アジア人財事典

アジア人財カンパニー株式会社 井上一幸 がお届けする粋な話題の数々

物の中に精神性を認める日本文化

2010-04-28 | メールニュース
皆さん、おはようございます。アジア人財カンパニーの井上です。本日はメールニュース第35号をお届けにあがりました。先週、セミナーの案内として35号を発刊しましたが、今回を正式な35号としてお届けします。

さて、連休前に恐縮ですが、少し堅い話。「物の中に精神性を認める日本文化」
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120年間、おつかれさまでした
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少し時期はずれになるが、毎年1月末に、いわゆるダボス会議というものがスイスで開かれる。世界経済フォーラム年次総会というのが正式名称で、主要国の首脳クラスや経済界の大物が参加し、メディアでも大きく取り上げられる。「日本の影が・・・」とか「中国の存在感が・・・」などと、決まり文句のように繰り返されるあれである。一方なかなか取り上げられないが参加者の中には宗教指導者も含まれていて、今年、全日本仏教会の会長である松長有慶という方が参加したそうだ。

その時の新聞記事によると、「今後の日本は、経済以外のどの分野で指導力を発揮できるか」との質問に松長会長がこう答えている。「日本には針供養や人形供養など、物の中に命や心を見つける文化がある」「日本語では、物質の『物』も人間の『者』も同じ言葉で(同じ発音で)、物の中に精神性を見つめる文化は、これからの世界で活かせる。」(1月31日YOMIURI ONLINE より)

物の中に精神性を認める日本文化。平たく言えば、モノも、ヒトのような気持ちを持つ生き物として扱うことだ。確かにその通りで、たとえば iPhone や iPodを、着せ替え人形のごとくつまり人に服を着せるかのように、丁寧にカバーを掛ける。ゴルフクラブのカバーは日本人の発明らしいが、他のクラブにあたって傷つかない、つまり怪我しないような工夫である。新車を買って丸ごとお祓いを受けるもの、人を扱う感覚に違いない。日本人が掃除好きで清潔さにこだわるのもきっと同じことだ。人間の体だと思ったら汚れたまま放ってはおけない。

そう思っていたので、先月の新聞での全面広告は印象的だった。タイトルは「120年間、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。」120年間続けた一般白熱電球の製造を中止する、という東芝による告知広告だが、そこでは、従業員が製造機械に向かって深々とお礼をしている写真が見開き両面を飾っている。

この姿は、メーカーの社員はもちろんそうでない私たちも深く共鳴できる。針供養や人形供養だけではない。あらゆるモノに命が宿っていると感じるのだ。ちょっと長めに使った文房具に「世話になったな」なんてつぶやいてからゴミ箱に捨てる、といった経験は誰に出もあるはずだ。これこそが、物の中に精神性を認める日本文化である。