このブログは「結いの会」皆のブログ!!

会員皆様が、LIVEで体験した新潟の魅力を感想や写真でこのブログに書き込みましょう。

椿寿荘・古津八幡山遺跡・老舗割烹「新森」LIVE

2011-06-15 09:56:55 | 新潟の歴史
    6月11日(土)LIVE日記
    
椿寿荘と八幡山遺跡そして老舗割烹新森での昼食ツアー


AM 4:00 雨音で目が覚める。
八幡山遺跡に行けるかどうか微妙な天候だ。
ウトウトしながら行けない時のプランが決まらない。
AM 6:00 資料にマーカーをしてプロジェクターなしで座学を想定する。
いつも『余裕をもって~』と言われながら本当に困らないと
実施プランが決まらない。
AM 9:30 村田館長へ挨拶のため一足早く椿寿荘の到着する。
久しぶりお会いして昔話に花が咲く。
昼食の割烹新森へ食事前に1時間座学用に別室の用意を依頼する。
AM 10:00 メンバー12名が揃う。
幕末の田巻家は1300町歩の越後大地主5家の1つで
その離れ屋敷椿寿荘は全国から銘木を集め釘を1本も使わず3年半の
時間をかけて
3年半の時間をかけて建てられた豪華な建物です。


洒脱で軽快な語り口はさすが村田館長です。
枯山水の庭の深い意味合いや古事来歴の深く難しい話を
分かりやすく楽しく聞くことができた。



改めて氏の話力に関心をしながら椿寿荘を後にする。

AM 11:15 日本の石油王といわれた中野貫一の邸宅に到着する。
(工事中で事前折衝を試みたが見学不可。)
中野邸の庭園に130種2000本のもみじが紅葉する様は本当に美しい。
紅葉期には観光バス客や一般客でいっぱいになります。
希望があれば11月中旬椿寿荘再訪も含めてに企画したい。


AM 11:30 八幡山登り口に到着するが弱雨が残る。草原の雨は
滑りやすく足もとを汚すので判断に戸惑う。
田中さんの『行ってみましょう』の一言に傘を持って登る。
  国内でも重要な史跡でH8年に国の史跡指定を受け文化庁による
調査整備がおこなわれた。
遺跡広場には復元された竪穴式住居が数棟たっているが、
発掘調査が終わると保護のため埋め戻される。

高地であることや高さ1mほどの盛土にも重要な意味がある。
説明がないと土塁の起伏と草むら広場にしかみえない。
この土の下の世界は2~3世紀のお話で想像力がものをいう世界だ。
朝のマーカー付資料と私の駆け足解説は理解に役立っただろうか。
  LIVE実施の前々日に八幡山史跡を残す為の市民運動をひきいた
当時のJC理事長片岡氏を訪ね話を聞かせていただいた。
貴重な時間を頂いたのに披露できなかった事は悔いがのこる。






AM 12:30 新津を代表する老舗割烹新森で昼食を頂く。
明治3年創業で今日の部屋は昭和15年建築で庭が良く見える1階に
セットしてもらう。森社長の心使いに感謝。




  ロビーでメンバーの到着を待ちながら大失敗に気がつく。
朝、雨で座学に変更するために急遽別室を押さえ事を忘れていた。
ただただ平誤り。
食事は大好評、割烹での食事は入室までの廊下や
室の雰囲気、食事の盛り付けの美しさ素材の味を生かす
繊細さにある。
予算の関係でお弁当になったがワンランク上げて
お膳で器も楽しみながら本格区的日本料理も一興だとおもう。
割烹、和食、日本酒は近年右肩さがり
大切にしたい日本文化の極みです。



昼のコースはこれで終了、楽しかったと声をかけてもらって
胸をなでおろす。
今回の運営にご協力頂いた、村田館長、片岡氏、森社長
皆さんのおかげです。

PM1:30 おまけ: リフォーム中の我が家で休憩、。
新森ロビーで最後にコーヒーを頂く(もしかすると特別サービス?)
実は我が家の事前準備もコーヒー、
メンバー到着の直前にあわててお茶に変更する。。
米粉の料理教室で教わったパウンドケーキを2種焼く。
パウンドケーキにお茶の組み合わせも変かなと思ったこと
新森でお腹いっぱいになったのに更にケーキも大変だったと
2点反省材料でした。

おまけ  クルージングまでの時間、鈴木さん由比さん柴野さんと
初代万代橋のポケッパークから掘り出された遺構を見て
万代橋を渡る。
川治いのウッドデッキを歩いてみなと工房まであるく。
川風と疲れぎみの足に伝わる木の感覚が心地いい。
犬との散歩路、ジョギングコース、市民に愛されている
大切な路になっていると感じた。
 由比さんお勧め夕日の写真展、鈴木さんお勧めの
あずきトッピング付のソフトクリーム。
みなと工房の広いスペースはほぼ満席ここも知る人ぞ知る
憩いスポットになっている。

PM5:15 本日のW企画、ウオターシャトルで村祐酒造の酒を飲む会と
PM5:30 田中やのおにぎりを食べる会(これはサービスフレーズ)



この季節の雨あがりの川辺は気持ちがいい。
すでに大勢のひとが集まっている。 
ちょっとおしゃれした女性グループに若いカップル、
黒のスーツグループもいる。
1隻45名のツアーがあっとゆう間に2隻90名になった。
みんな、この企画にワクワクしているようにみえる。
出航と同時に乾杯、あちらこちらで歓声があがる。
超辛口から超甘口まで村祐酒造入魂の酒だ。



結いの会のメンバーも盛り上がり2時間のクルージングも
歓声奇声の飛び交う中で終了した。

みんな、満ち足りた顔をしている。

今日の1日は寝不足
帰りの電車で新津駅までの記憶が無い。
家へ帰って倒れこむように眠る。

満ちた足りた充実感と疲れ・・
至福の1日だった。

ほんだ とみよし
コメント (9)
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「結いの会」7月企画 納涼会

2011-06-15 09:38:03 | グルメ
ホテルオークラで「納涼パーティー」

結いの会の皆さんお元気ですか!僕は元気です。
さていよいよ夏到来。お待ちかね納涼会の季節がやって来ました!
ということで今回名乗りを上げた私が担当させていただきます。

爽やかな夜風、信濃川の面に揺れる新潟の夜景、奏でるアロハのときめきのリズム、ライトアップされた椰子の葉が川風に揺れ、酔うほどに、飲むほどに、タイムスリップして夢の世界へ誘う ‥‥‥‥ そんな妄想を抱きながら「結いの会」は楽しく新潟の夜をLIVEするのだ。

<結いの会納涼会>
・場所 ホテルオークラ新潟 14F屋上ビアガーデン
・日時 7月29日(金) 19:00より(18:45に2Fロビー集合)
・会費 5000円(前売料金です)
・備考 雨天時は会場が変更になります。

当初新潟グランドホテルという声がありましたが、
今回はあまり行くチャンスが無いオークラのビアガーデンで設定しました。
ぜひ今のうちから手帳にしっかり書いて当日まで体調を整えていきましょう。

出欠はこのメールへの返信でお願い致します。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
田中雅史 masashi@dangoya.com
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納涼会のご案内

2011-06-14 22:12:36 | イベント
さていよいよ夏到来。お待ちかね納涼会の季節がやって来ました!
ということで今回名乗りを上げた私田中が担当させていただきます。

<結いの会納涼会>
・場所 ホテルオークラ新潟 14F屋上ビアガーデン
・日時 7月29日(金) 19:00より(18:45に2Fロビー集合)
・会費 5000円(前売料金です)
・備考 雨天時は会場が変更になります。

当初新潟グランドホテルという声がありましたが、
今回はあまり行くチャンスが無いオークラのビアガーデンで設定しました。
ぜひ今のうちから手帳にしっかり書いて当日まで体調を整えていきましょう。

田中雅史
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新潟の町、坂道めぐり・寺町あるき

2011-06-05 15:16:56 | 街あるき
      「結いの会」今年度最初のLIVE



梅雨入り前の、5月28日「結いの会」では、新しく編集された「新潟の町 坂道めぐり 寺町あるき」と題したガイドブックを頼りに、LIVEを行いました。ガイドブックは、昨年新潟で開催された「日本坂道学科主催」の新潟の坂道LIVEに参加された、新潟の坂道に詳しい「太陽さん」が参加者全員に手配頂きました。
今回のブログは、この度、皆でワイワイ歩き廻った道程に従って、ポイントとなる個所をアップしてみました。この写真に解説を加えるのは至難の業ではありませなが、なるべく書いてみます。
「結いの会」の皆さまからも、メールやコメントで連絡頂ければと思っています。
なお、次の記述は「ニイガタ検定公式テキスト」「新潟の町 坂道めぐり 寺町あるき」町歩きの途中で頂いた各種パンフレットを参考に私見として感想を述べた物です。





白山神社 住吉神社

新潟まつりは、住吉祭、商工祭、川開き、開港記念祭という歴史ある4つの祭りが一つとなって昭和30年に第一回がスタートしましたが、住吉祭のお神輿はこの神社に奉納されています。
住吉神社は日和山にもありましたね。大阪の住吉大社は1800年も歴史のある神社です。大阪の玄関口にあたり、遣唐使をはじめとする海外との交易の窓口でもありました。その様な関係から、航海安全を祈願する神社としては全国の港町に多くあると言われていますね。
村上祭りの久保多町のオシャギリの飾りが「住吉の景」です。これは住吉大社に「茶々」殿が寄進した「反橋」を模したものです。機会がありましたら、村上祭りをご覧下さい。私の出身町内です。




市役所前の松

何時見ても見事な松ですね。特に、この季節は新緑の勢いもまして一層素晴らしくまぶしい位です。
思い出したのですが、佐渡の両津湾と加茂湖を結ぶ境川の辺に樹齢300年の一本の見事な黒松がありますが、明治23年佐渡を訪れた「尾崎紅葉」が、能が盛んな佐渡にちなんで能「松風」から、「村雨の松」と名付けたとの事です。
早速、新潟市役所に松に名前があるのか問い合わせて見ました。その結果、特に名前はないが、一般的に「老松」と呼んでいるが、樹齢は800年「日本の名松100選」にも指定されているとの事です。
新潟市が誇るこの素晴らしい松に名前が欲しいと思いました。





新津記念館
平成4年の一般公開が始まった頃、一度見学した事があります。新潟にもこんな洋風の豪華な建物が在るのかと驚きました。一階に「イギリスの間」、二階に「フランスの間」、三階に「ドイツの間」があり、新潟県内初の国の登録有形文化財建造物として指定を受けたとの事です。
何しろ、昭和の石油王と言われた、新津恒吉が外国人客のための迎賓館として建てた洋館さの事ですから、今度時間が有ったらゆっくり見学したいと思います。




ヒポクラテスの木

この木が何で話題になるのか、少し調べてみました。なんでも、エーゲ海に浮かぶギリシャのコス島は、医聖ヒポクラテス(BC460~:日本の縄文時代末期頃)の故郷との事。この島に、若い医人に医の道を説いたといういわれのプラタナスの巨樹がある。その巨樹は、『ヒポクラテスの木』といわれ、医の道を伝えるものとして現在もコス島にあり、ヨーロッパで最も神聖な木といわれているとの事。
昭和44年9月30日、新潟市の蒲原宏博士(日本医史学会理事)がエーゲ海のコス島に渡った折、医聖ヒポクラテスの木の果実を持ち帰り育てたものがこの木との事がわかりました。
何しろ、医学の道では聖木と言われているわけですから、国内の医療機関には結構植樹されている様です。




新潟大学脳研究所

新潟大学脳研究所は昭和42年に誕生。初代施設長は中田瑞穂。その前進は昭和13年の平澤興(新潟市・旧味方村出身第16代京都大学総長)が起こした新潟神経学研究会と言いますから、歴史は深い。
今回は私は見逃しましたが、この近くに中田瑞穂の句碑「学問の静かに雪の降るは好き」が在るらしいので次回は確認してみたい。
なお、この赤門とこれに続く赤煉瓦塀は、国の登録有形文化財に指定されています。



招魂社

何時も素通りしていました。名前は知っていましたが。今回が初めてでした。明治元年北羽越戊申戦争の戦死者を祀るため、旭町に造営されたとの事。明治20年に新潟県護国神社の造営に伴い、招魂社はなくなったとの事です。でも、驚きの発見がありました。当時の招魂社が新潟大神宮の境内にあるのです。何でも神様は祀ってはいないそうですが、社だけは残されているのです。




招魂坂
当時を偲ぶ立派な坂ですね。この坂を上ると当時新潟では一番高い場所。旭が一番最初に昇るので、「旭町」と呼ばれたのだそうです。



新潟師範学校

明治7年の創立の新潟師範学校は現在の教育学部の前進。この碑は平成2年、教師育成の発祥地として記念碑が建てられた。
この碑が立つ隣には、1999年新潟大学創立50周年を記念して、貴重な学術資料を一堂に公開展示したのを契機として、更には2004年新潟大学旭町学術資料展示室として今日に至っています。
なお、この建物は昭和初期の鉄筋コンクリート造の建物としては最古級であるとして、2005年国の登録有形文化財に認定されています。



朱鷺の剥製
 
話題の朱鷺ですが、今年の自然繁殖の行方には暗雲が漂っていますね。早く、朗報を聞きたいものです。何しろ、学名「Nipponia nippon」、日本を代表する鳥ですから。
伊勢神宮に伝わるの宝のひとつに剣があり、その剣のかざりにトキの羽が使われているとの事。
朱鷺の羽は、金、銀、宝石と同様に装飾品として貴重な物だったと、昔、テレビで見たことを覚えています。




諏訪神社

招魂坂より北へ50メートル位の所に、ややもすると見逃しそうな狭い急な下りの石段を下ると、何んと諏訪神社の本殿に出ました。我々のメンバーの一人が、「自分がこの神社で結婚式を挙げた」と言うから驚きました。それにしても由緒ある神社の様だが、私は初めて参拝させて頂きました。
写真の右側に亀の甲羅がありますね。宮司さんの説明によると、昭和初期、寄居浜は海亀の生息地であり、ここで捕獲された海亀の甲羅を奉納した物との事ですから、現在の寄居浜からはとても想像が出来ないですね。昭和2年、大河津分水が竣工してからは新潟の海岸線が如何に変化したかが伺えます



諏訪神社宮司さん

我々が境内に入り、本殿に向かって参拝したり、ワイワイ話合っていると、庭を掃除されていた宮司さんが気さくに話しかけて頂きました。何でも、ここは新潟の中枢部で、新潟の地名が起こる以前、砂丘の麓に戦国時代の落武者7氏族が寄り集まり開拓を始めたので「寄居村」と呼ばれた。この子孫は現在25代目位だとの事。明治の時代になりいち早く新潟町と合併したが、西堀通りが境界であったとの事。当時、営所通りなく、明治になってから、役所を建てるために道路が作られたので、営所通りと名付けられたとの事。なるほど、地名にはその謂れが歴史を物語っているのですね。所で、「ニイカタ」「新方」と言う地名が文献に現れるのは1564年永禄7年、京都醍醐寺の僧の旅日記との事ですから、寄居村が出来たのはこの頃だったのでしょう。
地名の関係で思い出しました。「新潟の港」についてですが、公式には、927年延長5年、越の国の国津として「蒲原津」が延喜式に記載されています。「名は体を表す」と言いますから、当時は「蒲(がま)の原」が一面に広がっていたのでしょう。近年においても新潟平野は中蒲原郡を中心に、東蒲原郡、西蒲原郡、南蒲原郡、北蒲原郡であった訳ですから、昔は、新潟平野一面が蒲の原っぱだったのでしょう。
宮司さんによれば、お誘いを頂ければ何時でも「新潟の歴史四方山話」をしてあげます。との事でした。面白そうですね。その様な機会を何時か作りたいと思います。その折には、結婚式を挙げられた大先輩の方に折衝をお願いしたいと思います。




カトリック教会

カトリック新潟教区司教座聖堂・新潟カトリック教会のパンフレットからポイントを抜粋掲載
・教会は「人々に開かれた場」であり、祈りの場、心の憩いの場にたくさんの人々がお訪ねくださるよ うお待ちしております。
・昭和37年、司教座聖堂に指定され、新潟県、山形県、秋田県の中心教会に位置つけられた。
・明治18年に最初の教会が建てられた後、昭和2年現在の聖堂が献堂された。設計は世界的に有名な
 スイス人建築家マック・ヒンデル氏によるもの。ロマネスクとルネッサンス様式折衷による木造のめ ずらしい建物。
・2階の聖歌隊席にあるパイプオルガンは昭和2年ドイツ製で全国的にも古くて貴重なもので、現在も 済んだ美しい音色を響かせている。
・ステンドグラスは平成8年修復の際、イタリアのフィレンツェの工房で製作された。


恐るおそる聖堂に入って見ると、荘厳な雰囲気の中で、パイプオルガンの澄んだ音色が殊更厳粛な雰囲気を醸し出していましたね。礼拝席に座り、暫し高い天井を見上げると、色とりどりの美しいステンドグラスが光を集め輝いて見えました。こんな雰囲気も良いなー。なんて思いました。
ステンドグラスの中に、「佐渡」と「雪」の文様がありましたね。ここは新潟だがから新潟らしい雰囲気を表しているのかなんとはなしにボヤーと考えていました。でも、後で教会の説明書を見たら驚きでした。なんと「佐渡の中山峠」と「米沢の北山原」の殉教の歴史が刻みこまれていたのです。




異 人 池

「異人池「ある池のものがたり」新潟市観光標識より」
今から100年以上も前、この場所は北からくる冬の激しい砂嵐のため荒地になっていました。
その頃、外国から神父さんがやってきて、教会を建て、教会脇のくぼ地に飲水や洗濯をするための井戸を掘ったところ、水は勢いよく噴き出し大きな池になりました。池が生まれて50年程経った頃、湧水はとまり年とともに池は小さくなり、今では池がどこにあったのか、どんな池だったのか、もう知る人はほとんどいなくなりました。「この内容は、昔あった異人池のうつりかわりをテーマとして絵本「ある池のものがたり 三芳 悌吉作」をもとに作成しています。」とありましたので、掲載しました。





佐渡

佐渡の佐和田から相川へは中山トンネルを通りますが、昔は旧道は中山峠を越えなければなりませんでした。佐渡勤務時代(平成5年)、12月半ば頃だったと思いますが、初雪が降り積もった日の事でした。以前から一度は中山峠を越えたみたいとその日は、トンネルをそれて峠道へと向かいました。軽自動車が一台やっと通れる程の狭い道を進んで行くと、途中雪の重みで垂れ下がった竹林が道を塞いでいました。戻るに戻れず、そのまま、竹のトンネルに車を突っ込みながら前進したのですが、何しろ峠道です。人はおろか行き交う車などいるはずもありません。山道は一層寂しく薄暗い林の中を進んで行くしかありのせんでした。すると、突然、空が晴れる様に明るくなったのです。そこが、峠の頂きでした。「何とか峠を越えた!」と安堵し、車を止めて周囲を見渡すと何と、そこにはこれまで見たこともない、不思議な世界が広がっていたのです。一面の銀世界の中、聖母マリア像が佇んでいるではありませんか。異様な光景を暫し見とれていましたが、何故か心が清められた様な爽やかな気持ちで、写真を何枚か取った後、相川へと向かいました。
後日、職場で地元の社員に写真を見せた所、「何で、そんな所へ行ったのか? 写真は見たくない! 写真を見ると祟りが来る!」と言って誰も避ける様にして全く見てくれないのです。
仕方なく、自分で何故かと調べた所、そこが「キリスト教徒殉教の地」と分かったのです。





北山原
北山原についてHPで調べてみました。
NHK大河ドラマ「天地人」で、上杉景勝は最終的には米沢藩へと移って行きました。家臣の一人に「パパイヤ鈴木」が演じた、甘粕景継がおりましたが、その一族のキリシタン殉教の地との事です。
新しい、発見でした。



マリア

教会敷地内の右手奥に何となく気がひかれる場所があります。「ルルドの洞窟」との事。
フランス南部ビレネー山脈のふもとに「ルルド」と言う町があり、この町の洞窟から水が湧き出し、病人が癒された聖地に因み「祈りの場」として作られたとの事。










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6/23日本酒の会 ビール編

2011-06-04 07:36:25 | 日本酒
恒例の新し屋酒店さんの日本酒の会、今回は八海山泉ビールの会で行われます。ビールばっかりじゃそんなに飲めないなぁ~、と言う方も冷た~く冷やした八海山の吟醸酒も出ますので、ご心配無く。


日時◆6月23日(木)19時~
場所◆鮪や
今回の酒蔵さん◆八海山泉ビール
会費◆6千円
申込◆6/8までは由比まで。以降の参加・取消・変更は新し屋酒店さん(電話0253822345)か鮪やさん(電話0252495288)まで

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