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大和路の曾津八一歌碑を尋ねて(その3)

2013-07-21 11:30:58 | 街あるき
歌碑談議

本堂を出ると、「おたいまつ」の儀式に使われると思しき薪や松明の準備は既に整っていました。でも太陽が西に傾いたとは言え、松明を燈すには未だ明るくて早すぎます。境内をユックリと散策している中で、周囲の観光客から漏れ聞こえてくる話によれば、火が燈されるのは午後7時との事。神戸へ戻る時間を考えると少々不安も過ぎりましたが、この年に一度の復とないチャンスは逃すべきではないと再度決意を新たにし、その時を待つこと事にしました。境内は奈良の名立たる寺院から見れば、決して広いとは言えません。時間潰しにと大勢の観光客の間をすり抜けながら境内を散策している時です。山門から見て本堂正面の左側に曾津八一歌碑が良く見える場所に差し掛かったとき、「そう言えば歌碑の裏面の写真を撮影していない」と言う事に気がついたのです。


本堂中央前から曾津八一歌碑を望む
「写真をクリックし拡大して見て下さい。歌碑が如何に大きいか分かりますよね。」
早速、再びこの歌碑を目指して前へと進みました。
すると歌碑の裏面に張り付いている様な2人の女性がおられるではないですか。
(上の写真をクリックして最右上部の2人連れの方の内、これ以降はマスクを掛けているそれはそれは素敵な方との会話が始まったのです。)「すみません、この歌碑の裏面の写真を撮りたいのですが、チョットばかり避けて頂いて宜しいでしょうか」
と声を掛けました。すると
「どうぞ、撮って下さい」と言われて左の方向へ1メートル場所を空けて頂きました。「距離が短くて難しいでしゃろぅ。わてもな八一さんの碑大好きなんよ。わての所にも八一さんの碑3基もあるんえー。でも、この碑がわては一番好きなんよ。」
「私は新潟から来たんですけれど、関西にも曾津八一さんが大好きな人がおられるんですね。新潟の者として感激しました。」「新潟の方は良くしらへんが、奈良には大好きな人、えろぅーいてはるよ」
「新潟から来やしったんですかー。えろう遠い所からおいでなさったんやねー」
「新潟には行かれた事ありますか」
「ありませんやぁー」
「曾津八一さんは新潟の名誉市民ですし、地元紙「新潟日報」題字は八一さんの書ですから、新潟県民にはとても馴染み深い方ですし、曾津八一記念館もあるんですよ」
「八一さんの事はとても大好きやけれど、この碑は特に大好きなんよー。この石がいいんねん。触ってみてーみー。滑らかで温かく八一さんの気持ちを感じるんよー。」
「本当ですか。」と私も碑の表面に触って見ましたが、その女性に暗示を掛けられたか如く、人肌の様にすべすべした肌触りと温もりを感じました。
「本当ですねー。私もこんな感覚は始めての体験です」
「そうやろー。それになー、後ろの苔むしている所がありましゃろー。わてな、この苔の所、龍馬さんの背中と言ってますねん。」
「どうしてですか。」
「知っていましゃろ。龍馬さんがな、生まれた時に背中に馬の鬣の様な毛が生えていって言う話や、聞いたことありましゃろー。だから、わてな、龍馬さんの背中って言ってねん。格好いい苔やねん」
「初めて聞きました。とてもいい話ですね。今日は勉強になります。」

歌碑の裏面:龍馬さんの背中
暫らくして、マスクの女性は裏面のあの一文字を指して
「わてな、この字は何と読かわからへんのや。分かったら。教えてーな。」
「どの字ですか。」と聞きただすと何と
「鳥の字の下に山の字ありまっしゃろ。是で一文字やで、でなー、この字読めへんのや」
「いゃー私には全く読めません」
(龍馬さんの背中の写真をクリックして拡大するとその文字も刻されているのがわかります)
「奈良県内には曾津八一歌碑が19基ありますね。一番新しいのが、昨年11月に建立の斑鳩町上宮遺跡公園、その前が法隆寺、その前が、遷都1300祭を記念して建立された中宮寺の歌碑ですが、私は今日、急遽、時間が出来ましたので、これらの碑の写真を撮って来ましたが、時間的に難しいと思っていたのですが、予てより新薬師寺には行きたかったのですが、色々と参考になるお話を教えて頂き、更に、この碑の裏面を見て一番感動した事があります。建立の日付を見て驚きました。昭和17年4月とありますが、この碑は私より3ケ月先輩と言うことが分かったんです。戦前の碑が有ったなんて私は初めてしりました。」
「え、そやったんかー。八一さんのお導きやでー。今日のおたいまつの行事知ってはって来られたんとちがうのですかー。」
「全く、偶然なんですよ。所で、今日の何の法要ですか」
「世界平和と国家繁栄なんのょー」
「へー、矢張りスケールが違いますね。中宮寺の曾津八一の歌碑ですが、その姉妹碑が新潟にあねんですよ」
「昨年、中宮寺の日野貫主さんが新潟に来られて日本海近くの西海岸公園の松林で
序幕式が行われたんですよ。」「中宮寺は日野さんやなくて、日野西さんでしゃろぅ。」「やい、私は日野さんと伺っていましたが、」「日野西さんですえ。」
「わてらな、東大寺の関係者なんや、この場所では一般の人はみれんのやけど、あんたさんは特別や。この場所はお松明に火を燈す場所や一番よいところなんや。滅多に見れへんでー。わてらと一緒にみてゆきなされやー」
「えっ。本当ですか。そう言えば一般の人は規制線の外側に居ますね。迷惑をかけるといけませんから、私は外へ出ます。」
「全く偶然にきやはったのでしょう。それはね、薬師さんと八一さんのお導きやでー。遠慮せんでいいんよー。事情はわかりましたえー。年に一度の大切な法要や、二月堂のお水取りは余りにも有名でしゃろー。このお松明は春の盛りのお祭りや、地元の人が中心やださかい、一緒に見て行きなさったらよろしいがなー。」
と言うわけでご好意に甘え、この場所で「おたいまつ」を見ることとなりました。


目の前で点燈された「お松明」


「お松明が本堂を巡る」
「曾津八一歌碑がお松明の灯りに浮かぶ」


本堂正面の石灯籠
午後7時「お松明」は始まりました。最初の一本のお松明に火が燈されると、バリバリと勢い良く燃え上がりました。その炎と飛び散る火の子が夜空を赤く染めます。その瞬間アッッーと言う歓声があがります。
その中をお松明は静かに本堂前へと進んでゆきます。正面の薬師如来像の前で、そのお松明を大きく回転させるのです。すると更に炎と火の子一段と勢い良く舞い上がります。すると本堂内の薬師如来様が堂内はっきりとそのお姿が浮かび上がってくるのです。

「薬師如来さまの前のお松明」
11本のお松明に次々と火を燈され夫々が本堂を廻ります。幽玄の世界に静かに響く読経の声、雅楽の雅な調べ、時折聞こえる梵鐘の音、境内は超現実の世界へと誘ってゆきます。
我に返れば、最早午後9時も近い、神戸への帰宅時間は限界に近づいたと判断し、新薬師寺を後にし「破石」バス停へ。タイミング良く来たバスに飛び乗り、近鉄奈良駅へ。
閉店間際の売店で「握り寿司」の夕飯を買い込み、一路神戸三ノ宮駅へと向かいました。
この度の曾津八一歌碑を尋ねての旅では、数ある曾津八一歌碑の中でも一番古い歌碑に出会えたこと。曾津八一が大好きと言う素敵な奈良の女性から、曾津八一への熱い思いを聞けた事は本当に嬉しい一日でした。
追伸
後日、私が調べた範囲では、歌碑裏面に刻されていた碑の建立者は
奈良県出身 中央公論社社長 嶋中雄作氏と想定されます。
コメント
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