piano class emi.i.

いいピアノを弾きたい

nocturne

2008年06月22日 | 音楽教室
ノクターン 夜想曲 というピアノの小品はどれもとても美しい。
ショパンもフォーレも・・・それ以外の作曲家のも他の形式より特別に自由で優しく切なくコトバには表せないものをピアノの音に托しているように思います。作曲家の本音というか・・・。(まさにノクターン うまくコトバにできませぬ。)
大人のレッスンでとりあげることもありますが、それは「教えるため」ではなく「ノクターンを弾いてみてほしい」「ノクターンを弾く気分の時間を持ちたい}意味の方が大きいです。
音大の附属中あたりでも課題曲になりますが、だから必然的に習うこともありますが、私は中学生時代から 漠然と「人に習うようなものではないなあ」と思っていました。
今も 勿論譜読み段階でのチェックは必要だし、ここにも裏旋律が隠れているよ。「う~ん やはりそうは弾かないんじゃないか」程度のことは指摘されたり しなくてはいけないものだと思いますが、旋律の歌いまわしやテンポの揺れ等は本人が心のままに弾かないと 「先生にこういわれたからこうする」という演奏は うそ臭く なってしまうと感じます。
自分も気分によって違うし、どうしてもこう弾きたくなった。と感じながら弾きたい。ここはこういう事?と作曲家に問いかけながら・・・。
又 「聴く側」にまわってもたくさんのピアニストの演奏を一番「楽しめる」曲だとしみじみ思います。ピアニストの素顔を垣間見れる曲というか。
今日レッスンでショパンのノクターンを女性の演奏で1曲、男性の演奏でも1曲聴きましたが (まだ本人たちももっともっと弾きこんでからコメントしてよ!と思っているはずですが) 彼らがどんな「自分だけのノクターン」を作ろうとしているのを同じピアノを弾く人として聴いていると とても楽しい。楽しかったです。

ノクターンといっても ひとつにくくってはいけませんが 27-2のある旋律で「私はきっとこうは弾かないけど なかなかいいなあ」とか、母と聴いたレコード!アシュケナージ?はどう弾いていたかな?とか 人それぞれのその時のノクターンが一枚の写真のように私の頭に焼きついていきます。
そのあと 自分が弾いてみて 苦笑してみたり。

ノクターンはある程度ピアノを弾けるようになった人のご褒美のように、他人に聴かせるためでなく 自分の心の声を聴くようなつもりで弾きたいし、すべての私の生徒さんに そこまで進んでもらいたいと切望します。
皆が何十年か後 それぞれのノクターンをひとり静かに弾いてくれていたら・・・。

・・・勝手にいい加減に弾いていいのではありませぬ。、さらうところはちゃんときっちり練習してから、の話です。ハイ。

WALTZ for DEBBY

2008年06月17日 | 音楽教室
今年度9人目の生徒さんをお迎えしました。
初心者の子供さんや 厳しいお仕事の合間にピアノを再開するおとなの方々。
ピアノを弾く時間が自分を取り戻す時間となる。
すべての新しい個性と ピアノを通じて出会うこととなった縁を感謝してしまいます。
リスタート組は幅広い音楽の中の「この曲を」、とある目標が絞ってあることが少なくありません。
彼らの 弾きたい曲をサポートする。
レッスンの時 必ず弾いてみせるので 彼らに選ばれた曲を弾けないといけないので、それだけ私のレパートリーも増やさなくてはならず、今新しく私達(生徒さんと私)のターゲットとなった曲に ビル・エヴァンズのナンバーが加わることに・・・。
初対面でも こういう優しさに包まれたおしゃれな曲を目標にスタートラインに立つのは
緊張も吹っ飛んで 旧友のような錯覚を覚えます。
(お互い ビル・エヴァンスのあの演奏のレヴェルは彼方のものと認識しておりますから ご心配なく^^)
フォーレの舟歌も未だ・・・という状態でワルツ フォ デビイをざーっと弾いてみる。嬉しい悲鳴をあげております^^;。
バッハのイタリアコンチェルトの2楽章についても 随分と悩まれている方が。
私も もう一度いっしょに 悩みたい。




フォーレ

2008年06月07日 | 音楽教室
フォーレ(1845~1924)というと一番最初に浮かぶのは なんでガブリエル?
・・・m( )m・・・
彼の礼儀正しい、(たくさんの書簡から)野心というものがなく、フォルテッシモを好まない、ひたすらきれいなピアノ曲。ドイツものに真剣に取り組みたいタイプの私は高嶺の花の作曲家でした。
もっと勉強しなくてはと思うと じゃあやっぱりバッハから・・・。といっても平均律を右往左往。
そんなことをしていると
・・・えー! クープランやスカルラッティもこんなに面白いの?と順番遵守だ。逆行しているとますます遠ざかってしまい フォーレは聴くだけ・・・。でした。
ちょっと縁あって まじめに譜面を読んで音を出してみると 聴いて感じる美しさの3倍の感動がありました。 
2メートル先の絵をマジカで見るような?
ある方のページで「絵の本質は絵を描くやつにしかわからない」というお言葉があったけれど 「へーじゃあ 絵なんか見ませんから!」と毒づいたことありましたけど・・それはある意味当たっているのでしょう。

テンポを動かさず次から次へと美しい和音をさり気なく紡いでいる音。
聴いているかぎりではおしゃれな借用和音などを細かく聞き取れない私の耳のせいかもしれませんが 譜面をぽつぽつ譜読みして美しい旋律に付随している和音の美しさについ立ち止まります。
シューマンもそうですけど 申し訳ないけれど「聴く」より「弾く」方が断然天才ぶりを堪能できます。
ほんと 弾けてよかった・・・と思います。だからみなさんもピアノを習いましょうね。軽く宣伝。

だってそうですよ 一つ一つの和音をゆっくり味わうことにピアノの醍醐味があるのだから。旋律を味わうのは演歌もフォーレも同じですが、くっついている和音が勝負なのであると思います。うちのFranzも まあフォーレは得意にしているようで(軽く自慢)
やりかけのもの・・・バッハ スカルラッティ ハイドン シューマン・・・生徒たちの課題が中途だと私の目指す音は一定でも それを再現してもらうまで落ち着かない・・・をかかえつつ フォーレにはまってしまって さあ たいへん。という毎日です。この梅雨空に・・しあわせなことじゃ。

フォーレの演奏には 「しきたり」があるという。
安易なルバートは無用だと。しかしあまりにたんたんと突っこめるほどちりばめられた経過音たちを見過ごすことなんかできませんね。パリの人たちはみんな早歩きだったけれど。
味わいつくし大切に大切に響きに同化したいと思います。
弾き手が繊細すぎて悪いことは何一つないでしょう、フォーレを演奏するにあたって・・・。