アジア人財事典

アジア人財カンパニー株式会社 井上一幸 がお届けする粋な話題の数々

『暗黙知経営 vs グローバル経営』

2008-06-30 | メールニュース
皆さん、おはようございます。㈱グッドジョブクリエーションズの井上です。本日はメールニュース第13号をお届けにあがりました。

今日で一年の半分が終わりですね。節目にふさわしい文章を、と思っていたのですがなかなか筆が進まず、書いては消し書いては消し・・・結局次のようなちょっと難しい話になりました。

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暗黙知 vs グローバル経営
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6月の日経夕刊の十字路から2つのコラム、「野村証券の暗黙知」(6月11日)と「グローバル経営能力の課題」(6月25日)は、執筆者は違うと思うが全く同じことを主張しているようでたいへん興味深い。そして私もこの両者の主張に大賛成である。すなわち、日本企業はもっと発信せよ、ということだ。

① まずは「野村証券の暗黙知」から要約かつ引用します。
元社員がインサイダー取引で逮捕された野村証券は、コンプライアンスや株式売買の内規は他社に比べて従前から厳しかったそうだ。野村の有力OBは、インサイダー取引がいかに割に合わないか直感的にわかるはずなのに・・・と嘆く。インサイダー取引は見つかる可能性が極めて高く、発覚すれば社会的な地位を失う。一千万円程度の小遣い稼ぎのために将来を棒に振る行為がどうしても信じられない、と言う。
『それは、新卒で野村に入り勤め上げようと考える日本人の社員なら、ほとんどすべてが共有できる価値観、すなわち暗黙知だ。元社員は経歴からいって暗黙知を理解しなかったのかもしれない。』
一方で、経営哲学にダイバーシティを掲げるある米系証券は、意図的に国籍を多岐にわたらせている。『最初から共有している暗黙知などないから、トップが自ら世界を飛び回り、研修の講師として声をからす。メッセージは「正しく利益を上げよう」。』

② そして「グローバル経営能力の課題」からも引用します。
『グローバル経営という観点から日本企業に最も欠如しているのは経営コミュニケーション能力だろう。単に英語力の問題ではない。ビジョンや世界戦略などを世界中の顧客や従業員に向かってきちんと発信し、論理的に説得する力を指す。・・・企業文化に違いがあるように、グローバルな経営スタイルも企業間で異なるのは当然だ。日本企業は自らのスタイルを普遍化し、世界に浸透させる努力をもっとすべきだ。』

どちらも言っていることは「日本人同士で通用する暗黙知に頼っていては、世界には理解されない。情報を、戦略を、価値観を積極的に発信せよ。」ということである。

③ ところで、外国人を含む人材紹介の仕事をしていると、こんなリクエストを出してくる求人企業がある。それもかなりの頻度で。
(本当は日本人を採用したい、でも適切な人材がいなければ外国人でもいい、という文脈で、)「外国人だったら、日本人の心がわかる人ね、日本的経営のわかってくれる人。いちいち言わなくてもいい人。そういう人だったら採用しますよ。」

そんな人いません! 社長、これってまさに「暗黙知」頼みの経営ですよ! 
そうじゃなくて、いちいち「言って」ください!日本人の心?日本的経営?ストレートに発信してください。
   黙って残業しろ!
   毎朝掃除しろ!
   とにかくハイと言え!
いいじゃないですか、それで。それが本当に大事なら。

いや、正確に言うとほんの少数ですがいます、日本人以上に日本的に振舞える能力を備えた人が。それぞまさに国際人財。私だってそういう人材を紹介したいし、そういう人材を育てることを一生の仕事にしたい、とさえ思っている。

ただ、ごくごく少数のそういう人たちが来るのを待っていても始まらない。「言わなくってもわかる」人をひたすら待つよりも、「言ってわからせる」ほうが経営効率は高いですよ。「言ってわからせ」れば、いずれ「言わなくてもわかる」人になります。


話は大きくそれるようだが、内村鑑三が『代表的日本人』を書いたのは明治27年。近年大ブームになった『武士道』を新渡戸稲造が仕上げたのは明治33年。ともに原著は英語である。欧米からなにかとバカにされていた明治の日本人が、日本は何たるかを理解してもらおうと世界に向けて必死に「発信」したのだ。

英語を使え!と言いたいのではない。先人に学びたい、と思うのである。


日本人の思い込み?③

2008-06-28 | コラム
③ 日本語はあいまい?

これは私が仕事上よく耳にする思い込み。 特に引用できる記事や本があるわけじゃないが、私は日本語は決してあいまいではないと確信している。同時に日本的経営があいまいというのも表現として適切でないと思う。「日本=あいまい」という一般化した思い込みにあてはめて、わかったような気になるだけである。

英語圏で暮らしたことのある方も多いと思うが私もその一人で、仕事であれ日常会話であれ、うんざりするほどくどくど説明されるのには閉口したものだ。
分かりやすいというレベルを通り越して、
  「そこまで言わなくってもわかるっつーの!!!」
  「言い訳がましいんだよなぁ、まったく!!」
  「結論だけ言ってくれよ、結論だけ!」
というのが、私の率直な感想。

当然ながら、彼らから日本を見れば全く逆の気持ちになるはずだ。日本人は彼らのように懇切丁寧に(くどくど)説明しないから。つまり「日本人の言うことは短すぎる=説明が足りない=理解できない=何が言いたいのかわからない。」となって、「日本語はあいまい」という定説が生まれたんだと思う。
日本人は自分がわかっていることは相手もわかっていると思い込んでいるフシがる。あるいは「わからなければ見て覚えろ!」なんて勝手に考えている。さらに、自分がわかっていることは「いちいち言わない。」だから②のコラムのように日本人は説明能力不足というのは正しい指摘である。

ただそれは「あいまい」とは別だ。日本語でも正確で細かい表現はいくらでも出来るし、盛りだくさんの議論も出来る。ディベート(論理的思考力を競うゲーム)だって日本語で出来るし、現に方々でやっている。(日本社会人ディベート連盟という組織があって、私もかつて加入していました。)
日本語は決してあいまいではないし日本人の思考もあいまいではない。細かく伝える努力が足りないんです!


最後に、今回のオチ・・・ 最近国際会議が多いですよね。環境関連の国際会議や今月ローマで開かれた“食糧サミット”。来月日本で開かれる本家本元のサミット(先進国首脳会議)。さらには北朝鮮をめぐる“6カ国協議”。
そういった会議のお決まりの結論ってなんでしょう?・・・ 「あいまい決着。」 
そういう会議は大体英語でなされているんでしょう。“6カ国協議”では各国の言葉が平等に使われている(韓国語、中国語、英語、ロシア語に日本語)はずだが・・・あいまいなのは万国共通か。

日本人の思い込み?②

2008-06-28 | コラム
② 日本人はグローバル経営が苦手?

次に6月25日 日経夕刊の十字路というコラム。
『日本板硝子が英子会社ピルキントンの英国人社長を次期社長に抜擢する人事が話題になっている。グローバル化を担う国際的経営感覚を持つ人材が日本側にいないというのが会社の説明だ。・・・ 投資家から見れば経営層の国籍は二の次で、世界市場を効果的に開拓し、世界のローカル組織をうまく束ねられる人に経営してほしい。』その通り、100%賛成。

ただし本題はここに続く一説。『最近の日本企業は海外企業の買収には意欲的な一方で、グローバル経営は日本人には無理と思い込んでいるフシがある。・・・ 日本政治研究の大家、ジェラルド・カーティス教授によれば、日米欧の経済システムのうちユニークなのはむしろアメリカだという。だが日本人は日本が異質で米国企業のやり方が世界標準と思い込んでいる。』
なるほど、米国企業のやり方が世界標準というのは「思い込み」らしいですよ。これも100%賛成です。

このコラム、私のお気に入りなので引き続き引用しますが、
『グローバル経営という観点から日本企業にもっとも欠如しているのは経営コミュニケーション能力だろう。単に英語力の問題ではない。ビジョンや世界戦略などを世界中の顧客や従業員に向かってきちんと発信し、論理的に説得する力を指す。・・・日本企業は自らのスタイルを普遍化し、世界に浸透させる努力をもっとすべきだ。あいまいな日本の経営が美徳とされた時代は終わった。』
となります。

なるほど、日本の経営はあいまいなのか~ えっ、本当??これには賛成しかねる。そこで3番目の思い込み、「あいまい」について。

日本人の思い込み?①

2008-06-28 | コラム
自民党に外国人材交流推進議員連盟というのがあって、今後50年間で総人口の10%にあたる約1000万人の移民受入れを目指すべきだ、という提言をまとめたそうですね。(6月12日発表) 50年で1000万人だと、平均で年間20万人。実は私、今年1月のメールニュースで10年後は年間50万人が移民する、と予想しているんです。だから私の方が上!!
ところで、1月のメールニュースへの返信で次のようなものがあった。
「今回拝読して、日本に永住権のある外国人がそんなにいるのか意外でした。日本は、外国人の受け入れに門戸を閉ざしていると思い込んでいたのかもしれません。」

周りがそう言うので「そうなんだ」と思い込んでいることは結構多い。「日本は移民鎖国である」って思い込んでいる人いますが、そんなことはありません。今日はそんな“日本人の思い込み”を3つ書きます。まず一つ目。

① 日本人は集団主義?
少し前だが4月26日の新聞に、「日本人は集団主義」ではない?というコラムがあった。東京大学と京都光華女子大学のグループが心理学の実験から得た結果らしい。実験内容は省き結論だけ引用すると「日本人は和を乱すことを嫌い近しい人の言葉には同調しやすいという通説は間違い。米国が異なる文化を持つ国に投影したイメージを、日本人自らが信じたと考えられる。」とのことだ。
つまり、「集団主義だ。」と外国から言われたのでそう思っているだけのことである。

昔読んだ本にも同じテーマがあった。記憶をたどって要約すると大体以下のような感じ。「日本人は集団主義だというが本当だろうか。伝統的なスポーツで見てみよう。ヨーロッパはサッカー、アメリカはバスケットボールと野球。どれもチームプレーだ。対して日本は相撲が個人競技、柔道も個人競技。日本人は個人で勝負するのが好きなのだ。」
ほかにもある。代表格が日本人の大好きなゴルフ。4人一組とはいえ一人でやるスポーツだ。オリンピック競技で日本人の好きな種目は?水泳:個人種目。フィギュアスケート:やっぱり個人種目。究極がマラソン:まさに孤独の戦い。

どうですか?日本人は集団主義じゃないでしょう!?