アジア人財事典

アジア人財カンパニー株式会社 井上一幸 がお届けする粋な話題の数々

20年後の日中関係

2010-10-26 | メールニュース
皆さん、おはようございます。アジア人財カンパニーの井上です。本日はメールニュース第41号をお届けにあがりました。今回は政治問題。なにかとトラブルの多い日中関係。今に始まったことではありませんが、気持ち良くはないですね。

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20年後の日中関係
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尖閣諸島の問題に端を発して日中関係がまたもや怪しくなり、中国各地で反日デモが起こっている。デモ参加者は社会への不満のはけ口として「反日」を冠にしているだけだ、本質は違う、という論調もあるが、私は同調しない。あれは立派な反日である。反日行動から目をそらしたい日本人が言い訳しているだけだ。

私は少し違うことを言ってみようと思う。いわゆる反日愛国教育を受けていなければあんなデモにはならない。それを前提としてここで考えたいのは、かれらが大人になって中国という社会を動かす立場になったとき、日本は平和でいられるか、ということだ。

それには、我々の世代が受けてきた「教育」を考えればいい。
現在の中国社会を第一線で支えている世代、つまり政府の要職や企業のトップにあって意志決定を担っている人たちは、おおよそ40~50歳代のはずだ。彼らは子供のころ「おしん」を見て、日本人に涙しながら育った人々である。そのせいもあって1980年代後半には、「日本語ブーム」があったくらいだ。さらに彼らは、天安門事件を直接体験として知っている。あの時の学生デモに参加していた人は私の周囲にもいて、話を聞いたことがある。

あれから20年。彼らは、日本への尊敬と西側世界への憧憬を、心の奥底で持ち続けていると私は思う。その彼らが第一線でいる限り、日中間に問題はあっても、こじれ過ぎることはない。しかし今から20年後、反日愛国教育を受けた世代にバトンが渡る頃は、今と同じとは限らない。

一方の日本人。日本の高度成長を第一線で支えたのは戦争を生き延びた人々、つまり戦前の世代だ。例えば東京オリンピックの年に40歳だった人は大正13年生まれ。大阪万博の年に40歳だった人は昭和5年生まれだ。なんと、ちょうどその頃、すなわち昭和40年代前半、戦後世代はデモ(学園紛争)をしていた。今の中国みたいだ。それから20年して、戦前世代から戦後世代へバトンタッチする頃、バブル景気も終わり経済の停滞が始まった。

戦前の世代と戦後の世代では、受けた教育には天と地ほどの差がある。
たとえば「戦後教育」。(戦後すぐの団塊の世代よりも、教育の影響がより大きいと思われる団塊の世代の子供たちに対して使われるようだ。)様々な言われ方をするが、いい意味では使われない。事なかれ主義で日和見主義で、競争を避け、価値観の“押し付け”を嫌い、他人にはかまわず、自分が世界の中心、といったところか。

さらに最近では「ゆとり教育」。こちらはもっとたちが悪い。考える力がない、自立できていない、などと言われては救いようもない。戦後教育世代の我々でさえ、ゆとり世代を受け入れるにあたって戦々恐々としている有り様だ。しかし20年もたてば我々は退場し、ゆとり世代の時代になる。彼らはこの日本をどこへ持っていこうとするのだろう。


さて、今から20年後の日中関係。反日愛国世代とゆとり世代が対峙しているはずの世界。どうなることやら・・・ 杞憂に終わって欲しいが。


以上、戦後教育世代の一員である私が、その本領を発揮して無責任なことを書きました(苦笑)。