アジア人財事典

アジア人財カンパニー株式会社 井上一幸 がお届けする粋な話題の数々

国母服装事件の本当の問題

2010-02-16 | コラム
バンクーバーオリンピックへ向かう国母選手が、公式ウェアを着崩し、日本を代表する選手としてふさわしくない服装であったとして、本人はもちろん協会の責任を問うような騒ぎになっている。

あの着こなしが相応しくないという点では大方は一致していると思うが、協会の対応については様々である。即刻帰国させろ、という意見もあれば、やり過ぎだ、という意見もある。私自身は、服装も個性の一部とか、服装ごときで騒ぎすぎた、という考えには大反対を通り超して猛反対。身だしなみあっての大人である、と信じている。特定の競技に強いから他はどうでもいいとは思わない。特にあの反省記者会見は永久保存版だ。人格があって初めて競技の強さにも価値が出る。(朝青龍のことも同じだ)だから彼は召還されるべきだった、と思う。

ただ本当の問題は彼の服装でも態度でもなく、協会の対応でもない。その場にいた大人たちが注意しなかったことだ。(仮にしていたとしても、結果として直させるに至らなかったことだ。)

今回の世論の反応を見れば、あの服装を是とする人は多くないはずだ。そう、たいていの大人は、苦々しく思っている。彼だけに限ったことではない。高校生が制服をボロをまとうかのように着ていたり、若者と呼ばれる世代の公共の場でのマナーの悪さを肯定的にとらえている人はまずいなかろう。

にも関わらず、それを口に出して本人に言わないのだ。イヤホンから大音響があふれ出ている青年を見て、JRや地下鉄に苦情を言うかもしれないが、その場ではいったい誰が注意しているだろうか。社内や駅構内で座り込んでお菓子を食べたり、コンビニの駐車場で宴会を開いている若者を見て、駅員や警察に知らせるかもしれないが、その場でやめろ!と言って追い払う勇気ある大人がどれほどいるだろうか。
石原慎太郎が著作の中で、それを口うるさく注意するのは老人の勤めだ、と書いていた。そう言えば、私の母親もバスの車内や食堂などで悪ふざけをしている子供を見ると注意していたなぁ。その親が現れても動じたりしない。「これこれこういうことをしていたから、注意したんですよ」としっかり説明していたなぁ。

別の人の本で読んだことがあるが、現代の教育現場は「おこちゃま教」という危険な新興宗教に支配されているのだそうだ。個性を伸ばすとか自主性を重んじる、などという信条のもと、おこちゃまを崇めるのだ。だから誰もおこちゃまには逆らえない。たとえおこちゃまが悪さしても、逆らおうものならほかの信徒(親や教育委員会)にいじめられる。運が悪ければおこちゃまから暴力という罰を食らうのだ。

駅構内やコンビニ前でのおこちゃま騒動なら、そばにいる大人は見て見ぬふりをしつつも、駅員や警察に通報し、本人たちは、少なくとも形式的には注意を受けるだろう。今回はそれがマスコミ報道と開会式不参加に形を変えただけである。そばにいた大人たちは何も言わなかった。世間が騒ぐのを見て、オリンピック委員会が「処分」したというわけだ。

我々が今回見たものは、成人したおこちゃまの顛末である。おこちゃまが社会に出たとき、我々大人とともに繰り広げるドタバタ騒動。おこちゃま教のなれの果て。

かくいう私も、おこちゃま動物を見て見ぬふり、面倒なことには関わりたくない大人なのだが。

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