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いいピアノを弾きたい

ドビュッシー 音楽と美術 

2012年10月12日 | 
10月14日まで東京ブリヂストン美術館で開かれているに行ってきました。
行くにあたって読んでおいた方がいいと友人に薦めてもらった
青柳いづみこ著「想念のエクトプラズム』という本をやっと やっと読み終えたからです。(1996年12月に書き終え 2008年に文庫化されています。)美術館のグッズコーナーにもありました。


以下 その中から抜粋させていただきます。「ジキルとハイドのドビュッシー」より
「…ドビュッシーの世界は不思議な光に包まれている。明るいのにほの暗く、もやもやしているのに透明で、柔らかいのに鋭く、優しいのに意地悪で、静かなのに激しく、冷たいのに熱く、漂っているようなのに深い。ちょうど霊媒の口から吐き出されるエクトプラズムのように。

 …音楽家として育てられた文学青年だった。」


口当たりのいい《ドビュッシー=モネの睡蓮》という印象派論  を払拭したいというドビュッシー専門家でもある青柳いづみこさんの著書は大変に素晴らしいもので、その洞察力と文章、構成に感動しながら この本のおかげでやっと少しドビュッシーという謎めいた人を知ることが(少し)できました。
この音楽と美術展を見てきた生徒さんはドビュッシーと美術の結びつきに驚いたと話してくれたが、それだけで終わってはもったいない。彼は文学と音楽を融合させたいと最後まで闘った作曲家であったのです。

彼は「いうにいわれぬもの」に取り憑かれていたという。
この著作には出てこないが
ドビュッシーの傑作のひとつ プレリュード には特に美しいタイトルばかりですが 例えば
第1集の中の1曲のタイトル
「音とかおりは夕暮れの大気に漂う」 はボードレールの詩からの引用だそうですが、そこに込められたドビュッシーのそれまでの生きざま、想い、を感じて練習するならば それこそ作曲家とどこかで繋がることができると思います。

はっきり云ってしまえば(笑)ブリヂストン美術館に行って関連作品の絵や美術品を鑑賞するよりも この本をお薦めいたします!
彼女の本はどれも文章の巧さに感心しておりましたが、この著作は学術書の分野からも読み物としても素晴らしい作品だと感動と共に読み終えました。



「走ることについて語るときに 僕の語ること」村上春樹さんのエッセイ

2010年10月05日 | 
少年カフカ という読者とのやりとりをまとめた雑誌を読んだあとと同じように 村上春樹さんの小説をより親密に感じることのできる本でした。
これが単行本として本屋さんにならんだ2007年は 彼の本なのに走ることについてか、と買わなかったのですが文庫になったので。2007年に読んでおけばもっとそれ以後の小説が面白かったな、と悔やまれます。どうせこれから何回も彼の作品は読み返すことになるにきまっているので、余計楽しみになったともいえる。(笑)

この直訳みたいなタイトルはレイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル「Talk about When We Talk About Love」を原型にしている。
健康のためなら 死んでもいいみたいにみえるつらそーな長距離ランナー。
自分とはほど遠いのですが 彼の小説の物語の大きさ、深さはその鍛えられ、酷使した肉体から生まれるんだとつくづく思いました。
ご本人も書いています。
以下本文より 抜粋します。
『誰かに故のない非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長く走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体をほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それをできるだけ姿かたちを大きく変えて小説という容れ物の中に、物語の一部として放出するように努めてきた。』

彼の渾身のものがたりがとてつもないパワーを持っているわけです。ほんとうに私たちファンの心をそっくりその世界に連れて行く力。
小説を書くという作業は生半可な体力ではできない。(楽器もそう。よくなんであんなに汗かくの?すわっているだけなのに、なんて云われるけど) 肉体と精神は繋がっているのだから もっと基礎体力をつけなくては、って思います。と共感しつつ じゃあ走ってみるか?とも思わない頑固な共感者です。
結局20年以上の間にフルマラソンから 100キロマラソン ついにはトライアスロンにまで村上さんはライフワークとしている。その時その時の精神的肉体的な様子状況がたっぷり書いてあり、必読です。
さすが 半端じゃない。
素敵だ。

また日本語でスピーチをしない理由も。
日本語は無限の選択があるため日本語で何かまとまったことを話そうとすると 豊穣な言葉の海の中で戸惑いフラストレーションがたまるのだそうだ。翻訳家でもある彼だが 外国語で話すときは必然的に限られるのでかえって気楽に話せる。
かっこいい。

この本を読んでも (走ることに向いている体とそうでない体があるそうで、)私はぜーたい後者なので残念ながら一生歩き続けるだけですが、走れない人間にも面白い本です。


『ショパンの音楽記号』

2009年11月25日 | 
久しぶりに大きな本屋さんに行きました。
好きですね、あの匂い。
案の定読みたい本ばかりがどんどん新しく並んでいて(喜)、大人買いせず?自制して(涙)2冊だけ購入のうち一冊を音楽を愛するみなさまにご紹介いたします。

セイモア・バーンスタイン著
『ショパンの音楽記号』 ~その意味と解釈~
音楽之友社 刊

自筆譜フェチでもあるので、無数にある自筆譜の写真も嬉しいのですが、いつも楽譜を読んでいて「なんじゃこれ?」というたくさんの疑問・・・音大時代も先生に訊けなかった?ちがうな なんかおかしいけどまあこんな感じかな?で訊くまでもない。とすませていた多くの疑問。
そしてそれがきっと間違ってはいないだろう。というよろしくない「ぼけ」意識=阿呆にスルドイ突込みをいれてくれる参考書となります。

・ブラームスに頻繁に出てくる『poco f 』
・だんだん大きく。という意味のヘアピン マーク。見るからにだんだん大きくしてよ!って作曲者の声が聞こえてくるようですよね。でもその記号のすぐそばにcrescendoがあって しつこいなあ(汗)と思ったりしたこと。逆に同じだんだん大きくのヘアピンマークのすぐ下にdim.の言葉・・・。
・ベートーヴェンのespressivo   なんとこれにはテンポを落として演奏することを意図していた!!等々 譜例の数も多く(全部自筆譜ではありませんが)
・ショパンのペダル記号の*マーク・・・ペダルをあげて!マーク・・・これも真面目にペダル機能をはずすとおかしなものになるので、無視したりしていましたが、違うショパン自身の演奏におけるシークレットというか技がふんだんに詰め込まれているのだ!という意見。
このバーンスタインさんの解釈・・・かなり説得力のある解答はこれからじっくり熟読してレッスンで役立たせていただこうと思います(笑)

・・・力強い助っ人になりそうです。

「すべては音楽から生まれる」

2008年03月30日 | 
脳科学者の茂木健一郎さん著のPHP新書です。
タイトルに惹かれて読んでみました。
ピアノ弾きの私が言うと こっぱずかしく うそくさい;;セリフですが脳科学者の先生がおっしゃるとなんだか説得力ありますよね。
本の後半はラ・フォル・ジュルネの広報のようですが、音楽好きがここにもいたのかと嬉しくなりました。
素晴らしい音楽体験をすると その体験は一生残り、鮮烈な記憶は、なんと育ち続けるのだそうです。
・・・あ やっぱり。
体験が豊かであればあるほどそれをインフラとして育つ。前に行った演奏会から今回の演奏会まで自分は本当に生きていなかった、と思うほど。
・・・あるある。
>音楽の至福とは音楽そのものの核心、わからない「何か」に接したときの愉悦であり感動であり、喜びなのだ。
・・・それそれ。
>音楽から得られる歓びは生物としての基本的 本能的な喜びの回路と共通なのだ。
・・・びっくり。

茂木さんは毎朝トリスタンとイゾルデの3幕のラストを聴くそうです。
炭水化物多量摂取気味の温和な印象の風貌からはちょっと想像しがたい選曲でした。ウィーンフィルの定期の立ち見席を「ステ-プラッツ」と(シュテープラッツが正しい)書いてあったりシューベルトの人物像で肝心なベートーヴェンの存在に触れてなかったり 音楽的体験は私の方が豊富だな(勝ったぜ。)。 とかいろいろヤジを入れたくなる箇所もありましたが、音楽なんて なんぼのもんじゃ。などと思っていらっしゃる方は読んでみてはいかがでしょう。

これを読んで 絶対的な座標軸・・・他人を介在しない 自分だけのものさし。を持っているということが私の人生を豊かに そして窮屈にもしているんだなあと改めて実感いたしました。私の音楽的体験は22歳から25歳の間にピークをむかえてしまったから・・・。