piano class emi.i.

いいピアノを弾きたい

音楽の力

2008年05月31日 | 音楽教室
生きていれば思いがけない出会いがあります。
私もピアノを通してたくさんの方々とお会いしました。
ピアノをしていなければ無かっただろう縁。(仰天するような体験もかつてありました)
勿論違う職業でもそういうご縁があるのかもしれませんが・・・。

・・・私は音楽を生業としているので、音楽を通じて音楽的な交流を得た時に特に大きなしあわせを感じます。
今日はそんな毎日の中で 久々特筆すべき日でした。
音楽は簡単じゃないです。ただ辛いだけかも?なんて思いたくなる時期もあるけれど 音楽からご褒美をもらうこともあるんだなと。
それがたとえ他の方にとっては ささやかな歓びでも・・・。


(漠然とした思わせぶり?な文章でごめんなさい。)

Franz 2

2008年05月28日 | 音楽教室
付き合う男性によって洋服のスタイルが変る女の子がいるように・・・清楚になったり、スポーティになったり・・・私の場合、楽器によって弾きたい曲が変ります。
スコーンと透き通ってはいない、もこもこ細かい毛がまとわりついたような柔らかい音を持ったFranzは 味があります。甘い音がイメージどおりに出るので楽しい。

ショパンのバラード3番のレッスンでは16分音符が美しく流れるところの対になる和音のバランスが以前より気になるようになりました。
速いパッセージがきれいに流れれば流れるほどそれを支える和音もそれに寄り添わなければいけないこと。に生徒さんの演奏を聴いていて気が付いた。・・・ん?突然16分音符が上手になった?上手に聴こえるのはFranzの手柄か・・・(笑)以前はそれほど気にかからなかったのはたまたまか?楽器の差だけであれば 楽器のランクでレッスンの質がずいぶん変ることになりますね。
う~ん。
バラードクラスの曲になるとだいぶ勝手が違います。本人もかなり戸惑っているご様子。
Franzの個性が出る。

毎日が発見です。
聴いても弾いても驚く。
以前のピアノと同じことが気になる生徒さんと、全く違う箇所が気になる生徒さん・・・。
生徒さんのコンクールの準備と宿題は山済みなのだが Franzに振り回されています・・・。
Franzは まるで新しい恋人のようにわからないことばかりで しかも日ごとに変化する。




Franz

2008年05月25日 | 音楽教室
新しいピアノがきて一週間が経ちました。
柔らかいというか「優しい」音で、低音はたっぷりと豊かで 大満足です。
前のピアノは 室内楽をするときに合わせ易いように 442のピッチにしていましたが、新しいピアノはずっと440にしていたので、以前よりちょっと暗め(淋しげに)ですが、それもなかなかいいなあと思いそのまま440で調整してもらいました。

ウィーンは全体に高め、ウィーンフィルなんて444くらい?
アメリカは低め。という傾向があるらしいのですが、それでいうとアメリカ的かな(笑)

もともとの音が柔らかい上、低めに合わせてあるこのピアノを鳴らすと自然とショパンのノクターンやシューベルトが弾きたくなります。
月曜、木曜は目白の教室で 月曜の部屋はなんとあの深沢亮子さん贈呈というヤマハG2のピアノ、木曜は違う教室で同じくG2のヤマハでレッスンをしていますが、ここ数年自宅のピアノよりそちらのピアノで練習しようと 少し早めに行って練習していましたが、これからは 自宅でぎりぎりまでさらっていたいと変更。
自宅のレッスンで 和音の変化を聞き分ける練習も以前よりやりたいと思う。
外見上でのすべり止めの鍵盤、ソステヌートペダル、ピカピカの内部、子供たちも「違い」がわかるようです。
ピアノの音というのは音の半分は楽器が持っているので、自ずとこのピアノで弾くだけで優しい音が半分混ざるわけで、子供たちに楽器の「音色」がどれだけ違うか、ということがわかってもらえたら 更に嬉しいですね。楽器に『個性』があるという事。
ピアノが消耗品だということ。
そして何より子供の音を聴く私も おかげでそんなにいらいらしないですみます(苦笑)
精神安定上にたいへん良い。

以前のピアノは「練習ピアノ」と割り切っていましたが、これはもう「鑑賞ピアノ」です。
タッチも磨り減っていない分 程よい重量があります。
カヴァーもかけ、毎回指紋をふき(笑)除湿機も年中回し、大切に弾こうと思います。

新しい相棒は「FRANZ」と呼んでいます。
フランツ。

これからいろんな曲を弾いてもっともっとフランツを知りたいと思います。

相棒 別れ

2008年05月18日 | 音楽教室
今日の午後 25年酷使したピアノが去っていきました。
14時までレッスンをして、14時半には部屋から毛布にくるまれて・・・。
最後の最後までこき使ってしまいました。
手放すと決めてから別れの準備をするのは辛かったけれど、改めてピアノ弾きとして弾いてみると「もう限界である。早く新しい楽器にしたい。」と未練はなくなりました。
写真がそのピアノで、このようにふたを閉めて弾かないとちょっとコントロールしにくいです。
たくさん弾いた というより、(留学中3年半は未使用だったし)ハンマーを削って(その調律師さんはひどかったです)からこんなになってしまったのですが・・・。

生徒さんのピアノを聴いている分にはそう ひどいとは思わないのですが、いざ自分が弾くと 全くイメージどおりの音とはほど遠い音だと 認めざるを得ません。
不思議ですよね。調律が狂っているとか、経年疲労?が出ているとかは 人が弾いているのを聴いているときより、断然自分が弾いて強く感じるのです。
よっぽど こういう音を出したい、出そうというイメージが強い証拠なんでしょうか。
そうじゃなければ 「こんなはずじゃない」、とかもう一度確認したりしませんよね。
「弾く」と「聴く」ではかなり耳の注文が違いますね。
年を取るほど 自分は「こういう音を出す」とくっきりとしたものの上でピアノを弾いているということかもしれません。
だからこそ イメージどおりの音が聴こえてこないと 気分が悪いわけです・・・。

さてさて 新しい相棒は私が二人目の持ち主で、ようこそ遠く他県からおいでくださいました。アップライト時代(小学生6年間)の記憶は全くないので、3台目のグランドです。同じC3ですが 型が新しいので ちょっと長く くびれも太めです。
でも さすが若い。(スタインウェイだってそうですよ、みんなの憧れ スタインウェイだって年には勝てませんから・・・。)
このヤマハは優しい音でして、シューベルトを弾きたくなるような柔らかさです。
一回も弦を切ったこともない、お嬢様。
生徒さんたちに薦めている「ゆるめたタッチ、スタッカートでの練習」など 避けたいような・・・。リストもプロコも練習したくないですねえ(笑)
演奏するのは良くてもそこまでの練習が・・・
ノクターン向きのしっとり感。室内楽の合わせ練習も以前は家でするのは気が進まなかったが これからは堂々と誘えます。
「うちでやりませんか。」って。

今回のピアノ買い替え、注目はコストパフォーマンスではないでしょうか・・・(笑)それは このページ上では秘密にしておこうと思います。

相棒 その後・・・

2008年05月14日 | 音楽教室
このピアノを弾くのは今日のレッスンが最後かもしれない(搬入の期日が未定のため)のだよという話を翌日の生徒さんにはしました。
なんとなく子供にも私の淋しそうな雰囲気は伝わったのか、
「そんなにかなしいんなら 音が出なくなるまで使えばいいじゃない。」
・・・うーん なんと痛いところを・・・!
「でも音色がばらばらになって揃わないし きれいな音ではなくなったからね・・」
「そうかな 私はじゅうぶんきれいだと思うけど。」
「・・・・」


中古車ではないので、廃車になることはなく、C3は人気の型なので、充分手を入れて再起させてまた再調整ピアノとして売られていくのです。
結局その再生ピアノをどなたかが購入されるのだから 当初考えていた通り 「私がお金をかけて再生させる」というのが愛着うんぬんという私に合った方法だったのです。
ですが、それには(再生させるまで)やはりずいぶんと時間がかかり、(メカニックがすぐ入れ替わったとしてもある程度の打鍵されてすぐ弾ける状態にするには調整調整・・・とある程度の空気に合わせた期間が必要)
結局毎日のレッスンや練習に対応させるにはすぐ弾けるピアノでなければならないのです。

感傷に浸っているような悠長な時間などなく、新しい生徒さんへの教材、コンクールを受ける生徒さんの課題曲選定、まんねりにならないための工夫。すべきことは山のようにあるわけで、今は早く美しい響きを持った新しい相棒の来宅を待つのみです。

他の楽器と違って ピアノ弾きの自宅のピアノは「練習ピアノ」でしかないわけです。
本番はすべて「学校の試験室」からはじまり「ホールにあるスタインウェイかそれに順ずるフルコンサートの大きなグランドピアノ」での演奏。
このピアノの音は全く日の目を見ないのです。このピアノでどんなに会心の出来の演奏をしようが、誰にも評価されないわけです。
・・・うちのピアノではうまくいったのに・・なんて言い訳はとおりません。

そんな「家のピアノ」というのは 親密な時を重ねた弾き手にとって 大きな図体なだけに、とても不憫なものです。



相棒

2008年05月10日 | 音楽教室
音大入学と同時に親に買ってもらったピアノ
25年経ち今月中に手放すことに決めました。
メカニックを全とっかえする方向で考えていたのですが、新しい調律の方と出合って 掘り出しものの中古(新品同様でした)があるというので、試弾してきました。

そのお話があってから余計、よっぽどでなければ今のピアノをリニューアルしてみたい気持ちを強くしていたのですが、リニューアル後ピアノが落ち着くまでの調整期間を考えて、今すぐ好みの音を持っている今日のピアノを買うことにしました。

今のピアノは大げさでなく 私の汗と涙にまみれて、(生徒さんの涙も落ちたなあ・・・、)います。
母と当時の先生と銀座のヤマハに3台あるのを選んだ日のこと。
そのあと3人で中華料理を食べたこと。
結婚して新居に運んだ時 初めて「結婚したんだ」と実感したこと。
留学中に手をこわして 帰国しピアノの前に座って音を出さず楽譜をながめていた時間。
全然うまくいかなくて悔し泣き。
死にそうになった猫がピアノを弾く私のペダルの足元にうずくまってきた時、
母が亡くなって母の好きな曲を弾こうと思って でもあまりに辛くて弾けなかった時、
人を傷つけてしまって落ち込んでいて モーツアルトを弾く生徒の音に泣いた日。
・・・なんか泣いてばっかり(笑)

そんな大切なピアノを手放すことに 今日決めてしまいました。

シュテフェン・ヴラダー&クレメンス・ハ‐ゲン

2008年05月09日 | 演奏会
昨日浜離宮朝日ホールで、Beethovenチェロソナタ3番、ピアノソナタ月光。Bach無伴奏チェロ組曲1番、Brahmsチェロソナタ2番を聴きました。
ピアノのシュテファンはウィーンホッホシューレ時代のヒーロー。最年少でベートーヴェンコンクールで優勝したので彼の師匠のペーターマンデル教授人気が高まったほどでした。勿論昨日もシュテファン目当てで出かけていったのでした。
私も当時ペーターマンデル先生の日本人のお弟子さんとコンタクトを取り(ウィーン行きを薦めて下さった先生のお弟子さん)フォアシュピーレン(一度自分のピアノを聴いてもらう機会)を作ってもらえないかお願いしたのですが「カインプラッツ」=「席はいっぱい」ということでクリスト教授にとってもらうことになったんだった・・・とやはり知った顔をちらほら会場で見かけて20年前のことを次から次へと思い出したのでした。ペーターマンデル先生の名前さえ忘れていました・・・。

チェロはハーゲンカルテットのチェリスト。
シュテファンのピアノはなんといっても柔らかい音(ウィーンの男性で硬い音の人はいませんが)そしてちまちましていない音楽。(なんだか書いているうちにハーゲンダッツのストロベリーが食べたくなってきたけども)ハ‐ゲンのチェロもいぶし銀系ではなく輝き艶のある音で、昨夜のステージはとてもきらきらとしたもの(きんきんではなく)が2階席の私のところまで漂って包まれました。ステージの上に一枚板をのせた上で演奏していたので、ちょっと響きすぎて16分音譜は聴き取りにくかったです。

もともとチェロソナタ3番がなんだか苦手で(ベートーヴェンが未亡人にうつつを抜かしているというかロマンティックな旋律が他の作品の美しさと違って落ち着かないというか・・・)月光ソナタも幻想的風なという要素を際立たせていてやはり他のソナタとちょっと違うよ、という曲で、らしからぬ感じはよく伝わっていましたが、しかし3楽章はちと速過ぎではないかと・・・。

後半のバッハはやはり3大Bの中でも神様。
何度聴いても素晴らしい作品をハーゲンは自在に操っていました。
最後のブラームスはそれまでの作曲家からの開放感とブラームスの情熱が重なっていた。抑えつつも・・・。

贅沢なプログラムのアンコールはヴォカリーズ

シュテファンに代表されるようにウィーンのピアニストはグルダを除いて強烈な個性がない演奏でアクがなく圧倒されることもなく 決して停滞することなく流麗で美しいのですね。



浜離宮朝日ホールビルから徒歩3分?くらいの「成冨」のお蕎麦がおいしかった!
次回も時間に余裕があれば「腹ごしらえはあそこで、」と決めました。

スカルラッティ

2008年05月03日 | 音楽教室
ドミニコ・スカルラッティはバッハ、ヘンデルと同じ年1685年(音楽史的に名産年かも)にナポリに生まれ、イタリア代表?でも500を越えるチェンバロソナタはリスボン、マドリードで王女のチェンバロの師という地位にいたときに作られています。
比較的裕福な生涯だと思いますが、精神的に不遇であったのはどの作曲家も共通。
私はホロヴィッツの演奏を通してスカルラッティに魅せられました。クープランや、ハイドンのように彼らの譜面の奥にある(音譜を起こすことはロマン派より容易かもしれないが)ユーモアやペーソス、思いつくすべての感情、忘れていた感覚さえ隠している楽曲。しかも技術が無くして再現できないお洒落なもの。という認識です。

その
「スカルラッティのソナタ指定3曲から1曲。
 バッハの3声から好きなものを1曲。
 クランマーエチュード3曲から1曲を自分で選択し、6分間にまとめよ。」

以上が今年の毎日音楽コンクール小学生の部の予選課題曲ですと。
これは演奏を聴く側は異常に楽しい!プログラムだけれど小学生に準備させるのは大変なことです::#
音大生でも様式感を出してきちんと演奏できる人は少ないと思います。
かなり高度で質の良い勉強をしていないといけない。
「小学生なんだからスカルラッティも無邪気に弾かせれば美しいよ。」などと音楽の楽しさを謳っている場合ではないようです。

スカルラッティなんて失恋のひとつやふたつ経験してもらわないと・・・・と嘆くのは放棄でしょうか。
もっともっと勉強しなくてはいけません・・。

スカルラッティの皮肉まじりの呼びかけは、
『・・・批評家的ではなく、むしろ人間的に接してください。そうすれば一層多くの楽しみを得ることができるのです。両手の使い方をはっきりさせるために右手にD、左手にMの記号をしるしたことを申し添えます。さようなら。』
だそうです。超おもしろい人だったことでしょう。