しました。震災復興支援「だんご」をはじめ、和洋のお菓子が美味しかったです。若者のグループや親子ずれの方々もおられました。
何と言っても、新潟の絶景スポットです。田中顧問ご自慢のお店です。また、なれなれしくも、田中店長さんにも親しくご挨拶させて頂きました。



駅前、「朱鯱」で懇親会。
松浜ツアーに充実し切ったメンバーの皆様、「良い顔してる」
次年度以降の話題も沢山出ました。今後の活動が楽しみです。



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6 コメント

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不思議いっぱい (雅ちゃん)
2011-04-06 20:12:30
若さん、松浜ツアーの企画ありがとうございました。結構寒かったですね!
今回は不思議たっぷりでした。なぜ鬼瓦に「白狐」が?〆縄の形?三角点の低く見えるのはなぜ?などなど、また解説をお願いいたします。
返信する
Unknown (すず)
2011-04-06 21:31:43
本当に心魅かれる町でした。
二七の市。もうお昼すぎなのに、
とてもすてきな人たちに出会うことが
できました。
また、「いじま」のご主人、御かみさん、
そして講師・わたしたちの仲間、Wさん。
皆さん「わが町」を深く思う、素敵な方々でした。
ぜひ、もう一度訪ねてみたい、そう思わせてくれた松浜の町でした。
ありがとうございました。
返信する
お寄り下さい (若さん)
2011-04-08 08:45:47
会員の皆さん、阿賀野川に隔てられ一種独特の雰囲気を持つわが町を見ていただき、ありがとうございました。
昨日(7日)、サイクリング途中の森下さんが我が家に立ち寄って下さいました。
これは今回の案内が一過性でなかったことの証明で大きな収穫です。
皆様、近くに来たらぜひ寄って下さい。いつも何かごちゃごちゃやっております。
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写真が沢山あります (進ちゃん)
2011-04-11 15:30:36
「松浜ツアー」では沢山の写真を撮りましたので、プログにも歩いたルートに沿って、写真を掲載しました。なお、ブログを閲覧している時、写真をクリックすると拡大されます。拡大された写真を右クリックし、「名前を付けて保存」を選び、自分のパソコンに保存しますと、
プリントや加工が出来ます。
色々と楽しんで頂ければと思います。
返信する
再びの松浜へ (KAZU)
2011-05-08 08:35:14
GW終盤、妻と松浜ツアーに行ってきました。
三角公園からスタートし、あかしや公園、稲荷神社、7の市(500円でいっぱいのキューイフルーツ購入)、ボンクール(プリンを坂道の階段で食べた)、石原倉右衛門の碑などを、前回もらった地図を片手に巡りました。天気が良くて、汗ばむ陽気でした。
スタートに戻り、Wさん宅の外デッキで、お茶をいただく。以前にゲラを見せていただいた、『北地区(松浜・南浜・濁川)郷土の四方山ばなし』が完成・出版されました。各々のテーマが、トピックスで構成されていて、読みやすい本です。
すてきな坂と、涼しい海風の町でした
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KAZUご夫妻松浜ツアー (進ちゃん)
2011-05-08 11:22:03
KAZUさん、奥様とご一種に五月晴れの下、楽しい松浜ツアーになりましたね。坂の有る町は魅力的ですね。何しろタモリが設立した「日本坂道学会」が有る程ですから。司馬遼太郎、水上勉などの文人も長逗留して執筆活動された理由も何となく分かる様な気がします。
若槻さんのお宅にも立ち寄られたとの事、何よりでしたね。「結いの会」では二人目ですか。
「北地区郷土の四方山ばなし」の出版記念パーティーを計画しましょうか。
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